「なんかの宗教」という概念
よくわからない思想や行動・習慣に出くわした時、
その話をするときに、
「まるでなんかの宗教みたいな・・」という文言。
よく耳にする言葉ですよね。
特に関西の人は使います。
悪気はなく、半ば冗談やノリで面白おかしく話をする場合が多いのですが
(特に関西人は笑笑)
たまに本気で「なんかの宗教?」という人がいます。
そして最近多いのが「無宗教」という価値観。
(これはまた別の時に書きます)
日本に生まれ、日本の習慣の中で生活し、親と学校・社会の中で周りの環境と馴染みながら生きてきた人たちというのは、必ず『宗教』に触れています。
それは特に仏教系が多いです。
『宗教』に何かしら触れているというのは、別にお経が読めるとか作法を知ってるとか、そんな話ではありません。
あなたが何気なく当たり前としている礼節や慣習、それが自分の「常識」となっているもの。
例えば、手を合わせて「ありがとうございます」という感謝の姿勢。
合掌をする。
「いただきます」「ごちそうさま」もそうです。
これは仏教だけにかぎりません。
キリスト教だってイスラム教だって、食事の前には神に感謝を捧げます。
(もちろんその他宗教も)
「そんなことはわかってるよ。おかしな奴らの集まり(宗教)のことだよ!」
って思う方もいらしゃるでしょう。
そもそもこれを観て下さってる方は、そんな事はもちろんお分かりのことだと思います。
そう、いわゆるそれは「カルト集団」や「詐欺組織」である。
という意味合いが「なんかの宗教」には込められているんです。
確かに、何を考えてるのかわからない。
内容的には偏ったものが多い。社会的秩序を乱す。
犯罪行為に走る傾向がある。
そして、実際なんかやっちゃってる・・・。
そしてここ最近も、カルトではないですがいわゆる新興宗教の問題で
大きな事件が起こった経緯があります。
(結局はお金の問題)
そういうのを観て、自分の生活環境に宗教観のない人は、
「ほんと、宗教してる人って変」
という回答になるんでしょうね。
なので、何でもかんでも宗教なら
「騙される」「取られる」「洗脳される」
というものになるんでしょう。
なんとも哀しい在り方です。
(ただ、そんな人でも神社や龍神様のようなパワースポットに行って自分の幸運だけは取ろうとするんですけどねw)
無知というのは盲目です。
視えているものしか信じないもの盲目です。
凝り固まった思想・思念しか生まれません。
ひいては対立しか生みません。
こういう観念も、宗教観の一つです。
宗教観があればこそ、学べる事なのです。
詳しく知る必要はありませんが、せめて自分の周りにある神社仏閣や
自宅のお仏壇や祭壇、祖父母やそのまた上のご先祖様・・・
周りがあって自分がある。
あなたは無の空間からいきなりポンと現れたわけではありません。
全ての縁起があって、今ここに在る。
という思いで「なんかの宗教」を見定めてみてください。
てんてん拝
⭐︎オマケ⭐︎
日本には『十三宗』と言われる古くからある仏教の宗派が存在します。
これらは今でも全国各地に寺院があり檀家さんも居て、代々受け継がれてご先祖様を供養されています。
「十三宗」とは、法相宗、律宗、華厳宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗のことです。
私の家は代々浄土真宗でありましたが、私は融通念仏宗に入宗し徳度を得ましたので現在は融通念仏宗の僧侶となっております。
融通念仏宗は、浄土教の宗派の十三宗の一つ。総本山は大念仏寺(大阪市平野区)平安時代末期の永久5年5月15日に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。当初は大念仏宗と言った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?