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選んだほうが正解


履歴書はもう書けない。
正社員で働くことを選ばず、意図的に転職を繰り返してきた結果、わたしの職歴は二十代ですでに履歴書に書けないほどになっていた。ジョブカード講習というのを受けたことがあって、そのとき教えてもらったのだけどアルバイトは期間の短いものは書かなくてもよいらしい。なので面接を受ける際には職務経歴書を提出し、履歴書の歯抜け時代にはこんなことをやってましたと伝えるのだけれど、事務職の面接なら事務系の履歴を、飲食店の面接なら接客系の履歴を書いていく。そうこうしているうちに、職務経歴書もボリュームが増え、すっかりめんどくさくなってしまった。

職場で社会保険に加入できればその履歴がきちんと追えるだろうけど、そうやってきちんと自分の足跡を確かめられる人って実際どのくらいいるのだろう。国保、社保、国保、社保とスイッチしながらここまで生きてきたけれど、バイトを含めたわたしのたしかな足跡なんてわたしにもわからない。日雇いみたいな仕事もあったし、雇い主が誰だったかなんていちいち覚えてもいない。

わたしの主観ですが、人が動かない職場(業界)というのがあって、社員の異動がない職場だと人の入れ替わりがないかぎりは空気が停滞する。ある意味ナアナア。ある意味では中の人のことをそれぞれのひとが空気のように、手にとるように『察する』ことができる。でも風がつねに『ぬるい』。
その反対に人の入れ替りが激しい職場(業界)があって、ある意味で常にほどよい緊張感と新鮮さと、ある意味でやりきれなさを誰もが感じてうっすらフラストレーションが充満している。

今のわたしの職場は後者であって、社員の異動もしょっちゅうなうえにアルバイトの出入りも激しい。わたしの担当は他の人と協力してチームでやる仕事というよりは、ぽつんとひとり独立した仕事なので、閉じ籠ろうと思えばいくらでもそれが可能(かんたん)。そして人と積極的に関わろうと思えばそれもいくらでも可能(すこしむずかしい)。
どちらにも偏らず、ほどよくいられる仕事の仕方や立ち位置を見つけられてからは 仕事に集中も、人間観察も、いい感じでできている。
ダントツ最年長アルバイトなので、職場は一回りも二回りも下の子達で、
ここを離れるのは夢を叶えたくて海外へ、または東京へ、という子もいれば実家へ、という子もいる。
わたし自身は、履歴書を書くのがめんどくさい以外では仕事を転々としたことに一ミリの後悔もないので、
「やめようかな」のつぶやきを聞くと
「そうなんだ」の返答になってしまうのだけれど(さみしいけど、それもいいじゃないかと思っているから)
それは「冷たい」のかなあ、と最近になって思うようになった。

オバサンな私と仲良くしてくれていた子がまた、職場を去る。この職場にとって、この子が去ることは相当な痛手になるはずで、わたしもそれはわかっているし、それでもその子の心情もよくわかる。
職場に対してモヤモヤがあるとき、自分の正義や主張をはっきりと述べ、改善を要求するのもひとつの手だけれど、『そうしない』ほうを選んだらしい。
まだ若い。この体験があとあとどんなふうにか、活きて来るだろうと思う。戦うこともひとつだけれど、戦わないこともひとつ。

わたしは『選んだほうが正解』と思っている。自分も、人も。
ジプシーのように仕事を変え、住処を変え、友人たちからは呆れられていた私だけれど、
よく生きてきたなぁと、
巣立つように去り行く人を
見送る側になって そう思う。


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