Don't think , feel .
T・ONEの名前で活動をはじめてしばらくした頃、コラージュのワークショップをメニューとしてやっていたことがあります。
そのとき、コラージュを作る前のウォーミングアップみたいな感じでやっていたのが連想ゲームみたいなものでした。
『○○で△△なもの』というテンプレートにあてはめて、
赤くてまるいもの
白くてつめたいもの
大きくてふわふわしたもの
のようにお題を言います。
参加している人はそのふたつの要素から連想するものを紙に書き出していきます。
出題する方はいっさい待ちません。間髪いれずに次から次へとお題を読み上げます。
理由はひとつ、『考えない』ため。
たとえば『白くてつめたいもの』と言われたとき、いちばんさいしょに思い浮かんだものが『せっけん』だったとします。
『せっけん』は一般的には白いものが多いと思います。
だけど『つめたい』かと言われたら違うのでは?
ーそれだと、考えてしまっている。
考えない練習のためなので、意味がわからなくても、つじつまがあわなくてもいいのです。「いや待てよそれはおかしいんじゃないか」は、要らないのです。
この連想ゲームをやったのちにコラージュを作りはじめるのですが、制限時間をこれまたちょっと無理め、短めに設定します。なにも考えずに貼り込みます。できあがった作品は潜在意識が丸裸状態です(笑)
ここから参加者さんどうしでシェアしたりリーディングしたりということをやっていました。いま思うと、いまと同じようなことをやっていたんだなと思います。
『感じる』ということに関して、
たしかにそう『感じた』のに『いやいやそれはちょっと』『気のせい』『違うかも』等と、無意識に自分で横槍を入れてしまっていることが多いと気づきました。
たとえば突然にふっとある人の顔が思い浮かんで、なにかメッセージがあるように感じたとき。
たとえば誰かになにかを手渡されたとき、その中身のイメージが色で伝わってきたとき。
たとえばニコニコしながら歩いてくる人のおなかのあたりがつめたく感じたとき。
『いやいやいやそんなはずはない』と、『私にはそんなことがわかるような能力はそなわっていない』と、なかったことにしてきたことにまた、気づかされています。
私に能力があるかないかなんてどうでもいいのです。『感じた』ことを『なかったことにしようとしている』それが事実です。
もし私がそういうことを口にするとしたら。
口から出任せ(=出るに任せる)ではあるけれど、デタラメではない。
誰彼かまわず披露する必要はないけれど、せめて自分が感じたそのことは誰かに明け渡す前に自分で受けとめてあげたいと思います。