宅建に1点足りず不合格になり、情緒がえらいことになった女の記録
令和5年の宅建に不合格だった人はいるだろうか?
いるよね、合格率17%だもんね、ほとんどが不合格で構築されてる資格。そりゃ大勢いる。
仕事以外、自由になる時間を勉強にあてていて、
「こんなシンドイ勉強は今年限りで終わらせてやる」と半年以上やってきた人ほど、辛いクリスマスだろう。
「なにがクリスマスだ」と苦い思いが胸に横たわっているかもしれない。
わかる。その気持ち、すっげーわかる。
わたしも一昨年そうだったから。
チキンやケーキを食べた記憶も曖昧だし、味なんて覚えちゃいない。
周りが楽しそうだから普通にしていたけど、布団の中では身もだえするほど悔しくて、胸をかきむしる思いとはこういうことだとまざまざと体験した。
離婚したときでもここまで苦しくはなかった。
辛かったけど別れたくて離婚したので後悔はミジンコの尻の穴ほどもない。
それより思い出すのは、ほんの些細な問題の読み間違い。
第一種中高層住宅を、第一種低層住宅と間違えたのだ。
信じられなかった。こんなミスする?! って本当に本当にすごいビックリした。
それから確認の順番を宅建業法から法令上の制限ではなく、業法から権利関係にしてしまったこと。
逆であれば絶対に気付いた間違いがあった。
でも、それらに気付かず令和4年の試験で35点で不合格になった。
そう、わたしは1点に泣いた女なのだ。
模試で37点取っていたし、不勉強ってわけでもなく、自己採点ギリ36点だったので合格発表のサイトに自分の番号がなかったのを見て固まった。
「え? 嘘じゃない?」
って何度もリロードしたし、1分おきに確認した。
でも、当然だけど画面に変化はない。
「そっかー落ちたのかー」ってTwitterで不合格だった旨を書いて、また来年頑張るよ~とか書いたと思う。
けど、その後、「いやいや、ないない。あり得んて。なんかの間違いだってガハハハハハ」
知らずに笑いがこみ上げてきて、部屋中うろうろして、なんなら散歩に行って頭冷やして、シャワーも浴びた。けど結果は変わらないままだった。
そこから記憶が飛んでいる。
翌日きてくれた介護ヘルパーさんが「頑張ったね」ってケーキを持ってきてくれて、ありがとうって受け取った。
「落ちたよ。めちゃくちゃ頑張ったんだけど、落ちたならしゃーないよね」
そう言った。
ヘルパーさんは、「体重こんなに落ちるくらい頑張ったじゃない。今日は何食べたい? なんでも作るよ」
にこにこしながら労るように返してくれる。
一応説明しておくと、わたしは難病持ちで障がいがあるから週に2回ヘルパーさんがきてくれて、重たい買い物とか、体調が悪いときが多いのでご飯を作り置きしてくれるのです。
で、話を戻すと、食べると眠くなるから9月くらいから夜はおにぎり囓るか、プロテインだけで済ませていたので、2ヶ月で6キロくらい体重が落ちていた。
代わりに糖分の消費が半端なくて、甘いものを貪りまくっていたな。
ヘルパーさんが言う。
「精一杯やってたもんね。ほんとによくやりきったよ」
チクッってした。
なんか痛い。
ズキズキッとする。
なんだ、なんだ、すげぇ苦しい。ってか痛い。
目の前のヘルパーさんの顔が歪んだ。と、足の力が抜けて腰を突いた。
「うわあああぁぁぁうぼおおおぉぉっ」
座り込んで声を上げて泣いた。
立てない。うつむいた顔が上げられない。
あのおもちゃ欲しいの! 買って買ってぇぇ! と全力泣く3歳児とタメ張れる。
「なんで? ギリ合格点だったのになんで落ちた!? 意味わからん!」
ヘルパーさんが、驚きつつも「頑張ったよね。後悔ないくらいにできたって話してくれたじゃない」
と背中をさすってくれるんだけど、ばっきり折れた心はもどらない。
どうしても泣き止めない。
「後悔ないくらいできて、ギリギリだけど合格点だったんよ。なのにどうして? どこを間違えた!? うあああああああ!」
縄張り争いで喧嘩する猫なみに全力振り絞った大泣き。
1月から1日3時間、7月の模試以降は1日5時間。
週末は11時間と比喩ではなく、すべてを勉強に注いできたから、それらが意味を持たなくなったことの底の抜け方は半端なかった。
ヘルパーさんが勉強したことは無意味じゃないよと伝えてくれるけど、合格する目的で始めたことだから不合格では意味はない.
わたしはトロフィーが欲しかった。
で、50も過ぎると泣き続ける体力もないので10分も過ぎるとスンッと収まった。
それ以降は泣きはしないけども、じくじくと心が痛んで、それでクリスマスを迎えたけど、なにがめでてぇんだってやさぐれていて冒頭にもどる。
あれだけ勉強でお世話になりまくった宅建動画の先生たちの声を聞くだけで反射的に無理って画面閉じてしまい、立ち直るまでに時間がかかったし、今でも思い出しては軽くため息を吐く程度には悔しさは残っている。
それで、令和5年の今年はどうしたかっていうと受験したのよ。
結果34点。
もちろん不合格。4月から一切勉強できなかったから当然の結果なんだけども。
7月に受験を申し込むかもかなり悩んだ。
2年前に余命宣告された愛犬の時間がついに尽きるときがやってきていたから。
ガンだけでなく慢性腎臓病も発症し、ガンの痛み止めの薬を飲ませ、吐き気を抑える点滴を打つ日々。
残された時間は犬の苦痛を取り除くことと、食べたり食べなかったりする食事のこととか、ちゃんと抱っこして看取れるだろうかとか、そんなことばかりぐるぐると考え、犬を心配させないように「泣くな、泣くな」と自分に言い聞かせていた。
そして7月1日。
受験できる選択を選べるように申し込みを済ませ、その4日後に愛犬は現世ですべての仕事を終えて旅立った。
火葬を済ませた後はうつろに過ぎたけど、自分の心をどうにか扱いつつ、「逃げてたまるか」と思って試験を受けに行った。
一昨年不合格だったときに心を寄せてくれた人がいて、ここで逃げたら義理を欠くと思ったのと、犬の死を言い訳にしちゃう気がして、とにかく試験だけは受けようと。
で、去年のミスを活かして、
五問免除→業法→法令上の制限→権利関係問14から問1
の順で解いた。
権利関係は問1が判例問題だから14から解いていけば残された時間が問1にかけられる時間になる。で、その上で余った時間で正解の肢が1、2で、3,4まで問題を読まなかったものの確認に当てた。
そうやって2時間に全力をたたき込んで34点。
4月以降半年勉強してないのにけっこう健闘したと思わん?
そんな話を友人にしたら、
「それ書いたらどう? こうやって勉強して35点、34点でしたって」
え? 落ちた人間の勉強法に需要ある?
と思ったけど宅建で一番層が厚いのは31~33点。ここに半分くらいがいる。(たしか)
なら、35点、34点って意外といける勉強方法じゃね?
というわけで、今これを書いています。
で、つまならいミスで1点足りなかったことをズルズル引きずっていたとき、こう言ってくれた方がいて。
「1点足りなかった。そういうミスも含めて合格できるようにするのが勉強じゃない? 羽田さんは40点取れる勉強ではなくて36点ギリギリの勉強しかできていなかったんだよ」
飛んできた矢に当たるってこんな感じか。
海上の揺れる船から扇の的を射貫いたくらい的中して、わたしは見事に海の藻屑となった。
気持ち的には40点取る気合いでいたよ? いたけど、どっかで35点取れれば合格できると思う心も確かにあった。
模試の予想合格点も35点だったし(令和3年の合格点数は10月、12月も34点)ギリでも受かればいいと思って挑んでいたところもある。
でも宅地、建物の定義はなんですか? というだけの問題文が呪文に思えた1月から大健闘したと思うので、そこは素直に褒めてもいいじゃないか。 学生時代の受験より頑張ったと思うし、50過ぎて勉強する意欲があるのは結構なことだ。問題は、
「じゃ、今後どうやって勉強する?」じゃない。
「運も実力のうち」という言葉がある。
迷った方が正解していた1点で合格になった人はきっといる。でも、同じく反対で不合格になった人も必ずいる。
次からわたしが書くことは合格に導くものじゃないし、しょせんは不合格だった人間の話なんだけど、ほとんどの人は最初、問題文を見て「は?」って、目が滑ったところから始めたと思うので、
「不合格だったけど再チャレンジするか悩んでいる」
そういう方向へむけた記録です。
「もう金輪際、勉強なんかゴメンだ」と思っていても、ほら、人って変わる生き物だから、ふらりとやる気がもどる時もあったりするから、決めつけないでゆる~くいこう。
不合格だった人も落ち込むだけ落ち込んだら、自然と楽しいと思える日常にもどっていくから大丈夫。
わたしはラーメン半チャーハンセットが美味い! と完食できたときに立ち直った手応えを感じました。
まさに食は生きる。
あと、賃貸物件を借りるときに宅建はほんと役に立った。
重要事項説明するする入ってくるし、特約条項がめっちゃ気になる。掲載情報では「備考」が多いな。
あと、宅建受験の話って不動産屋さんと話す格好の導入口。
やっぱり受験がノルマで苦労しているそうで。(がんばれ……)
お陰でよい物件を探してくださり来年1月に引っ越しです。
少なくとも勉強した方は賃貸において騙されることはなくなるんじゃないかな。質問もできるし。
少なくとも牽制にはなる。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次回は「業法は17点ないと合格は難しい。権利関係より業法強い方が合格すると思うんだよ」です。