政治家と多能工
ここ最近、目につくのが岸田内閣の閣僚の失態である
いつもながら、茶番劇に思えるのは、私だけだろうか?
野党は、ここぞと言わんばかりに『任命責任』を問うのだけれど、結局の話、誰が内閣を組閣した所で、また、同じ事の繰り返しである
正直、閣僚の替えは、誰でも良い気がする・・・が!
いっそのこと『17才の帝国』みたいにAIに支配して貰った方が、数々の『失態や失言』『金による多くの問題』で国会の機能を止める事無く必要な議論だけを審議でき、無駄な時間を使わない、完全な合理的な社会になるはずだ
もっと、言っちゃえば、国会議員って、必要なんだろうか?って、たぶん、必要ではないはずだ、なぜならば、国会議員って替えが利くからである
多少は、必要な場面が在るかも知れないが、基本は『官僚』が概ねの役目を果たしてくれるから事足りるだろう
国会議員って、製造業で言うと『単能工=一つの事だけをひたすらやっている状態』に過ぎなく、本来は『多能工=複数の事柄を多面的な視点で実施する状態』にしなければならないはずである
あえて言えば、『完璧な人間でなくてもいい』が、『この人だからこそ、出来る仕事=唯一無二の存在』である必要があるのでは無いだろうか