ささやかな毎日
ずっと前のことですが、
結婚してまだ間もない友人から、こんなことを打ち明けられたことがあります。
朝「行ってらっしゃい」と送り出す。
するとそこから一気に不安が押し寄せてきて
「この人はほんとうに今日、帰って来るだろうか」と
心配でたまらなくなるという話でした。
ご主人が他の女性と…とかそういう方面の話ではまったくなく、
「あの人は無事だろうか」「ちゃんと家まで辿り着けるだろうか」みたいな、
いま目の前にいる彼女というよりは・・・
かなり古い時代を生きた女性が
いくつもの海山越えて出かけていった人を思うような、
そんな壮大な不安でした。
当時、私はまだ今の夫に出会う前で
いわゆる『新婚さん』の彼女がそんなふうに思うのが不思議だったけど
彼女自身も「どうしてこんなふうに感じるのかわからない」と言っていました。
出自に関係するからなのか
私の死生観はまわりの友人とは違っており、
ひとの人生には誰でも終わりが来ることや、
「またいつか会おうね」の『いつか』は来ないということをいつもどこかで感じていて
人と会うときにも『これが最後かもしれない』をどこかで感じていて
それなのに、新婚の彼女がたいせつなご主人という存在に対して抱いている不安をそのとき、わかってあげられなかった。
なんだか大きく重たい『問い』をつきつけられたような感じがしていました。
私は今の夫と出会って結婚し、6年になります。
付き合ってから、結婚しても、これまで一度も感じたことがなかったのに、
彼女の言っていたのはもしかしたらこういうことなんじゃないか。。という気持ちを、わたしはいまになって時々感じるようになってきました。
押し潰されそうになるほどの不安ではないにせよ、
「あの人はほんとうに、いま無事なのだろうか」
みたいな感じです。
毎日ケガもせず、腹が減ったよと言って帰って来られるのは、ありがたいことなのですよね。
*ちなみに義母は極度の心配性で、
結婚した当初は、近くを救急車が通ったからといって電話をしてきたり、
私たち夫婦が喧嘩した夢をみたからといって慌てて様子を見に来たり、という人でした。
最近は安心してるのか、そういうのはなくなりました(笑)
常にいつも気を張って、キリキリと神経を尖らす必要はまったくないけれど
おはようからおやすみまで、ささやかな毎日はとても尊いものです。
腹ペコになるのも、おいしいものを食べるのも。
できるだけていねいに、できるだけ心をこめて。
彼女の声が聞きたくなりました。