やさしい人
Twitterを通じて知り合った人達が居る。
同じミュージシャンが好きだったり、何かのジャンルでの好みが似ていたりする繋がりで出会えた人達。
実際にお会いした人もいるけれど、お会いしたことが無い人がほとんどだ。
お会いした事もなく、数回文字上で会話しただけでは”知り合い”とは言えないかもしれない。たぶん言えないんだろう。
だけど不思議なもので、同じ人のTwitterを見ていると、その人の人となりが滲み出ていて、お互いに数回のリプをしただけで急な親しみを感じたりする。あたかも”知り合い”を越えて”友達”かのような感覚になることもある。
なんとなく性格さえも解るような気がしてくるけど、実際は何も知らないから錯覚してしまうのはとても怖いことだとも思っている。繋がりは簡単に消えるし、客観視すればTwitterの捉え方なんて人それぞれだ。わかってる。
だけどずっとこの事を書きたいと思っていた。
私は自分の事を、本当にどうしようもない人間だな。と思うことが多くて、Twitterで深夜にポロッと自分の想いがこぼれまくって呟いてしまう事がある。弱ってたりするとね。
それは大体において衝動であり、大体において酔っており、時にトリッキー過ぎていたりする。そして翌朝自分のツイートに驚くことが非常に多くて本当にどうしようもない。
そんなインターネットの海で、イカダに乗って漂流しつつレゲエを聴きながら踊っているようなどこぞの人間のツイートにいいねボタンを押してくれたり、コメントしてくれる人が居る。
あぁ、またやさしい人にいいねボタンを押させてしまったな、とか、心配してくれてコメントをくれた人には申し訳なくて地面に顔をめり込ませてこのまま我、土となり…と思うと同時にありがたさの感情でさらに土に埋もれたくなる。
このようにねじれ過ぎて心底面倒くさい人間だと自分で思うが、それはTwitterでのリプライというコミュニケーションから生まれたものであり、極端に他者との関りを苦手とする私にとって、とても大事だったりする。
つまり、ありがとう。やさしい人へ。
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