励まし、力になること
義父が仕事に出なくなって5ヶ月になる。足が細くなり、つめたくなり、ずーっと家ですわってテレビを見ているだけの義父。
義妹はあたりまえのように孫3名を預けていくので義母も仕事に出ようと思っているようなのだけどブレーキがかかる。さらに、今かかえている仕事をしようにもはかどらず、ケンカが多くなっている。
昨日は法事で、その手伝いのために実家に行っていたのだけど、その空気が垣間見え、私は孫3名の態度にあきれ返ってよけいなひと言を言ってしまった。たまにしか来ないおばさんに注意されたら子供はおばさんのことが嫌いになりますね。それでかまわないんですけど、義母も一緒になって私を悪者に。まあそれでかまわないんですけど。←と、そのときは思った。でも、おかしいと思った。お義母さん、なんで???
ただ、身内であっても『よその子』なのですよね。そこへ口をはさんだ私が悪い。このもやもやは夫に話してスッキリしました。助かりました。
いっぱいいっぱいなのはわかるけど、引き受けられないなら引き受けられないと言えばいいのにそれを言えないでいる義父母。それが二人にとっていいことならかまわないけど、結局は巡りめぐって私たちにも矢が飛んでくる。なんとかしてほしいよ。義妹よ。
杖をついて歩こうとする義父をたしなめ、義母は朝から歩かせに連れていっているそうです。すこしだけ足の筋肉もついてきた。あいかわらず冷え冷えにつめたいけど。
そこで私は、お義父さん、できることをやってほしい、お義父さんのもってる技術もさやふ(大工)道具も使わないでいたらもったいないと話しました。小さなものでいい、立ったり座ったりがきつかったら座ったままで手を動かしてほしい。小さな置き台や棚、ラック、そんなのがほしい人たくさんいるよって。
義父はテレビは見るけれど、そこでこれいいな、あれいいなと思ってもそれらを自分ごととして自分の毎日に落としこむことができずにいるらしい。これまで忙しかったし、くたくたになるまで働いていたからだろう。
そして、思うように動けないこと、働きに出れないこと、自分にしかできない仕事ができないことを悔しいと思っているのは誰より義父自身なのだと思う。だから。
私はできるだけ具体的に話してみた。これがあったらいいなと思っている人がいて、お義父さんにはそれをかたちにできる技術がある。材料は、あるものを使えばいい。浜に行けば流木が落ちてるし、廃材屋にいけば木材も手に入る。
義父のつくる、これにもあれにもそれにも使えるマルチな台はあちこちのおうちで活躍している。もちろん、我が家でも。椅子にもなり踏み台にもなり置き台にもなる。
まずは手を使って木切れを削ったり磨いたりからでいい、設計図が書きたかったら書いたらいい、気ままに手を動かしたかったらそうしたらいい、私たちが売るから!と。
できるなら子供たちに木工を教えたりしてほしいと思うけど、このご時世それはちょっと先のことになるだろう。
お義父さんが作ったものがいろんなお宅で使ってもらえて、みんなの生活をちょっとゆたかにするところを想像してみてと話したら、それだけで義父の顔が明るくなった。
想像することは私にとっては息をするようにあたりまえのことだけど、何かのきっかけが必要な人もいるのだろう。義母にも、ありがとうと言ってもらえた。毎日毎日顔をつき合わせている義母があれこれと提案しても受け入れられない義父のこともわかる。伝わらないでイライラする義母のことも。そして、その二人をみていて思った。つくづく、私が孫たちに言ったよけいなひと言は、よけいだったなと。