ここで登場する市兵衞さんという修験者について詳しくわかる面白い文献があるので紹介したい。
教内の学校に在学していた頃、市兵衞さんについて調べてこいと宿題を出されて、すでに知っていた上記の参考文献を用いて提出した。
翌日、“教義について詳しい”とされる先生から叱られた。「こんな信憑性のない文献を用いるとは何事だ」と。
確かに、これは教会本部の権威の下、発行されたものではない。上記の記載だって信憑性があるかわからない。すべてが史実ではないかもしれない。だから先生という立場上、こうして生徒の僕を仕込まねばならなかったのだろう。
でも僕は言ってやりたかった。
奥谷さん(著者)だってこの一冊を書くにあたって血の滲むような努力をされたに違いない。あたれるだけの史料にあたり、調べうる限りを尽したに違いない。市兵衞さんの記述にしても、なんの本も参考にすることなく、誰からも情報を集めずして適当に書いてるなんて思えない。それがただの噂程度のものであったとしても火のない所に煙なんか立つもんか。
この文章を書いているとき、そんなこともあったなあと記憶がフラッシュバックした。すこし微笑ましくもある思い出にひたりながら筆をおくことにしたい。
あの時、僕の心の中でうずまいた違和感と、かけがえのない資料への想いが、「ふくのたのしみ」というスタンスのnoteを書こうとした理由なのかもしれない。