カタール旅行その4 ドーハ徘徊(11/24)
◇豪快な起床
早朝、信じがたいほどの轟音のラッパで目が覚めた。
スマホで時間を確認すると朝4:30。どうやらお祈りの時間らしい。
アラブの皆様はこの時間に神様に叩き起こされる生活をしているのか。どうりでお酒を飲まないわけだと思った。
僕は神様と言うものがよくわからないので、ボケがよう、と吐き捨てて二度寝した。
カタールでは町のいたるところで、地面に跪いて礼拝をしている人の姿を見ることが出来た。
決まった時間に決まった方向に祈りをささげる姿は美しく、とても人間的な行為だな感じたし、決められたことをきちんと継続できる強さも素敵だなと思った。
一方で、辛く悲しいことが起きた時、神様みたいなものを作りたくなる気持ちもとてもよくわかる。
どうせ人が作ったものだろうと、冷たい気持ちも同時に覚えてしまう。
僕が何かを信仰するのは難しいだろうなと思う。憂鬱なことだ。
それと、スタジアム内の礼拝場はみんな靴を脱いでたいたから、付近が相当臭かったらしい。
僕は臭いに弱いのでそのへんも厳しい。
結局8時過ぎに目が覚めた。
この日はカタラ文化村と言う遺跡を眺めて、ドーハの町を徘徊してから、19時開始のポルトガル対ガーナ戦を観に行くつもりだった。
自覚は無かったのだけど、どうやら疲れて切っていたみたいで、起きた瞬間に吐き気がした。
慌ててトイレに駆け込んで、少し吐く。あまり食べてなかったので、黄色い胃液が少しだけ出た。
しばらく酒を飲んでいないのに、二日酔いの時と同じ症状だった。しんどい時はすべからず二日酔いだと誤認する体になっているのかもしれない。
少しスマホをいじるなどぐだぐだして9時半頃に宿を出る。
行きのシャトルバスは前日と比べてかなり混んでいて、乗るだけで一苦労だった。
各国の団体がなんとなく陣取り合戦をしながら我先にとバスに乗り込む中、オマーン人の団体が僕を先頭に混ぜて一緒に乗せてくれた。
基本的にどの国の人も優しくしてくれるのだけれど、特にアジア圏の人達は積極的に助けてくれた。
隣に座ったオマーン人の男性(名前は聞き取れなかった)は、高校生の娘さんが日本のアニメが大好きらしく、とても熱心に話しかけてくれた。
僕は英語が出来ないだけでなく、少年マンガをほとんど読んできていないので、デスノートや進撃の巨人の話で盛り上がる事が出来なくて本当に申し訳なかった。
そんな僕にも彼は20分程度の乗車中、一生懸命話しかけてくれて、最後には娘さんに日本語でビデオメッセージを送ってほしいと頼まれた。
困った。難しすぎる。こんな時って何がウケるんだ。そもそも僕の日本語はかなり滑舌も悪く言葉も適当なので、教材になるとは言い難い。
結局何の冗談も思い浮かばず「僕は東京から来ていて、日本が勝って嬉しい😊」と言った旨をたどたどしく話して終わってしまった。
不甲斐なく、申し訳無かった。
次同じような機会があったら娘さんの名前を聞いて、「日本に是非来てね」と話しかけるくらいしたいので、なんとか再チャレンジさせて欲しい。
彼はアラビア語でありがとうは「シュクラン」と言うのだと教えてくれた。綺麗な響きだな、と思った。僕はありがとうは日本語で「ありがとう」と言うのだと伝えた。
お互いの言葉でありがとうと言い合って解散した。
地下鉄の駅に向かう途中、メキシコ人の集団に声をかけられて写真を撮った。口元に手を当てるようにポーズを指定されて肩を組んだのだけど、思えばそれはドイツ代表がFIFAへの抗議を表す為に試合前に取ったポーズだった。
負けたら徹底的に煽られるのはどこの国も同じだ。どんなに高尚な思想があっても、負けたら何も話せない。
◇ビーチで爆走
カタラ文化村はドーハの中心街から電車で20分ほど。11時頃に到着した。
地下鉄の駅を出た瞬間に潮の香りがパッとした。カタラは海辺の町なのだ。
少し歩くと、区民会館くらいのサイズのでっかいプレゼント箱が地面に突き刺さっていた。
とげとげだったり斜めになっていたり、「私は理由もなくただただめちゃくちゃなのです」と言ったような変な建物が続く。
変で、良い場所だった。
遺跡を少し抜けると海辺について、そこには本格的なビーチがあった。
普段は中に入るのに入場料がかかるのだけれど、ワールドカップ期間中は無料と立て看板に書いてあった。
午前・海、午後・ワールドカップ、なんて素晴らしい日なんだ。水着は持っていないけれど、日焼けくらいしておくか。
ココナッツジュースや水、スナック等を買い込んで(ビールがあればどれほどよかったか!)意気揚々と入り口に向かう。
ウキウキしながら入ろうとすると係員に、「お前と前の女性はカップルか?」と突然尋ねられ止められてしまった。
当然違うので「当然違う」と答えると、ここは家族連れと女性エリアだからアローンエリアに行っとけと注意を受ける。
わかるわけないじゃんね、とぶつぶつ言いながらとぼとぼと500mほど歩くと、でっかく『ALONE』と書かれたビーチが出現して笑ってしまった。
敷地内に入ると砂浜の照り返しで日差しが一層に強く感じられた。
海水は綺麗に澄んでいて、何と言うか、素晴らしかった。
椅子だけ借りて大人しく海を眺める。みな楽しそうに泳いでいて、羨ましい。
水着を持っていないけど、ランニング用の短パンだしな
タオルが無いか。まあでもTシャツで拭けば良いよな
靴もポンプフューリーだしまあほぼサンダルか
でも荷物がなあ、流石に中東で放置しておくのはやばいか。完全に全財産だしな
まあ別にやばく無いか
やばく無い事にして、荷物を置いてかなり真剣に泳いだ。水は心地よく冷たく、本当に最高の気分だった。
海で泳いだのは大学4年生の佐渡旅行以来のことだった。
それは20人数名の大学生旅行で、僕はそのチームのリーダーで、それはこの上なく幸せな環境で、心底気を使いながらもとても楽しく過ごしていた。
それから6年も経つと、ドーハの海辺を1人、真剣なクロールで往復する事になる。
別にどっちが良いとかでは無いけど、変わって行くことは面白いなと思った。
いよいよご機嫌になったので、駅までは電動キックボードに乗って帰った。
立川に試験的に導入されたBIRDと言うキックボードのアプリが、なぜかそのままドーハでも使えたのだ。
日本の免許なのだけど、乗って大丈夫なのだろうか。動くから乗るけど。
この海沿い無免許運転は、旅行の中でも有数の気持ちの良い時間だった。
◇知らん土地で知らん試合
駅の近くのカフェで簡単に昼食を済ませて、お土産を探しがてらドーハの街をうろうろした。
中心街は当然のことながらワールドカップ一色で、綺麗なビルの壁面には各国のスターのポスターがずらりと並んでいた。
昨日スタジアムで見た恐らく当地限定の日本代表Tシャツが格好良くて、唯一お土産を約束していた1個下の従兄弟の為に買ってあげたかったので、スポーツショップを見て回る。
日本代表のグッズは点数が少なく、何店舗か回ってようやく見つかった。
その頃にはすっかり体も冷え、スイム練の後の疲労と眠気がどっと来ていた。せっかくカタールまで来ているのに勿体無いなと思いつつ、30分かけて宿に戻って少し昼寝をした。
僕は1時間のんびり出来るなら家に帰りたいんだ。
もう完全に、東京にいる時と同じ動きだった。
ガーナ対ポルトガル戦が行われる974stadiumは、解体して再利用されることを前提に船のコンテナで作られたスタジアムだった。
つまりこの期間を過ぎたら使わないのだ!
ワールドカップ開催後にはもうサッカーをする気がないのに、新品のスタジアムはとりあえず建ててしまうのだから凄い。
昨日の勝利の効果からか、入場の待機列では日本人というだけで大人気で声をかけられ続ける。
サムライフットボールかニンジャフットボールかを何度も聞かれるので、「サムライ!!!」と馬鹿でかい声で返し続けた。
僕は海外サッカーで言うところのメッシクリロナ世代のドンピシャで、ロナウドを生で観られることにとにかくワクワクしていた。
ウォーミングアップからロナウドは明らかにオーラがあって、遠目から見ても誰が王様か一目瞭然だった。
そして試合中も全然走らない!ポルトガルはどの選手も超一流なはずなのに、最後はロナウドがゴールを決められるように全員が動いていて、それはまるでサッカーとは全く別のスポーツのようだった。
両チームとも基本的な技術がサッカー力が強く、レベルの高い試合で面白かった。
一方で、どちらにも思い入れの無い試合は少し退屈だった。長年地元のスポーツクラブの応援を趣味にしていると、どちらかに肩入れしないとスポーツが上手く見られない。
レベルが低かろうとなんだろうと、Jリーグが好きだし恋しいなと思った。
宿に帰ると22時を過ぎていた。
最後の晩餐は宿に併設のスーパーで、目につくものを全部買って全部食べた。
急激な満腹感と、もう明日は帰るだけだと言う一種の安堵からふっと気が抜けて、猛烈に眠たくなってきた。
荷物をスーツケースに詰めてみた。持ってきた荷物の半分も使っていない。いつもゴルフに持って行く用のボストンバックでもここには来れたんだなと思った。
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