酒は天の美禄
写真は牧草ロールです。こんなふうにいっぱい転がってあるとかわいい。夫は意味がわからないらしく、怪訝そうです(笑)
秋の日は釣瓶落とし、とはよく言ったものですね。なんの心がまえもできていないというのに、突然に夜が長くなりはじめています。
今日からは飲食店の時短営業解除ということもあり、人が繰り出すようなイベントがドンと短い秋に詰め込まれていきます。
緊急事態宣言下においては『酒類の提供禁止』を厳しく言われていました。私はこのことがとてもひっかかっていました。自分が飲みたかったというわけではなく、引いて観たときに、なぜ『酒類』なのかと感じたのです。
お酒は神様に御供えするもの。海の神様にも、山の神様にも。
祈りとともにあったもの。
人もお酒を飲んで語り合い、歌い躍り、とは昔からしてきたはずですが、今回はその酒類が『わるもの🦹』のように扱われていました。
結局言いたかったことは、お酒を飲む場面では気がゆるみ、声が大きくなり、まずもって『黙食』とはならないわけで、それが感染を引き起こしているのではないかとの見方だったように思います。
いつの時代もお酒が悪いのではなく、いただき方なのだと思います。さらに言えばお酒が入らないと本音が言えないような抑圧感や、お酒がなければ楽しめない、盛り上がらないというような空気感や、何をどうすることもできないような閉塞感や、そっちのほうが問題なような気がするのです。
ようやく、前とはちょっとちがう『いつもどおり』が戻ってきたところで、人はお酒を飲んで語らうのでしょう。あっという間にクリスマスで、忘年会です。
お酒は身体と心の緊張感をゆるめ、ほぐしてくれることと思います。あたためてもくれます。かつて私も酒類を提供するいくつかの職場で働いていたわけなので、わかります。
それでも、
『お酒を飲まないと眠れない』『お酒がないとやってられない』みたいな存在にお酒がなってしまのは、とてもさびしい気持ちになります。
そして素面の状態で端からみると、酔っ払って大声でわめき散らす人たちや喧嘩をふっかける人などは、文字通り『魔が差した』ように見えます。
子供の頃に読んでいた外国の小説では旅人の疲れを癒やすものとして『ぶどう酒』がよく登場していました。子ども心に『ぶどう酒ってなんだろう』、そう思いながら、薪がぱちぱちと爆ぜる暖炉の前で冷えきった身体をあたためる旅人の様子を想像したりしたものです。
我が家で冬の食卓によく登場した『粕汁』は結婚したいまでも冬の定番料理です。
酒は百薬の長、といわれます。浴びるように飲むのではなく、ちょっといただく。そんなふうになればみんなが気持ちよく眠れて、明日からまた頑張れるんじゃないのかな、と思います。かつて内地にいた頃、酔っ払って駅の自転車置き場で自分の自転車を抱きしめたまま眠ってしまい、おまわりさんに「こげんところで眠っとったら風邪ひくばい」と声をかけられた私がいま、こげん言うとります。
今日のタイトルに深い意味はありません。スマホで『酒は』と入力したときに自動的に表示された、はじめて知る言葉だったので。