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同じような話が二個あるって話(その①)

夕づとめの時、祖霊殿に拝をしていると蚊が耳元で羽音を立てた。不快な音に集中力が少し削られる。手で追い払おうとした瞬間に蚊に纏わる、こんな先人のエピソードを思い出した。
船場大教会初代会長であられた梅谷四郎兵衞先生のお話である。

ある人が梅谷のお話を聞きに来た。夏の夜のことで、蚊の食うこと頻りであった。その人たまりかねて、頬の蚊を平手で打ちとった。梅谷はそのとき、
「それでは今日はこの辺にしておきましょう」とお話をやめて立った、ということである。

道友社編
『先人の遺した教話 静かなる炎の人・梅谷四郎兵衞』
(昭和53年9月,天理教道友社,「解説」p.6)


蚊程度に気をとられるようでは、本当の神様のお話を取り次ぐことはできないというのである。この時の様子は山本順司著『静かなる炎ー梅谷四郎兵衞伝ー』207頁に詳しい。

これとまったく同じような話が桝井伊三郎先生にもある。

晩年、あるお道の布教者が信者を連れて、桝井にお話を伺いに上った時、丁度夏のことで、その信者の顔を蚊がさしました。その人は、思わず、ぴしゃりと顔の蚊をつぶしました。それを見た桝井はお話をやめて、
「また、いずれさせてもらいましょう」
といって、それから、その人にはお話をしなかったと言われます。
桝井としては末代結構のこのお話を、蚊一匹ぐらいに心をうばわれてしまうようでは、どうもならんと思ったのでしょう。実際、桝井の信仰はそんななま半かな信仰でなく、命がけで信仰し、命がけで教祖から教えを受けて来た信仰であったからでしょう。これは教祖から直接教えを受けた人々の共通した気持であったように思います。

高野友治『先人素描』
(昭和54年4月,天理教道友社,p.34)



特筆すべきは、当時のおやしきでも、抜群に教理に深かったお二人の先生のエピソードとして残っていることである。 

少し余談になるが、梅谷先生は"純教理の梅谷"、桝井先生は"教理の達人"と言われることもあるし、清水与之助先生、平野楢蔵先生と並んで「お道(本部)の四天王」にも選ばれている。

理に厳しかったと言われる梅谷先生は分かるが、温厚なイメージの桝井先生の話としても残っている点は興味深い。先生の教理へ対する態度や人格を偲ばせていただく上でまた新しい色合いのピースである。

そんなわけで状況は全然違うけど、手を振り上げそうになるのを抑え、自分自身の教理に対する気持ちを自省すると共に、そんな当時の熱烈な信仰の息吹を感じる逸話を残してくれた尊い先人のご生前をお偲びし、さらに深く拝をさせていただかずにはおれなかった。


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