世良親王と宍粟

ちょうど昨日ちょっとした用事で宍粟に行く機会があり、
関連してなのか、いろいろとお話を聞く機会あり。

後醍醐天皇の第二皇子の世良親王の末裔にあたる方が身近に居られて、兵庫県宍粟市の世良親王との関わりについてお話をお聞かせいただきました。

お話をしてくれた方の母方が世良親王の筋にあたるそうです。
兵庫県宍粟市は播磨國一宮の伊和神社がある場所。
世良親王は後醍醐天皇の第二皇子で優秀であったため後醍醐天皇からも可愛がられていたようです。醍醐天皇の側近「後の三房」のひとり北畠親房が乳父であったことから大事にされていたことからも、それがうかがえます。

後醍醐天皇といえば南北朝時代、天皇家でも南朝、北朝で政争が続く時代ですが、皇子の兄弟の中でも抜きん出て優秀だと命を狙われる時代。
世良親王も命を狙われる危険から、宍粟の地に身を隠すために移られてきたとか。
宍粟市一宮町生栖(いぎす)という地がそこにあたるそうですが、地名の生栖というのは、もともとは隠棲(いんせい)(意味:実社会を離れ、目立たずに静かな生活を送ること。)がらきているそうです。
代々受け継がれてきたもののうち一部は赤穂城の宝物館に寄贈されているものもあるそうです。


世良親王と宍粟について、またそれに関連して検索したサイトのメモで残してじっくり研究したいと思います。

簡単にWikipediaで後醍醐天皇の皇子を確認
一宮:尊良親王中務卿一品親王上将軍
二宮:世良親王大宰帥
三宮:護良親王座主征夷大将軍
四宮:宗良親王(座主、征夷大将軍)
五宮:恒良親王皇太子
六宮:成良親王(征夷大将軍)
七宮:義良親王(皇太子、後村上天皇

八宮懐良親王征西大将軍明朝日本国王
懽子内親王伊勢神宮斎宮
祥子内親王(最後の伊勢神宮斎宮)

世良親王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B


後醍醐天皇皇子 世良親王墓

京都の嵐山、
ほぼ隣(東側)には安倍晴明の墓所がありますね。

宍粟市

https://ameblo.jp/sirgicalstlike/entry-10224423504.html


宍粟のあたりも縄文からの歴史がある土地


いいなと思ったら応援しよう!