鍼灸と漢方薬の東洋医学は怪しい?
仏教伝来とともに伝えられたと言われる東洋医学は、長い間貴族のための医療でした。
1 平安時代から江戸時代までは漢方薬と鍼灸治療は日本の医療でした
現代でも医師になるには難関の医学部に入り、医師国家試験に合格しなければなりません。
最難関と言われる東大医学部で6年間学んでも、医師国家試験に受からないほど厳しいものです。
平安時代でも鍼の治療家を育てるために全国から優秀な生徒が集められ、毎週試験が行われふるい落とされているほど、厳しい授業が行われていました。
2 明治時代富国強兵のため医師法ができ、漢方医は外科医師に変わった
日本はスペインやアメリカなどと対抗するため、富国強兵策が取られるようになりました。
戦争が始まった場合必要とされたのが外科医でした。ところが日本には外科医は一人もいませんでした。東洋医学には内科しかないからです。
そこで目を付けたのが漢方医でした。2万人ほどいたそうです。
医師法が成立した後政府は漢方医に目を付け、様々なトラブルがありましたがほぼ全部の漢方医が医師になりました。
目の前の兵隊がけがをした時、そこで煎じ薬を作り始める漢方医は必要ではありませんでした。
手術をして包帯を巻いてくれる医師が、なんとしても政府は必要でした。
3 いまは病気が細分化され複雑に分類されている
不定愁訴と言われるものは以前は怠け病とされていたものが、今は分析され原因が解明されてきました。
現代医学では薬がなく対処の方法がない時に、東洋医学の中に対処法があることが知られてきました。
東洋医学に光があたり始めてきました。
4 東洋医学の時代になったと言えない事情
東洋医学の需要が高まったとはいえ、漢方医そのもの数が足りません。
漢方医になるためにはまず医学部を卒業し医師国家試験を通る必要があります。
大正昭和で医師になっても漢方需要が極端に少なかったので、漢方医として生きていくことは難しかったのです。
明治時代の医師法成立で漢方医はいなくなったと思われましたが、有名な湯本求心医師などのおかげで、伝統は引き継がれ漢方の火は消えませんでした。
しかし令和の時代でさえ大学医学部には、漢方専門の薬学部も漢方学部もありません。
医師国家試験を通ったのち漢方の教室で学ぶことは大変厳しい道になります。
本来漢方薬の処方は医師が行うはずですが、街中に漢方専門薬局を目にします。
これは漢方薬がブームとなった時に漢方専門医が極端に少なく、当局の黙認と言う事情で薬剤師も漢方薬を処方するようになりました。
わたしも漢方薬剤師主催の勉強会に参加したことがありました。
大変参加者が多く驚かされた記憶があります。
それだけ漢方薬に対する需要があることを感じました。
5 患者が賢く治療家を選別しなければならない時代
漢方は少人数で学ぶので誰に習ったかで、その漢方医の技術も理論も異なります。
その医師の治療が自分に合うのか否は、実際に受診してみないと分かりません。
鍼灸師について触れてきませんでしたが、鍼灸師も弟子入りと言う形で技術を受け継いできました。
東洋医学の世界ではどれも同じで、伝統を受け継ぎながら自分のアイデアを注入し次の時代に伝えていくものです。
東洋医学は西洋医学とは異なります。
治療家によって多少の違いがあり、大きな違いはないものの自分に合うか否かは治療を受けてみないと分からないものになります。
まとめ
1 仏教とともに伝来した東洋医は1500年以上の歴史がある
2 一度は風前の灯と言われたが時代のニーズで復活した
3 不定愁訴と言う病状は西洋医学では対処でいない
4 漢方の専門家は増えずらい
5 東洋医学は治療してもらわないと
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