山と海の循環
すこし前からようやく雨が降り始めて梅雨らしくなってきました。
雨上がりの虹を追いかけたいけど、今年はまだ虹に出会えていません。
そうはいっても、雨降りにもいいことはある。
森がゆたかになり、貯水率も上がる。
毎朝楽しみにしている朝ドラの『おかえりモネ』がこうした視点にたっていて、おおきくものごとを捉え、山と海でおこる大きな循環についてさらっと言っているのが素晴らしいと思って観ています。
昔、友人から教わったのですが
神社にお供えするものは
山の神社には海のものを。
麓の神社には山のものを。
たしかに山の神社に昆布をお供えしたり、
麓の神社にはお米をお供えしたりする。
神社によっても規模によっても変わってくるかもしれないけど、このお話を聞いたとき、なるほどなと思ったのを覚えています。
山の神さまに海のものを。
海の神さまに山のものを。
すべての神社や寺、聖域とよばれるすべての場所を
そう呼んでいるのは人間だけで、
そうすることに決めた理由があります。
山伏が法螺貝を吹くのも捧げ物としての音や波動、バイブレーションがあったからではないかと思えます(個人の考えです)。
山と海の循環。
ミクロとマクロ。
地球暦のてっぺんの夏至が近づいてきました。
ミクロとマクロのスイッチングをなめらかに、より自由自在に。
とらわれているものごとをぐんとドローンの視点にまで引いてみる。
ぼやけて見えないものごとをぐんと顕微鏡の視点にまで拡大してみる。
使うことで自分から自由になり、かつ、より自分になる。
トップにあげた写真は、
サクラでもランでもないのにサクラランという名前の不思議な植物。
森を歩いていると
となりあった2本の木に、トップにあげたものと、こんなふうな不思議な花が。
サクラランは観葉植物として家庭でも好まれるものですが、種類がほんとうに豊富なようでまだわかってないこともたくさんあるようです。
私もまだ、私のことを知らない。
自分という存在に『興味をもつ』
その姿勢はずっと持っていたいと思います。