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手の間 記憶の記録

福岡市内で10年間、雑誌発行とイベント企画を手がけた「手の間」を起点に、1998年〜2016年を振り返り、忘れがたい記事の数々をアーカイブしていきたいと思います。まずは、「手の間」が目指したものと、そこに至る背景をご説明いたします。



プランニング秀巧社しゅうこうしゃのシティ情報ふくおか


私の編集者人生のふりだしは、タウン誌「シティ情報ふくおか」です。編集部配属当初はスタッフ8名で、100ページ超えの情報誌を隔週金曜日に発行していました。東京の「ぴあ」をお手本に、福岡市内のショップ・レストラン情報といった街ネタや、映画・演劇・イベント・コンサートなどのエンターテインメント情報を1冊にギュッとまとめたタウン誌。足でネタを集め、情報価値を検証し、取材、原稿書き、撮影、レイアウト、下版作業まで、一人何役もこなすのですから、文字通り、目の回る忙しさでした。

磯崎あらた氏設計の秀巧社ビル(福岡市中央区渡辺通)はユニークだった。入社当時の編集部は1階。その上を空中通路が通り、奥が会議室。「シティ情報ふくおか」はプランニング秀巧社(1976年〜2005年)が創刊

下版げはん日には校正指示紙とカッター、定規、糊、修正用のバラ打ち写植を持って印刷工場へ出向き、手分けして校正部分を切り貼りします。台紙に貼られた版下の前に立ち、1ミリ単位で字間を詰める作業をした後などは、目と腰が痛くなったものです。

今では考えられないような手作業を繰り返したこの経験が、私に、「職人的な仕事のしまい方」を教えてくれました。完成した雑誌1ページの裏側にどれだけ多くの人々が関わり、こまやかな作業が繰り返されているかを、肌身で知ったのです。

未だに捨てられない、かすれた級数表とデバイダー。

福岡の街が大きくなるにつれ、「シティ情報ふくおか」の実売部数もグングン伸び、「美味本おいしんぼん」「九州の宿」「週末遊覧」といった別冊企画も増えていきました。これらの制作業務も、編集スタッフが並行してやりました。

日中は取材、夜はデスクワークをこなし、その後、深夜営業の店の下見をして帰宅するという日常。日に日に変わっていく福岡の街には無数のネタが散らばっていて、そのどれを拾って読者に差し出すか……。まるで銀河を泳ぐような作業は刺激的で楽しく、しかし、やがて疲れました。星をつかんだと思うのは束の間で、すぐに新星が現れる。追っても追っても届かない、そんな消耗戦のような閉塞感を断ち切ろうと、新規事業の海外旅行情報誌作りに手を挙げましたが、取材対象が海外都市に変わったところで根本的な徒労感は消えません。

ちょうどその頃、家族がタンザニアに赴任することが決まりました。私はこの変化に飛び乗ることを即決。退職しました。

1994年当時、個人旅行が伸び始めた時代。雑誌エイビーロードの好売上に倣い、福岡発着の海外旅行情報誌を立ち上げた。


編集対象の転換点はタンザニアに


タンザニアの暮らしは、日本とは全てが異なりました。このことはまた機会を改めるとして、やはりここでも私は「マイシャ」という名の在留邦人向け生活情報紙の編集をしました。婦人会で毎年発行される冊子の情報更新が主な作業でしたが、住む土地が変わっても私は変わらなかった訳です。しかし、テーマが違いました。タンザニアでは、それまで顧みることのなかった「日々の暮らし」というものと初めて向き合ったのです。

家ではアフリカ犬の雑種と暮らした
庭にはココナツやアボガドの木があって、実はみんなで分け合った
町中を走るバス(ダラダラ)は、日本の中古マイクロバスが主流
学校に通う子どもたち

そして帰国後、さぁ何をしよう?と思ったとき、選んだのはやはり編集の仕事でした。ただし、「情報を消耗するだけのような仕事はしない」と決め、1998年4月に「Sawa Company」という名の事務所を立ち上げました。


より素材に、原点に、寄りそう「土と皿つちとさら


事務所を開いてすぐに、農家や食品加工業者と消費者を結ぶ食の会員組織を作り、「土と皿」という冊子を発行しました。信頼の置ける安心安全の生産者の商品情報と、それが購入できる仕組みを作りたかったのです。リードしてくれたのは、「地域旨いもの研究所」を運営しているデザイナーの有吉みよ子さん。
タンザニアでの体験で視点に変化が起きた私には、エンターテインメント性の高い情報よりも暮らしに根ざした事柄を伝えたい、出会った人たちと顔の見える関係を長く続けたい、という思いが芽生えていたのです。


人の言葉の力と想いの強さを知った「モンタン」


そして2001年、「モンタン」というシニア向け月刊誌の業務委託を請けました。創刊して1年を経た雑誌の全面リニューアルを託されたのです。私は、シニアという定義をいったん脇に置き、「九州エリアを情報ソースにした、大人が興味を持ちそうな話題を提供する雑誌」をコンセプトに据え、ガッツリ取り組みました。九州中を飛び回り、再び、休みなしの深夜作業を繰り返す日々がやってきます。
ですが、不思議と情報を消費していく徒労感は感じませんでした。この雑誌づくりで、私は初めて、社外の人に育ててもらうという幸運を得たからでしょう。後に書籍を編集発行することになる珈琲美美の森光宗男さんや、スローフード大賞受賞農家の武富勝彦さんからは、特に深く「生き様と仕事」を学ばせていただきました。お陰で、編集者としての幅が広がったと感謝しています。

(写真右)今泉時代の店舗に立つ森光宗男さん。(写真左上下)8坪弱の店内には、どっしりとした風格と気品が漂っていた旧珈琲美美。※引用:モンタン31号(2002年9月25日発行)特集「ネルドリップ珈琲物語」より
(写真左)初めて武富勝彦さんを佐賀の畑で取材した。 (写真右)この黒米で作ったおはぎを食べたことが、武富さんを古代米栽培へと導いた。※引用:モンタン36号(2003年2月25日発行)特集「食を守るためにできること」より

「モンタン」の中心記事はインタビューでした。取材を受けてくださる方々のお話に耳を傾ける度、なんと一生懸命に生きておられるのだろうと、私は清々しい感動で胸が一杯になりました。お一人お一人が気負いなく口にする叡智に満ちた言葉にハッとさせられ、心に染み入り、じんわりと体が温かくなっていく時間を、私は何度も体験しました。詰まるところ、「人の想いがすべて」。これは、「モンタン」が私に教えてくれたことです。


手に刻まれた人生を見つめる「手の間」


「モンタン」の仕事を通じて、「人」に関心が傾いた私は、2005年11月にライターの矢野アキコさんと「手の間」を創業しました。これは、編集室とギャラリー空間が一体となったミクストメディアです。内装設計を建築巧房の髙木正三郎さんにお願いし、左官の原田進さんに漆喰壁や土壁をさまざまな表現法で塗っていただく、少しばかり実験的な試みの空間でした。

ここで我々が目指したのは、職人や工芸家、農家、料理人といった取材対象者と読者を直接結びつけること。記事にした時点で、そこに書かれた内容にはライターのバイアスがかかっています。それをできるだけ省き、我々は媒介に徹し、よりピュアに作り手の思いを届けたいと考えたのです。雑誌「手の間」で紹介した記事を、展示企画や講演会、食事会といったイベントに仕立て、読者が直に作り手と交流できる場作りを実践していきました。

手の間内観。手前の漆喰マスには稲を植え、床は土間と炭入りのモルタル仕上げに。
手の間外観。扉には土壁の塗り見本パネルを張った
手の間創刊号。特集は左官・原田進さんの仕事
原田左研のみなさんと髙木さん(右端)

「シティ情報ふくおか」時代に拾い続けた星の数に比べると、「モンタン」時代の出会いはぐっと狭まり、「手の間」では向き合う取材対象がさらに絞り込まれました。一人の作り手を紹介するのに、取材して雑誌を発行し、関連イベントを組み立てるという手間と時間をかけたからです。

ギャラリー空間には常設コーナーを設け、関わってくださった作家や職人たちの作品を展示販売しました。カウンターは、夜には、各地の農家や加工業者の食品を肴に、取材した蔵元のお酒を味わっていただく小さな飲み屋と化しました。「私たちがお客さまに口伝えする情報は調味料!」。これもまた、作り手と読者を結びつける、私たちなりの物語の紡ぎ方でした。

共同創業者の矢野アキコさん(左)と私・田中智子。夕方からは杜氏と農家の産品でちょい飲み食談義を楽しんだ。
講座講演・ワークショップ・教室・企画展示など、「手の間」誌面と連動したあらゆるイベントを開催した。
2005年11月〜2012年5月の6年半を過ごした後、手の間は、第2期として赤坂に移転した。https://tenoma.jimdofree.com/


ウエブで想いを届ける「手のマルシェ」


リアル「手の間」の活動は10周年を迎えた2016年1月で終了しました。しばらくお休みした後に、2020年12月にウエブ上で復活したのが「手のマルシェ」です。このECサイトは、「モンタン」「手の間」でご縁のあった作り手の作品・商品を、一人でも多くの方に知っていただきたい、届けたいという気持ちからスタートしました。いずれも大量には作れなかったり、完成までに時間がかかったり。およそネットでの取り扱いには向かない商品が並んでいますが、手にしたときに作り手の想いが感じられるものばかりです。

「手のマルシェ」で取り扱っている、作家・生産者の皆様の商品。


忘れえぬ作り手の物語を記録したい


残念なことに、私が出会った素晴らしい作り手の方々も、一人また一人と鬼籍に入るようになりました。ですが、そのとき、その場所に、その人がいた事実、抱えていた想いは消えません。

今回、noteでアーカイブしていくのは、1998年〜2016年に、私が携わった雑誌の記事や寄稿文、それにまつわる思い出です。登場するのは、職人、工芸家、芸術家、映像作家、建築家、農家、杜氏、料理家、焙煎士、バーテンダーなど、ジャンルもさまざま。

真摯に自分の人生と手仕事に向き合った人たちの、その想いにいつでも繰り返し触れられるよう、百年先でも出会えるように。
忘れえぬ作り手の物語を記録していきたいと思います。

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