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【バイクブログ?】SUZUKI乗りの冒険 其の1

更新履歴
2024年4月1日追記
グラストラッカーの型式による違いの部分を追加いたしました。


毎度お世話になっております。
はじめましての方には初めまして!
私は1匹のしがないバイクバカ。
残念なことに、男でございます。
さぁ、この数行で何人の方がブラウザバックしたのか気になるところですが……。

さて、おそらく私ごときの記事を読んでみようかと思っていただいている皆様は多くの方が車やバイクに興味があったり実際に乗ってみえたり、お好きだったりする方が多いことかと思います。
そんな中で、皆様はご存知でしょうか。

日本のスズキという自動車メーカーのことを

そう、軽自動車なんかを中心に世界的なシェアを誇っているあのスズキです。

そしてそんなスズキが、オートバイに関しても世界に冠たるメーカーであることをご存知でしょうか?

実は戦後の復興期から早くも上場していたスズキ。今や主力商品となっている四輪自動車よりも、特に70年代までの当時の経営を支えていたのはオートバイの製造販売でありました。

戦後復興期と言えば国民所得は今より一層低く、国民の足と言えば公共交通を除けば自転車かバイクだったという時代ですから、考えてみれば当たり前の話ですね。

1950年代から富士登山レースをはじめとして浅間高原レースや浅間火山レース、マン島TTなんかでも大健闘で、実力も歴史もあるメーカーだったりします。

さて、そして皆様はご存じでしょうか。
そんな我らがスズキが1990年代当時の『トラッカーブーム』を受けて、アメリカで昔(1970年代当時)流行っていたバイクの草レースの名前を頂戴して世に送り出した1台のバイクを。

SUZUKI グラストラッカー(2000〜)
空冷単気筒250cc SOHC4バルブ
(2004年の4月からは2バルブになったらしい)

その名を『グラストラッカー』

スリムなタンクにトラッカーバーを『彷彿させる』アップライトでワイドなハンドル。
 明らかに通常のネイキッドバイクよりショートなリアフェンダー。
そして何より軽量な車体。

この記事を書いている2024年の9月現在においては、ネオレトロとかネオクラシカルと呼ばれる古風な雰囲気の小排気量車(※排気量399ccまでの普通自動二輪免許で運行可能なバイク)が大変人気で、カワサキならエストレヤや250TR、ヤマハならSR400やTW225やTW200、ホンダならCB400fourやCB400SS、CB223S、GB350やFTR223などといったバイクがこれに当たるんですが、グラストラッカーもその中の1つに数えられることがあります(ココ重要)

そしてそれらの中古市場は一時は爆発的に、その後は軒並みじわじわと値上がりを続けているんですが……。

グラストラッカーとその類縁にあたるバイクたち(例外あり)はその流れに未だ取り残されるかのようにして比較的安価に取引されているコトが多いです。

まずは安いこと。
これは今やグラストラッカーにとって第1の特徴と言わなければなりません。
そもそも新車価格からして安いんですけどね?
それでもトラッカーブームに乗って、当時のスズキにしては珍しく好調なスタートを切ったバイクですし、元が安いだけに貧乏学生の足から金持ちのおもちゃまで幅広い需要を受け持ってくれる非常に心の広くて優しいバイクだったりします。

また、トラッカーとしてのデビューをフルシカトされて挙句フレームカットされてチョッパーになったり、カフェレーサーになったりしてる車体が多いのもカスタムベースとして優秀と言われるグラストラッカーの特徴の一つ。
言ってみればそれだけ単純明快且つオーソドックスな車体構成を持っているということになります。

それもそのはずトラッカーといえばダートトラックなど未舗装路を土煙上げながら走り回るのがイメージですが、実の所このバイクは新車そのままの状態ではなかなかにトラッカーとかオフローダーとは言い難いものがありまして…………。

では、それが何故なのかと問われれば必ず話題に登るのがこのバイクのご先祖様で源流とも言えるバイクの存在。

そしてそれは良くも悪くも珍車マニアには有名な

『ジャメリカン』

…………なのであります。

ですが面白い事に、グラストラッカーに搭載され件のジャメリカンの時代から小変更のみで基本設計を脈々と受け継がれたこの水冷4ストローク250ccにして21馬力を発揮する頑丈なエンジンは、元々オフロードバイク用に開発されたものを源流としています。

詳しい方ならご存知かもしれませんが、このエンジン、元々バルブ4つだったのに後から2バルブになって弱体化するはずが馬力やトルク性能が上がるという珍しい進化を遂げた経緯があったりします。

まぁ、それだけ長い期間を経て熟成されているエンジンを搭載してるってことですな。

この記事シリーズの本指は、この度グラストラッカーのオーナーとなった私がバイクオタとしてはありがちな発想でもって自分のバイクの改造遍歴やらを開陳しようとするものです。

とはいえ、僕の記事を読んでくれる皆様の全員が最初からグラストラッカーのことをどんなバイクがご存知の訳ではないはず。

これ分かってから僕のブログ読むのと、わからないまんま何のこっちゃと思って見るのとでは多少見え方が変わると思うんですよオタクとしては。

そんなわけで、バイクブログとしても第1回目の記事ですし?ご挨拶がてら、グラストラッカーってどんなバイクなのって話をまずはしようかなって訳でして……。

まぁ、グラストラッカーの歴史みたいなものを語ろうとすると絶対に出てくるのがDR250というバイクとGN250というバイク。

特に今回クローズアップしたいのは後者の方。
あと忘れちゃいけないのがボルティ。


■DR250S■



1970年代当時、まあ1970年代に限らず大体のバイクの流行り廃りだったりは日本の場合、飼い主で大親友のアメリカさんからやって来るのがテンプレだったみたいですが、アメリカで巻き起こった第1次オフロードブーム。

我らがスズキも当然、それよりも以前から海外の動向には目をつけていた訳ですがそんな流れの中で産まれたのがスズキの本格派4ストオフロード、第1作目となるDR250Sというバイクでした。

こういう当時のカタログの写真とか、懐古趣味の私にはたまりませんね……

こいつが発売されたのが1982年の話。

第1作目の本格4ストオフロードとか言っちゃうと色々と勘違いする方か多くなりそうなので解説しますが、別にこの子がデビューする以前からスズキにオフロードレースでのノウハウが無かった訳ではありません。
元々RM250などの2ストの『モトクロス』とか『エンデューロ』の方で、70年代に破竹の勢いを見せていたのはスズキでした。

ちなみに当時モトクロスもエンデューロも基本は公道走行を前提としないオフロードレース専用のスペシャリティマシンばかりで、市販こそされていたものの、量産車とは一線を画していました。

ゆえに公道走行が可能な一般大衆向けの量産車としての本格派オフロードマシンとして『4スト250cc』が処女作だったという話。

エンデュランスやモトクロッサーとしての4ストはあったんじゃないかな?
量産車ではないというだけで。
その辺は調べていませんので、あしからず。

ともあれ、他メーカーも持てる技術の粋を投入して、モトクロスやエンデューロで培った技術を移転反映させた量産オフロードを市場に投入しはじめた時期なのでした。

◆グラストラッカーへと続く心臓部の誕生◆



そしてこの子、さすが処女作というかはじめの1歩だけあって、当たり前ですが新開発のエンジンを搭載してました。

それは元々がオフロードレースの使用前提の設計らしく派手に転んだりクラッシュしても大丈夫なくらい頑丈(構造的に)かつ空冷エンジン縦型の基本通りとも言うべき高い整備性も兼ね備えたエンジンでした。

この後さらにこれを高回転に対応させてpowerを搾り出すべくDOHC(つまりカムシャフトが2本)化し、そのエンジンを載せたモデルをDR250Rとして登場する事になるんですが、それはまた別のお話。

そしてこの時使われなくなって余ったSOHCエンジン自体が機械として優秀であることには変わりなく、DOHCと比べてシリンダヘッドから上の構造が変わるだけという生産上の利点もあることから、SOHCのこのエンジンも生産は継続され、このエンジンを雛形にして多くの車種に転用されるようになります。

グラストラッカーはグラストラックというオフロードレースの仕様に合わせるようにして作られているダートトラックレーサーですが、そのエンジンの元型を生み出したバイクこそがオフロードバイクとして生まれたDR250Sなのでした。
頑丈なわけだ……。

そして、そんな頑丈で堅実なエンジン設計を見込んで、ある映画をきっかけにして発生した別方面のブームに対応するために、とあるバイクが生み出されることになります……。

日本ではハーレーダビッドソンなどアメリカ製のクルーザータイプのバイクを指してアメリカンバイクとか呼ぶこともありますよね?

では果たして我々日本人が既存のバイクを設計変更してクルーザータイプのバイクを作った場合、これは本家本元のアメリカ人や、我々日本人からどう呼ばれることになるのでしょうか……?

■GN250E■



1969年公開の映画『イージーライダー』と言うと、バイクにお乗りの方やある程度の年代の方からすれば内容を知らずとも『あぁ、あれか。』となるような、言わずと知れたバイク映画の金字塔。

"反体制的な若者がコカイン密売で儲けた大金をタンクに隠し、真のアメリカを求めてオートバイで放浪の旅に出る二人のヒッピーを描いたもの。"
(以上あらすじ /Wikipediaより引用)

ヒッピーってのは要するに日本語で言うと傾奇者(かぶきもの)みたいなもので、当時で言うとビートルズとかジョン・レノンみたいに自由を謳ってる人のシンパの人達を指す表現。
一言で言えば型破りな自由主義者のこと。

当然、日本でも公開されたし、そうなってくると当然劇中で活躍するクルーザータイプのいわゆる皆さんが想像する『まさにハーレー』というようなバイクがもてはやされる時代がやってくるわけです。

69年に公開の映画なので、日本に第1次クルーザーブームが到来するのが1970年代からのこと。

この映画を見て、アメリカ文化の魅力に目覚め感化された若者たちは猫も杓子もハーレーに乗りたくて仕方なくなってしまったからさあ大変。

70年代当時のことですから、1ドルはまだまだ360円の時代に本家本元のハーレーダビッドソンなんてちゃんとした大人でもなかなか買えたものではなかったらしく、それだけに日本国内ではクルーザータイプのバイクというそのもの自体の潜在的な需要は過熱するばかり。

そんな状況を国内メーカーが座視するわけもなく、とは言ってもちゃんとツボを押さえたクルーザーらしいクルーザーなんて日本のメーカーの中には存在するはずもなく……ノウハウがない状況に苦しんだ事だろうと想像するのは難しくありません。

(第2次世界大戦の)戦前や戦後すぐであれば、日本にもハーレーダビッドソンのライセンス生産を行っていた企業が存在し、王道のアメリカンクルーザーを設計製造するノウハウが残っていたんですけどねェ……。

日本にも昔は多い時でオートバイメーカーばかりが約百社以上が存在していたと言われますが、1960年代までに今も残るホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ以外の殆どのメーカーが淘汰され、アメリカンクルーザーを作っていたメーカーももちろんその波に巻き込まれてしまっていたのでした。

それならとりあえずそれらしく見えるように既存の車種から派生させる形で発売してしまえ作ってしまえという当時の日本のハングリーな側面……そうでなければ楽天的な側面とでもいうのか、イケイケどんどんのノリで1978年、ヤマハから1台のバイクが市場に投入されます。

……え?なんですか?
さっきから何の話かと思ってたらヤマハの話が始まったのはどうしてかって……?

……スズキのGN250の話?

しますよ!でもこの子紹介しないとGN250に対して見た目がもうツッコミどころしか無くなる上にどうせ紹介する上でこの子のこと紹介しないと避けて通れないようなパイオニア的バイクなんでしばしご容赦ください。(土下座)

◆XS650スペシャル、大地に立つ。◆




YAMAHA XS650スペシャル(1978〜)
一般的なスポーツ車両をベースに小改良された『ジャメリカン』の元祖。

さて、気を取り直してヤマハからリリースされた1台のバイク。
その堂々たるお姿がこちらなんですが……。
……うーんこれ、本当に真横から見ないと知らない人が見たらアメリカン要素どこってなってしまいそう

それもそのはず、この人はもともとヤマハ初の4スト搭載車であり、並列2気筒SOHCエンジンを抱いたネイキッドスポーツとして生まれたXS650をなんとかそれらしく(クルーザーのように)見えないものかと小改良と調整と試行錯誤の末に生み出されたバイクなんです。

対するハーレーダビッドソンはどういうバイクかといえばいわゆるツーリング系。
広ーーいアメリカの、まっすぐでながーーい道をながーーい距離渡航するのに特化したまさにクルーザーという言葉がふさわしいコンセプトのバイク。

どうしてこんなことになったんだって思う人いっぱいいるでしょ??

ではなぜイージーライダーという映画が流行るまでそういったアメリカンクルーザーのようなバイクが国産開発されてこなかったかといえば、理由は明白でした。

我が日本の狭く山がちな国土には北海道以外でそんな直線道路など滅多になく、住宅街に入れば繰り返されるストップ&ゴーの連続と、郊外の山道に入れば急峻な登り坂や曲がりくねった峠道……。

これじゃあ製品としての能力と需要が合致するわけないじゃないですか。

大きく重い車体では取り回しが悪く、体格的にも貧弱だった当時の日本人にとっては、平坦な場所でその巨体を押したり引いたりするだけでもひと苦労ですし、直進安定性に特化した設計は市街地でも、山道で大きなハンデになりました。

そしてもうこの頃には、60年代後半から急速に普及し始めた四輪の自家用車が道路で幅を利かせていたこともあり、混雑時の機敏さや駿動性に欠けるクルーザータイプのバイクにとってはさぞ、大きな逆風ともなっていたはず。

だから、日本ではそれまで売れなかったんです。

今みたいに発展した後の日本なら話は別でしょう。
今やバイクといえば趣味の乗り物の代名詞。
そのバイクがかっこよければ、売れる人には必ず売れます。

しかし自動車が今ほど国民に十分に普及していない時代、日本という狭い国土で、国民の足としてのバイクが必要とされた戦前や戦後復興期というタイミングで急成長した日本のバイク市場にとって、日本という地形に対してのアメリカンクルーザーという性格が需要に対してミスマッチすぎたんです。

そんな日本で古くから愛されたのは、遠く離れたヨーロッパで同じ島国の、同じように狭い国土かつ平坦路は少なく市街地も入り組み、急峻な山道も多く存在するイギリスのトライアンフやノートン、BSAをはじめとしたヨーロピアンクルーザーを筆頭とした比較的軽量な機動性の高いライトウエイトスポーツだったのです。

そういった流れの中で誕生したのが、XS650というネイキッドスポーツバイクでした。

もう一度言います。

XS650は元はネイキッドスポーツだぞ!?

そんなXSをなるべくハーレーに見えるように何とか試行錯誤して生まれたのがXS650スペシャル。
これにさらにスポークホイールからキャストホイールへの変更を加えたのが、XS650カスタム……。

XYAMAHA XS650カスタム

うーん……。
ちなみにこっち↓↓↓が本家ハーレー。


ハーレーダビッドソン FX

なるべく近く見えるものをと思って画像漁ってきましたが、うんだめだやっぱり全然違う(知ってた)

そもそもVツインじゃないじゃんとかフロントフォーク立ちすぎ(角度深すぎ)とか、クルーザーがクルーザーたるポイントをことごとく外したこのデザイン……。

再び繰り返しますが、元々この子はスポーツネイキッドなんです……。

おそらくこのバイクをデザインさせられたデザイナーさんにしても限られた材料限られた条件の中で可能な限りの回答をしてみせた結果だとは思うし、それを考えると、ただひたすら頭が下がるというか、感服するばかりです。

でも、どうしても本格派クルーザーを気取ってしまうとやっぱり納得できない部分は多いんだよなぁ……。

それでもこのXS650スペシャル君、発売された当初は結構爆発的に売れたと言うもんだからどれだけこの手のバイクが渇望されてたかってのがよくわかるってもんです。

それはそれとして、どれだけ頑張って細工をしたとしてもベース車両がアメリカンクルーザーとして設計されたものでない以上出て来てしまう『コレジャナイ感』に対して、誰が言い始めたか、言葉遊びの好きな日本人がこいつに対して付けた俗称こそ

ジャメリカン


という呼び方。

その結果、一つのメーカーが当たりを出すと他のメーカーが後からそれに追従するのは昔から変わらない情景であるようで、XS650スペシャルが売れたということはXS650スペシャルの真似をすればいいんだと今から思えば勘違いしてしまったメーカーが、似たようなクルーザーになりきれないクルーザー……ジャメリカンを乱発する時代が到来します。

◆転んでもタダでは起きない『GN250E』という遺伝子◆



その中の1台に、それも悪いことに各メーカーの中では最も後発で発売されてしまったのが、やっとこの目次のタイトルを回収できるGN250Eというバイク。

SUZUKI GN250E(1982〜)

……鍵屋さんでお部屋の合鍵とか作る時、『スペアキーでスペアキーを作ると使えないことがあるんですけど、大丈夫ですか?』と問われたことのある方も多いはず。



この子は大丈夫じゃありませんでした。

ハーレーダビッドソンに似せて作ったつもりのXS650スペシャルに似せて作ったバイクは、もはやハーレーと比べるのが失礼なほどの別物のバイクになっていました……。

とりあえずYAMAHAくんの真似してみたけどなんか2人乗りしやすそうでタンクがせりあがっとってアップハンドルに長いめのフロントフォークを適当に寝かせて付けたらこれがクルーザーなんでしょ?

と言わんばかりのこのなんとも言えずちぐはぐなスタイリング。

使用されているエンジンは前項で散々匂わせた通りDR250Sに使用されていたものを使用。

ハーレーといえばVツイン、アメリカンクルーザーといえばそれこそが定石であるにもかかわらず、あまつさえ参考にしていたXS650スペシャルですら並列とは言え2気筒という最低限のお約束だけは知ってか知らずか守っていたというのに……。

なんでお前はシングルなんだ。


国内四メーカーの中で最後発であったこともあって、当然、ジャパニーズアメリカンとしてのデビューは不発に終わりました。

そう、国内ではね。

ただし転んでもタダでは起きないのがこの系譜の凄いところなのです

タフネスさというか、頑丈なのはエンジンだけではなく、スズキのスピリットなのかも知れません。

日本海を挟んで海の向こうの大陸国家では、今でもライセンス生産を元にしたコピー生産品と思しき車体が新車で手に入ったりします。

というかこのバイク、元々頑丈で空冷エンジンの割にそこそこパワーのあるオフロードバイクに積まれていたエンジンを積んでいるだけあって砂塵や泥などが当たり前の劣悪な環境下でも確実に動作し、ホンダのスーパーカブでは走破出来ない地形や力不足な場面で大活躍していたりして、見た目がどうとか人気がどうっていう以前に一つの機械として、なかなか馬鹿にできたもんじゃありません。

実際、このGN250をベースにエンジンはダウンサイジングしたGN125系列のバイクは、日本国内では高級なスーパーカブを代替しうる隠れたビジネスバイクのエースとして評価されていたのです。

GN125Eが1999年まで国内でひっそりと生産販売され、アジアや中東南米などではある一定の意味においてスーパーカブよりも頼れるタフな相棒として、または家族みんなを乗せて走るお父さんの必需品として、銃火器の世界で言うところのAK47のように世界中の必要としている人々に寄り添う影の立役者として日夜活躍しています。

DR250Sの項目でも述べた通りですが、GN250にも搭載されたエンジンは、小規模な改良と設計変更を繰り返しながら、グラストラッカーまで続く系譜の心臓です。

ただし、エンジンが一緒だというだけならここでGN250Eを語る理由はないんです。

そう、僕は先程言いました。
GN250は国内ではコケてしまったと。
ですが世界的に見れば、売上の規模こそスーパーカブには及ばないものの、GN250Eの遺伝子を色濃く(車体構造とかパーツ流用的な意味で)受け継いだ派生車種は、今もなお現地ユーザーの根強い支持を受け、第1線で活躍し続けているものも多いのです。

小改良の結果、完全互換となる部品は年式を経るごとに減っていくものの、車体の構成要素の約60%から80%が完全流用可能の互換部品とするバイクがいくつかあるようです。

派生車種とは何か。
GN125シリーズはいうまでもありませんね?

そもそも僕最初に言ってましたよね。

グラストラッカーのご先祖様は、ジャメリカン……。

グラストラッカーも、車体の構造やエンジンもほぼそのままGN250Eから引き継いでいるバイクの中の一つなのです。

流用可能な部品についてはソースがネットからなので厳密には完全ボルトオンとまではいかないものも多いのでしょうが、フレームやステアリングのトップブリッジ、フューエルタンクやサイドカバー、ヘッドライトユニット、フロントフォークとそれに連なる足回り、エンジンとトランスミッションとクラッチ本体は言うに及ばずフロントステップやブレーキペダルにクラッチペダル……実にさまざまなパーツが無加工で利用可能、、という情報もあります。

⚠️ただし、ここに関しては私もネット上で出来うる限りの調査をしましたが、所詮ネットの情報は誰でも取り扱える情報なのでそのまま鵜呑みにすると痛い目を見るかもしれません。
情報活用において、その本質的な真偽に関しては何ら保証するものでは無いことをここに明言させて頂きます。

■閑話休題 GN125の思い出■



まぁとは言え、実際私自身このGN250こそ所有したことはないものの、ほぼエンジンをダウンサイジングしただけと言われるGN125には若かりし頃に数年お世話になったことがあるんですがグラトラのサスやらタンクやらサイドカバーやら果てはエアフィルターに至るまでやたらと流用して取り付けてた覚えはあったりします……。
なんならスピードメーターだって最終的なタイヤ外径が違うので使用は出来ませんが、取り付けること自体は普通にできました確か……。
ウインカーとかライトスイッチは色んな意味でノーカンです。ハーネスそのまま使えるのかとかまで話が広がると保証できかねます。

もう10年も前の写真ですよコレ……。

ちなみに当時私が乗ってたGN125がコチラ。
マッドマックスのビキニカウルなんかつけちゃってまぁ……。
その当時中国産ということを気にしてだったか、タンク横にでかでかと貼られた日本のステッカーとかサイドカバーに貼られた『改』も相まって相当痛々しいですねコレ…()
リアキャリアに無理やりくっつけたシートバックとかも今思えばどういうセンスでやってたことなのか、二輪の免許取りたての頃、若さに任せた自分が恐ろしい……。

そして今回もノリと勢いに任せて自分の黒歴史みたいなバイクを世間様にさらけ出す……。
歴史は繰り返すものなんですね……。

◆GN250Eの辿った運命◆



さて、そんなこんながありながら1982年にデビューしたGN250ですが、ジャパニーズアメリカンとしてのデビューを狙って大失敗したのは先程も申し上げた通り。

そしてバイクが発売された翌年の1983年に火がついたレーサーレプリカブームの到来によって、それまで国内にあったアメリカンというジャンルそのもののブームにも一旦の終止符が打たれる形となり、GNという車種は日陰の道を歩むことを運命付けられてしまうのでした。

そう、スズキ渾身の1台『RG250γ』によって。

さすがにガンマの解説はしません。
僕はそもそもレーサーレプリカという乗り物がそんなに趣味に合わないので……。
っていうか、これ以上長くしてどうすんのこの後グラストラッカー自体のことも書かなきゃいけないんだよ?

にしてもブームを狙って、それなりに売るつもりで出したGN250だったはずなのにそれをたった1年で、それも自らの手で、表向きはオワコンにしてしまうというあたりが面白いやら悲しいやら……。
これじゃ出オチですよスズキさん……。

このタイミングさえ悪くなければという現象はスズキのバイクに詳しい方ならさして珍しくもない現象なんですが、他にも歴史を振り返ればイントルーダーとかね、B-KINGとかね、ジェンマとかね……。

ともあれ、この時は女性向けの雑誌にすらバイクレースのことが記事になってたりするくらいの一大ムーブメントだったようで、国内のGN250はいち車種としては雪辱の機会を与えられることなく歴史の闇に消えてしまうことになるのです。

ヨーロッパではジワ売れしたらしいけど。

アメリカンクルーザーとしての雪辱は大々的にはついぞ果たされることなく、またもやヨーロッパでジワ売れすることになるGZ250ことマローダの登場が1998年のこと。

そして、直系の後継車種としてはGN250をベースに1部車好きの方は皆さんご存知の童夢がデザインを手がけた『安い・軽い・かわいい』の三拍子が揃う誰がなんと言おうと現代のコスパ最強バイクの一角を担うST250ことみんなのボルティが1994年に登場。

そこでやっとGN250は『機械としての雪辱』だけは晴らすことに成功するのです。

実際、グラストラッカーやボルティのベースになっている車両としてGN250のことは認知していましたが、こうして記事を書くにあたって調べる前まではこんなに悲しい歴史を刻んだバイクだなんて思ってもみませんでしたが……。

生まれにしても末路にしても、当時のバイクブームを牽引していたのは若者の世代ですから、バブル景気に浮かされた日本の若者がどれだけ流行に敏感だったことかを教えてくれる1台と言えるでしょう。

■ボルティ■



時代は移って1994年。
1990年代初頭から徐々にミドルクラス(〜399cc)のレーサーレプリカブームが落ち着きを見せ始め、ロードスポーツとしての2スト250ccが市場から放逐されつつあった頃。

折からのバブル経済が崩壊し、景気にあぐらをかいていた当時の中間管理職世代が軒並みリストラの憂き目に遭い、若手は売り手市場から急転直下の就職氷河期が到来して未曾有の混乱を見せた国内情勢。

そんな時代にも、急に貧乏になった日本国民に特に優しかったのはスズキというメーカーであったと言えるかも知れません。

1982年の出オチ発売以降、国内ではそれまでずっーーと日陰者でありながら密かに国内外で販売製造され続けたGN250とその派生車種のプラットフォームをフル活用し、コストダウンを図りつつ確実にお値段以上の価値を発揮する『安い・軽い・かわいい』の三拍子を揃え、絶妙なタイミングで登場したスズキの名車(当社調べ)こそが……

SUZUKI ST250ボルティ

この枝豆みたいな形のタンク!くぅ!かわいい!!

……と思うのは、私だけ……なんですか?

もちろんこの子にもGNのタンクを載せたり、グラストラッカーのタンクを載せたりが当たり前のように出来ます(小加工は必要ですが)

GN250ではあんなにチグハグでダサかった特徴のないデザインが一変、こんなにもオシャレでかわいくなってしまうなんて……(依怙贔屓)
実際、同じプラットフォームを使用してこの変わりようは十分賞賛に値するんですが、なんとこのバイクのデザインを手掛けたのが知る人ぞ知るキワモノの自動車で有名な『童夢』でした。


うーん!ジャメリカン!

しかしコレが

うーん!ストリート!

こうですよ……?
確かに見比べれば共通点は普通に見つかりますけど、さすがというべきか変更の仕方が上手い。

ハンス・ムートによるデザイン上のテコ入れによって爆発的人気となったGSXシリーズの時もそうでしたが、テコ入れをお願いする会社選びのセンスが神がかってたんでしょうか。

ジャメリカンとしてのGN250ではすんごいナナメになって傾斜していたタンクからサイドカバーにかけてのラインもなだらかなものになり、良い意味でニュートラルな印象に仕上げられています。

そして、こいつのデザイン上の特徴の第2には、標準搭載があくまでソロシートであることも忘れてはなりません。
表標準装備がソロシートであるが故に『ダブルシートも選べる』というアプローチや、オプションで、折りたたみのリアキャリアが装備できる点など、さまざまなスタイルにあわせた利便性を提供するという売り方は、この後に紹介するボルティの価格とも相まって、国内のみならず、海外でも人気を博すことになるのでした。

そして、GN250からの比較でしたから、デザインの視点から話に入りましたが、こいつの特徴はなんと言ってもまず

新車価格がべらぼうに安かったこと

下の方に小さく載っているので見てみよう。

なんと、1994年当時で新車販売価格が29万8000円という、当時としても価格破壊と言うべきこの値段。当時の標準的な250ccの他のバイクと比べて、なんと10万円もお安い計算になってしまう。

10万円あったらうまくやりくりすればヘルメットとグローブとバイク用のブーツ、プロテクターにジャケットまで準備できてしまうのです。

スズキのバイクも車も価格が安かったり燃費が良いことを指して『スズキマジック』と言ったりしますが、当時、不況に喘ぐ日本国内では、この価格は何よりも魅力的に映ったことでしょう。

レーサーレプリカブームの終焉とともに下火になり始めていたバイク業界全体としての新車販売台数の減少をものともせず、ボルティはエントリー層をはじめさまざまな客層からの評価を得ることとなるのでした。

キキャストホイールを履かせたり、大型のリアキャリアを搭載してビジネスモデルのタイプCが登場したり、当時としては125cc以上のバイクのビジネスユースがすでに限定的だったことを考えるとこの車体価格に鈴木がどれだけ自信を持っていたのかを伺わせますね……。

ちなみに例によって、ビジネスモデルのタイプCはアジアや南米などの海外市場でこれまた根強い人気を獲得することになるんですが……さすがはGNの血統ということでしょう。

それだけに一部の人からは安い、安いとバカにされることもありますが、では、安ければ物が売れた時代だったのかと言われればそれは絶対に違うと言い切ることが出来ます。

ターゲットはバブル時代を超えて目の肥えた人々であり、安いだけでは売り物にならなかった。

大量生産され余剰のあるプラットフォームを流用することでコストカットを実現し、モダンで上質、上品なデザインによって『安物』にさせない努力の結晶である

と言えるのではないでしょうか?

ボルティのことをひと口に『安物』と評価する人が居るとすれば、その方はよほど幸せ者なのか、値段でしか物の価値を感じられない不幸な人なのか、或いは歴史に興味のない人なのかもしれませんね。
SUZUKIアンチは帰ってどうぞ。

そしてボルティが人気を博したもう一つの理由が、ライトウエイトスポーツとしての良好なポテンシャルです。

その重量なんと125kg

か、軽い……。

というのも、ボルティ自体がクラスとしては非常にコンパクトであることと、空冷250ccという非常に軽量なエンジンを搭載し、ラジエータやウォータポンプ、インジェクションポンプといった重量のかさむ装備が存在しないからというシンプルなもの。

これで普通に鉄フレームだし鉄のスイングアームだからすごいよね。

そしてその軽さに加えて、シート高780ミリ前後という親切設計による足つき性の良好さから女性ライダーにも大変人気なバイクであるという事実は、下卑た話ですが忘れちゃいけない特徴ですよね!

男がバイク屋に彼女連れてきて選ばせる乗りやすいバイク第1位みたいなイメージがあるのは僕だけでしょうか。

そして、それに搭載されているのがオフロードバイク譲りのおよそ16kw/20馬力を発揮する同クラスとしてはハイパワーな心臓。
250ccだから限界こそあるものの、ニュートラルなハンドリングと軽量な車体に裏打ちされ生み出される軽快な走りは、国内外でワンメイクレースが企画されるぐらいには見た目よりも頑張れるタフなやつということなのでしょう。

バイクに乗る人間ならだいたい想像できることなんですけど、20馬力って高速道路にでも乗らない限りは必要十分だしちょっと元気に走りたいときも、ゆっくりトコトコ走りたい時も肩肘張らずに付き合えるちょうどいいパワーなんですよね……(しみじみ)

『安く、多く、強い……それが戦場で最も喜ばれる商品です』

と、昔から大好きな漫画『ヨルムンガンド』でとあるベテランの武器商人が言っていたんですが、ボルティこそ正に

『最も喜ばれるバイク』

……なのかも知れません。

リーズナブルながらもブラッシュアップされたシャシーに、秀逸なデザイン、ライトウエイトスポーツとしての気楽さと軽快さ。

求める人に求める力を与えてくれるスズキが生み出したわかる人にはわかる名車こそがボルティなのです。

そして、そんなボルティだったんですが、惜しまれつつ2004年に後継車種となるST250Eへとバトンを渡すことになります。

……グラストラッカーはどうしたのかって?

ボルティの話に熱が入りすぎて忘れてた。なんてそんな訳ないじゃないですk(殴

そして、我らがグラストラッカーはといえば、2004年から遡ること4年、2000年にボルティのプラットフォームを流用した兄妹車種として爆誕することになるのです。

■グラストラッカー■


さて、そんなこんなでやっとグラストラッカーの話です。

1990年代のアメリカに端を発したトラッカーブームに乗じる形で、使い古しのタイムプルーフされたプラットフォームをものともせず登場したのが我らがグラストラッカーです。

元々オフロードバイク用のエンジンがベースということを考えると、GNやボルティがオンロード向けであったこともあり、トラッカーというジャンルに首を突っ込んでいる本車はちょっとだけ先祖返りしたような気分になりますね。

ボルティと比較すると外装の変更点はもちろんですが、トラッカーというだけあって、グラストラッカーにはちゃんとトラッカーバーが……うーん?

グラストラッカー(NJ47A)初期型。
よく見ると根元のエキゾーストパイプが2本になっている。
NJ4BA(2004年〜)からは1本になる。

トラッカーバーというにはなんか根元が曲がりすぎてるような……気のせいかな?

(※トラッカーバーというのはダートドラッグレース用のバイクのハンドルバーのスタイルのことで、ハンドル幅が通常のストリート系バイクより広く、立ち乗りがしやすいように設計されたハンドルのことです。)

また、通常のバイクのタンクと異なり、必要最低限の容量を確保するスリムなタンクを装備してます。

それに何より先祖返りしてるなぁと思うのが皆さんなかなか気づかない、キックペダルの装備。

ボルティにもGN250Eにもついていそうで実は装備されておらず、なんとDR250S以来のキック付きとなりました。

グラストラッカーは一応量産モデルの公道走行も考慮した一般大衆向けのバイクなので利便性の観点からセルスターターも装備してますが、恐らくこれはバッテリーレス化に対応するための装備。

燃調(※燃料調整)がきちんと出ていれば、という枕詞は付きますがデコンプレバー(※エンジンにかかっている圧縮圧力を1度抜いて、キック始動しやすくするためのレバー)までついてるので、コツが必要ではあるものの通常でも一発で始動してくれることでしょう。

しかしこのキックペダル、ビッグボーイの方は調べてないのでわからないんですが、ビッグボーイでない無印グラストラッカーについては、初期型であるNJ47Aとその1度目のマイナーチェンジ版であるNJ4BA型以降のインジェクションモデルからは取り去られてしまっているようです。

普通のキャブレターなら機械式ですから、エンジンの回転による負圧で電気駆動のアクチュエーター(※作動装置)などを介さずにシリンダー(※燃焼室=ガソリンと空気が燃えるところ)へと燃料を供給できていたんですが、電気駆動のインジェクションポンプの採用によってポンプの作動自体にバッテリーの電圧が必要不可欠となったことからキックペダルの採用がそもそも無意味になってしまったんですね。

まぁ、でもねぇ……。

特に旧車好きな人になってくるとキックペダルでエンジンかけるってある種の憧れなんですよ。上手にキック一発でエンジン始動できる人って、男からするとめちゃくちゃかっこいいんです。

特にここではビッグボーイをあえて除外して話をしますが、グラストラッカーをお買い求めになられる方で外観上の違いや機能上の違いとして気を付けたいポイントがいくつかあるんですけど、そうですね、ここはちょっと分類しましょうか。

◆購入前に知っておきたい!型式違いでここが違うぞ!グラストラッカー!◆


▶エキゾーストパイプについて


大体この手のバイクを買うぞと思ってると一番最初に変えたくなりそうなのがマフラー。

NJ47A(初期型は)シリンダーから出たエキゾーストパイプ(※排気管=シリンダからマフラ(消音器)までを繋ぐパイプで排気ガスが通ります。)の取り出しが二本になっていて、NJ4BA以降は1本になっています。

それと、先に申し上げておきますがインジェクションモデルに関しては、マフラーに触媒が付く付かないによって、あるいはO2センサーの付く付かないによって適合するマフラーの数がぐんと減るので、そもそもおすすめしません。
逆に吊るし(そのまま)で乗るよ!派手なカスタムしないよって方は、2009年以降のNJ4DA型を圧倒的にオススメします。

では具体的に言うと何が違うのか。

何が違うの?


①【NJ47A型】スクランブラーが特に作りやすい。 特にスクランブラーやVMXを作る方で、アップマフラーを取り付けたい方はこちらの方が一般的には見た目かっこよく、出てるパーツの数も何故かNJ47A用のものの方が圧倒的に多いです。

②【NJ47A型】男の2本出しは禁断の果実である
また逆に2本出しにできるという点をもって主にカフェレーサースタイル等で左右2本出しを志す猛者がごく稀に出現しますが、排気ポートが二つあるとしてもシリンダーが一つなので正確に排気を等分出来ない上、1本あたりの排気の量が確実に減ることからエキゾーストパイプが構造的に長すぎる形にならざるを得ず、排気効率が悪化して色々面倒くさいことになるであろうことは、火を見るより明らかです。
最終的に、エキゾーストパイプを集合させることを強くお勧めさせていただきます。

③【NJ4BA】ワンオフエキゾーストが作りやすい。
これは実際にプロに仕事を頼むならっていう話になるんですが、普通に考えてパイプ2本を加工するより1本分で済んだ方が材料費をはじめとしたコストが2本出しで作るよりも通常は安いというのが1つ。
もう一つは普通に1本出しの方が簡単に制作できる部分、性能の想定がしやすくワンオフものでも実際に安定した性能を発揮しやすいというのが二つ目。

見た目以上にカスタム上の障害になりうるので、カスタムベースとしての購入を検討されている方にはここはよく吟味していただきたいところですね。


▶キックペダルの有無について


そして次に問題になってくるのが、先にもだいぶガッツリ触れてしまいましたがキックペダルがあるかないかという話。

正直カフェレーサーにするにしてもスクランブラーにするにしてもボバースタイルやチョッパーにするにしても、特にビンテージなイメージをお求めの方はカスタム上の様式美という側面から取っ払ってしまうことの多いバッテリー。

バッテリーを取り外すカスタムを一般に多くの人がバッテリーレス化という程度には多く見られる手法なんですが、それに欠かせないのはキックペダル。

キックなしのボルティが存在してそれと同型のエンジンを使うグラストラッカーがキック付きで存在するという観点から、

後付けとか簡単にできんじゃね?

ど舐めてかかる方も多いですが、実はキックのない車体にキックを取り付けようというのは、そんなに簡単なお話ではなかったりします。

キックペダルというのはそもそも足で蹴ってやることによってエンジンのクランク軸(※これが回ることによってエンジンが動作している状態を回転する、回ると言われる語源になってるぐらい大事なパーツです)を物理的に手動で回すことで得られた負圧と起電力により、キャブレタを駆動させると同時に、エンジン始動に必要な起電力をまかないスパークプラグ(※ガソリンに火をつけてくれるすごいやつ)に点火させてエンジンを始動させようという仕組みの入力部分なわけです。

クランクと常に直結しているわけではないのでそれなりにキックペダル用のギアやらクラッチやらが必要になってくるんですが、そもそもクランクケースの形状がキック付きとキックレスでは微妙に異なっているので、ポン付けはまず不可能です。

自分でやった訳ではないので、明言は避けておきますが、クランかケースを交換する必要性は出てくる可能性が高いでしょう。
だからこそ、肝に銘じていただきたい。


キック付きはNJ47AとNJ4BAまでです。

という訳で、最後に軽くまとめると、エキゾーストパイプの根本が2本出しになるのがNJ47A型のみ、キックペダルがついてるのがその後のNJ4BAまでで、それ以降のインジェクションモデルにはキックペダルは装備されていない。というお話でした。


▶話は戻って


さて、話を戻してグラストラッカーとボルティの違いの残りをご紹介。
あとは前方視界を阻害しないように絶妙なクリアランスを持って通常よりほんのわずかに高めに取り付けられているフロントフェンダーとか、追突された時のタイヤへの干渉を避けるための短いリアフェンダーとか、みんな知らないだけでグラストラッカーもトラッカーとしての基本はきちんと押さえてあったりするんですよね

……その割にフロントが18インチしかなかったりするのは突っ込まない方向で。。

それもグラストラッカーのデビューから1年後にフロントタイヤとリアタイヤを1インチずつ拡大したグラストラッカービッグボーイが登場して解消されることになるんですが。

そんなグラストラッカーは、ライバルとしてホンダFTR223、ヤマハTW225、カワサキ250TRとしのぎを削ることになります。

しかしそこはグラストラッカー、使い古されたプラットフォームの流用による圧倒的なコストパフォーマンスと250ccという排気量による他社に比べて余裕のあるパワーを武器に意外にも善戦。

バンバン200……?知らない子ですね。

リリースされた時期も良かったことが幸いし、国内外で一定の人気を誇るバイクとなります。

何より、そういった他メーカーのライバル(?)たちが続々と姿を消す中にあって、最後まで生き残った実力者なのです。

先程も言った『安く、多く、強い』はグラストラッカーにも当てはまると言って良いでしょう。

しかしそこはさすが不運の子スズキ、ヤマハTW225は言うに及ばず、カワサキ250TR、FTR223にすら、有名メーカーからリリースされるカスタムパーツの種類で大きく遅れをとるという

そこそこ売れてるにも関わらず刺さって欲しいところに刺さらない。

絶妙なバランスの取り方を披露してくれます。
ちなみにそれはボルティも同様です。

スズキというメーカーがお好きな方にしか理解を得られないと思いますが、そこが可愛いとこだったりもするんですけどね。

とはいえ、大元が日本人による日本人のためのアメリカンバイクを目指したGN250であることや玉数が多く尚且つ安いことも相まって、フレームをチョン切られてボバーやチョッパーになったり

グラストラッカーボバーカスタムの一例
無限の可能性を感じる。
フレーム切りたくないからやらないけど大好き

セパハンを取り付けられた挙句ロングタンクを取り付けられておひとり様仕様のカフェレーサーになったり

意外にも多いのがカフェレーサー。
いかにも軽そうだし速い(確信)

グラストラッカーの名前が示すフラットトラックに全振りしたようなガチガチのスクランブラーになったり

やっぱ元々そういう方向を趣向されてるだけあって一番似合う気がするのがVMX。

フルノーマルで走ってる体の方が珍しいぐらいのカスタムベースっぷりを発揮してるのもグラストラッカーの面白いところです。
 
さてさて、では私のグラストラッカーは如何かと言えば……。

お前はVMXとチョッパーどっちになりたいんや!!

こちらでございます。

ちなみに反対側。

友人には『ずいぶんでっかいGN(125)やな……』
と言われてしまった悲劇の子。

でもまぁ、カスタムなんて人それぞれです。
持ってるオーナーが納得すればいい話。

じゃあ、なんでこのブログをやり始めたのって?
皆さん、薄々感づいてるでしょ?

ここまでの僕のいやらしい文章を文字通り嫌という程見てきて……。

こんなに卑屈で卑劣で矮小な私がおしゃれなカフェに行ってインスタ映えしそうな可愛いパンケーキ頼んだり、どこそこ行ってきたって報告するだけの日記みたいなことすると思いますか?

しません(即答)

では何をするか。

バイクオタクらしく……いじるんですよ、自分でぇ。(迫真)
 
次回からはそんな私の、抱腹絶倒になるのか七転八倒になるのか、悪戦苦闘のカスタム記録を、月刊誌より遅い頻度にはなるでしょうが、お送りしていけたらなと考えている次第です。

ここまで書く間に何と消費した文字数19000字に届きそうですよ。

19000文字といえば短編小説なら軽いもので2冊分です。

皆様、よくぞここまでお付き合いくださいました。
ここまで読んでいただけた、勇気と根気に溢れる皆様なら、きっとこれからお送りしていくことになる悪戦苦闘の連続にも楽しんでお付き合いいただけることかと存じます。

次回からは記事に使った文字数も気にしながら、まずはカスタムの方向性を決定していこうと思います。

どうぞ、お楽しみにお待ちくださいませ。


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