![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132991398/rectangle_large_type_2_0cb9650cb68bd6eb4cd978a21052ab4c.jpeg?width=1200)
「よふぼく」はいつから?
おさづけの理を拝戴した人のことを「ようぼく」と呼びます。
天理教の人なら、もちろん知っていますよね。
ずっとそう聞かされてきましたから。
ところで、おさづけの理を拝戴した人のことを「ようぼく」と呼ぶようになったのは、いつからでしょうか?
教祖が初めて赤衣を召された明治7年?
教祖が身を隠された翌年の明治21年?
一派独立をはたした翌年の明治41年?
復元が提唱された翌年の昭和21年?
ごめんなさい。全部違います。
正解は
:
:
:
「昭和34年」です。
天理教の歴史の中では意外と新しい出来事なんです。
それでは、順を追って説明していきましょう。
まず「おさづけ」について
教祖ご在世中には、複数のさづけがありました。
・扇のさづけ
・御幣のさづけ
・肥のさづけ
・いきのさづけ
・煮たものぢきもつのさづけ
・水のさづけ
・ぢきもつこう水のさづけ
・あしきはらいのさづけ
・てをどりのさづけ
・かんろだいのさづけ
教祖伝や逸話篇で見かける「さづけ」もありますね。
この中にある「あしきはらいのさづけ」が現在の「おさづけ」です。
かつて教祖によって、いろいろな種類のさづけが渡されたが、明治40年、本席飯降伊蔵が出直しの折、以降このさづけを渡すと定められ、以後授けられているさづけは「あしきはらいのさづけ」だけである。
「あしきはらいのさづけ」を最初に授けられたのは、明治7年、辻忠作先生です。
なお、さづけ自体は明治7年から遡ること10年前、元治元年からいくつか授けられているようです。
つぎに「よふぼく」について
おふでさきでは「よふぼく」「よふぎ」と表記されています。
初めて出てくるのは、明治7年に書かれた「おふでさき第三号」です。
だん/\とをふくよせたるこのたちき
よふほくになるものハないぞや (三 - 49)
一寸はなし神の心のせきこみハ
よふぼくよせるもよふばかりを (三 - 128)
よふぼくも一寸の事でハないほどに
をふくよふきがほしい事から (三 - 130)
現在の「おさづけ」が初めて授けられた年も、おふでさきに「よふぼく」という言葉が初めて出てくる年も、どちらも明治7年です。
なかなか、興味深いところです。
さらに「教規と規定」について
○ 明治21年
明治21年は、教祖が身を隠された翌年です。
「神道直轄天理教会」を設置するにあたり「神道天理教規約」が制定されます。
○ 明治41年
「神道天理教規約」はその後、何度か変更が加えられ、明治41年に一派独立のタイミングで、10章50条からなる教規と12種の規定に定められました。
その時の教規に、下記のような表現があります。
信徒にして授訓を得たる者を教徒と称する。
「授訓」とはおさづけの理を拝戴することです。
つまり、おさづけの理を拝戴した人を「教徒」と呼ぶとしたわけです。
ちなみに「授訓」という言葉、最近は使われなくなりましたが、牛込詰所の事務所では普通に書いてあります。
また「教徒」の表現ですが、同じ発音で現在「教人」という言葉がありますが、もちろんこの2つは違うものです。
教徒:おさづけの理を拝戴した者
(昭和34年まで使用)
教人:よふぼくで所定の検定や講習を経て本部に登録された者
(昭和34年以降に使用)
ちょっと余談でした。
○ 昭和21年
さて、明治41年の一派独立から時が進み、昭和21年。
戦争が終わり、復元が提唱された翌年です。
この年の教規改定で、先の部分が次のように変更されます。
信徒でおさづけの理を授けられた者を教徒と呼び、教師の職務を補佐する。
授訓という表現が、おさづけの理に変わっています。
○ 昭和34年
そして昭和34年の教規改定で、ついにこの表現になります。
信者で、さづけの理を受けたものをよふぼくという。
このように変遷して、おさづけの理を拝戴した人を「ようぼく」と呼ぶようになったのです。
まとめ
おさづけの理を拝戴した人を「ようぼく」と呼ぶのは、ある意味、人間が決めたことです。
人間が決めた「ようぼく」です。
だからといって、人間が決めた「ようぼく」はダメだ、と言うつもりはありません。
「ようぼく」という立場だから、「ようぼく」と呼ばれるからこそ、人助けに向かう人もいるでしょう。
仮に積極的に人助けに向かえなくても、そういう心構えで通ることもできるでしょう。
そうやって年限を重ねていくことが大事だと、おさしづには書かれています。
年限の経ったものでなけりゃよふぼくには使われようまい。
年限の経たぬものはよふぼくにはならん。
( … 中略 … )
年限経てば年限相応だけ間に立つ。
年限の古いよふぼくでは揃わん。
後々足らぬ処は年限待つより外はない。
年限経ったならこそよふぼくという。
(明治28年10月7日)
人が決めた「ようぼく」になったときが、親神様が望む「よふぼく」へのスタートかもしれませんね。
種を蒔いたる年限からよふぼくという。
さそうと言うて出来るものやない。
しようと言うてさせるものやない。
(明治31年10月1日)