俺の家の話(家紋・ルーツ)
家紋の出所・・・九条家より
沢瀉紋は、関白秀次、福島正則、水野家一門、木下家、土井利勝、
中津藩主奥平、毛利家、酒井家、池田家、中村、泉谷、大塚、山田、村上、橋本、安藤、三浦、児玉、都築、村田、前島、小川、町田、遠藤、中西、
羽太、黒川氏、原田氏 等々
西嶋家のルーツ
●西嶋の島と嶋について
西嶋の島と嶋については宇吉(私からみて3代前)の時代迄は嶋を使用。
その後の代(祖父徳次郎)にて島として届出た為に、本来は嶋なり。
溝之口邑(むら)にある天之御中主神社に見える西嶋政玄の名前からも明らかである。
●姓人名由来によれば渡来系秦氏 辛島氏の宇佐八幡の祭神八幡(ハタ)大神からの発祥と思える。西嶋姓は九州が最も多い。
●宇佐八幡と京都松尾大社の縁深いものを感じる。又氏寺は太秦の広隆寺、氏神は松尾大社、伏見稲荷や平野神社も縁の社。
薩摩の島津氏、越中の神保氏、対馬の宗氏はこの一族。
●「姓氏語源」丹羽基二(角川小辞典14)より
西島は秀郷流藤原姓、河内讃良郡秦姓の氏等有り
天児屋根命23世孫=藤原鎌足(中臣鎌足)は天智天皇(中大兄皇子)と大化の改新をなした藤原の発祥地は大和国高市郡藤原
秦氏は河内の文(西文)は漢の高祖の後裔という博士王仁の末
倭の漢(アヤ)(東漢)後漢霊帝の という阿智王の末
天神物部氏の一族(饒速日の命の末)秦氏韓国(カラクニ)中臣氏(津速産霊の末)藤原氏
以上より秦氏、藤原氏の流れと思える。
平成5年11月1日藤原の古代の宮があったと伝承の千ヶ峰の磐座発見霊的感応中臣鎌足神社の参拝又九州時代宇佐八幡宮での不思議な体験(エンジントラブルの事故から救われた)
又、橿原時代の高市郡、又阿智王のこと、熊本黒川氏(原田家)系図と秦氏の事、不思議体験数々有り。
特に平成12年12月中国訪問時に黒川さん(熊本に代り)白衣観音様との対面に続き天台山総帥の可明法師と対談、日中友好の日章旗への寄書き~秦の廟堂訪問は秦の始皇帝の導きと思われてならない。
有栖川親人殿下との不思議なつながりも、これら一貫した仕組みと思われる。
又、秦一族の統領的系統を秘かに伝承を受けている坂東一男氏徳島氏八多町との出会いも又仕組まれていたものではなかろうか。そこで祀られていたのが聖徳太子でもあった。加古川は聖徳太子とは深い縁あり。
西嶋正憲家に祀られている天魂之大神とは別名天之御中主命と聖徳太子の旧事本記に記載されており、この記事を発見したのはあさ子であり、その原本のコピーは川田吉子(旧称八多吉子)であり、これらの不思議は平成11年から始まった。アワから始まるということが現実化して来た。天魂之大神の役目は神の先導と、世直しの神の応援に天下ったと神示で聞かされているが平成13年8月24日西宮の廣田神社(天照大御神の荒魂の鎮座の社)にて、アワ歌の事(言)始めがあり、奇しきも同席を夫婦揃って参席してイザナキ、イザナミの示しを実際に行った。
平成13年8月26日祖父命日のこの日佐々木信夫氏(イトコの夫)を見舞い不思議な兆候と共に彩雲の立っているのを見る。
平成13年8月30日 正憲 記
(本日一気に図示す)
上記は、父正憲が記した家系図に記されている記録文
令和4年3月22日 康雅 記
追記
こちらは本とは少し違う