それでも手をのばす
うまくいく/いかないということと
幸/不幸は別物
そんなことをあさイチで言っていて、ああ、と思いました。
毎日毎日、「あぁしあわせ」と思って生きているかっていったら、そんなことはない。しあわせとかそうじゃないとか、そんなことって言ったらわるいけど、いちいち感じて生きてない。それなのに。
うまくいかないとか、停滞してるっていうところに気づいてしまうと、とたんに幸/不幸を引き合いに出す私。なんなんだろうね。
いま、がっつり低迷していて、やる気がなくて、誰かに役立つ話なんかちっともできていないという自覚、あります。では、なぜ書くのか。おやすみしたって、かまわない。
きっと、ここに毎日なにかを書き出すことを一年を越えて続けてこられたからだと思います。カッコ悪くても。みっともなくても。なにもかもをぶちまける必要はないけれども、ズタボロな精神状態やちっとも落ち着いていない状態で『誰かに役立つ話』とかを、すました顔では私はできないっていうだけです。そして、もし頑張って書いたとしても、読んだ人にその違和感は伝わるのでしょう。頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい。そして私は、みっともなくてカッコ悪いいまの私が、それでも行きたいほうへと手をのばしている姿を自分で記録しておきたいがために書いているのです。たぶん。
対面セッションおやすみします、というのを、コロナの感染拡大防止を理由に告知しているけれど。たとえばいま、どうしてもお願いしますっていう人がみえたとして、いまの私は引き受けられるのか?いやいや、無理でしょう。だからね、ほら、コロナが(おやすみの)きっかけではあったかもしれないけど、コロナのせいではないんですよね。ごめんねコロナ。あんたのせいみたいに言って。
正直に言いますと、まったくタロットがひけていません。どれだけシャッフルしても逆位置ばかりが出そうです(出たとしてもそれは問題ではないし、全然かまわないのだけど)。毎日ひくのが当たり前だ、毎日ひかないで現場に行けるわけがない、いろんな声がありそうです。でもいまは、そんなことがあっても、いいと思います。
上からのポポ。