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宛先のないつけ文をうたという

#推し短歌 企画の参加記事その2。

前回の記事で「最近は好きな作品のファン創作として詠むことも多い」と書いた。その筆頭が、ゲーム「刀剣乱舞ONLINE」を原案とするミュージカル『刀剣乱舞』、通称「刀ミュ」である。
本公演と呼ばれるメインストーリー作品だけでも10タイトル以上を数え、この10月末で8周年を迎える刀ミュ。自分がとつぜん沼に足をとられたのは2018年末のことで、道のりのすべてを共にしてきたわけではないが、2018年以前の公演はDVDや配信で視聴し、2019年以降は劇場に足を運んでもいる。
刀ミュがなければ出会っていなかったひと、行っていなかった場所、観ていなかったもの、読んでいなかった本がありすぎて、自分の人生をがらりと変えた存在だなあとつくづく思う。

そうして追っているこの舞台シリーズのなかでも、とりわけ人生観に影響するレベルで刺さった1作が、ミュージカル『刀剣乱舞』―東京心覚―だ。
東京心覚にどのくらい心を持っていかれたかは公演期間中に書いた記事Instagramの投稿で語り倒しているので(あれから新作を経たりしてまた書きたいことが増えてもいるのだけど)、今回は本編からインスパイアされた短歌をいくつか。

「れこおどの化石だね」「この地に生きたひとが愛した音のかたちだ」

村雲江と桑名江が土を耕す「次に降る雨」のシーンを受けて。
誰もいなくなった大地の下には人工物も多く埋まっていると思われるが、それらをゴミやがらくたでなく、(自分たちと同じ)人に必要とされた”モノ”の痕跡として扱うようなイメージがあるので。

物語れ続きを書けそのための手だ ”我がペン先を恐れよ”…ってな

大典太光世とソハヤノツルキが江戸の終わりを見守る「全うする物語」のシーンと、それを経た本編ラストの大典太光世の台詞「だが、人の思いに限りはない」を受けて。
逸話や権威を付与されるだけでなく自ら物語を綴ることができる手足を得た刀剣男士の、葛藤と決意の歌。
下の句はゲームにおけるソハヤノツルキの戦闘台詞「我が切っ先を恐れよ」が元ネタ。ペンは剣より…?

一面に灯す山吹 いつか会うあなたと見たい景色とおもう

千穐楽日のカーテンコールより。
桑名江が客席に黄色のペンライトを灯すよう呼びかけ、それが劇中で「咲いてるといい」と願ったまさにその山吹畑として我々の前に立ちあらわれたとき、この演劇の持つ同時代性と双方向性、刀ミュにおける花の象徴性、すべてが完璧にかみ合った奇跡のような光景に感極まってぐずぐずに泣いたことを覚えている。なんかもう東京心覚に一生分の涙を使っている気がする。
「いつか会うあなた」は本編ラストの水心子正秀と源清麿の会話「どんな子なんだい?名前は?」「知らない、まだ出会っていないのだから」を受けて。どことなくSF風味な(風味もなにも刀剣乱舞じたい歴史SFものではあるが)時間認識が垣間見えて大好きな台詞だ。

風と人のゆきかう路地に足跡の化石がひとつ 花の名を呼ぶ

本編後に別任務で訪れたどこかの町の路地のイメージ。
そこで誰かが生きたこと、雑草といわれるような草花にも名前があることを、彼らも我々も知っている。

生きることとはうたうこと 胸の炉を熾す種火であり続けるよ

観劇後の自分の感想メモより。
小学校低学年のころから今に至るまでずっと散文や詩、短歌といった言葉での表現に拘ってきた身として、「うたわずにはいられない」「美しい景色は、美しいと思う者の心が美しいのだ」と、いわゆる承認欲求とも違う根源的な自己表現欲のようなものを真正面から肯定してくれたことが本当に本当に嬉しかった。うまく書けないと悩み苦しんだ時間も、それを含めて”うた”なのだと思えた。
この演劇は今後ずっと、自分が生きるうえで折にふれて立ち返る拠りどころのひとつになるだろう。


ここまでが東京心覚によせた #推し短歌 5首だが、刀ミュに関しては思いがあふれすぎているので、ほかの公演タイトルから作歌したものもついでにいくつか。

ぜろ番のつよいひかりが影を食う すりーえいとに血しぶき跳ねて

郷義弘の作刀である”江のもの”たちが中心となってひとつの舞台を作り上げる、ミュージカル『刀剣乱舞』江 おん すていじ~新編 里見八犬伝~より。
ステージにおける0番=センター、スリーエイト=ダンスのカウントの単位(エイトカウント×3回分)。
江のものはいわゆるアイドル的な輝きが強いけれど、本質はあくまでも刀剣であって、きらきらした楽しいすていじ上にいればいるほど、どこか仄暗い血の影がつきまとっているようにも感じる。江の業(これが言いたかっただけシリーズ)。

こんなにも灼けつくものだ閉じた目のような月さえ穴の底では

伊達政宗公の生涯を題材にした、ミュージカル『刀剣乱舞』鶴丸国永 大倶利伽羅 双騎出陣~春風桃李巵~より。
掘った穴の底にひんやりとうずくまっているようなかつての鶴丸国永にとっては、月蝕のわずかな光でもひどく眩しかったことだろう。

手を叩け足踏み鳴らせ北の空土の下まで届けハレルヤ

東京心覚のスピンオフでもあった大型ライブ公演、ミュージカル『刀剣乱舞』~真剣乱舞祭2022~より。
パンデミックの影響で発声が禁止されているなか、なんとか気持ちを届けようと必死に拍手をして手がえげつない色になったのも記憶に新しい。
「北の空」「土の下」は本作のテーマのひとつが”鎮魂”であると解釈したことから。原初の祈りの形。

知られずに雪にまぎれたひとひらよ手向けた傘を差すこともなく

もし幕末において吉田松陰先生と井伊直弼大老が出会っていたら…というifを描いた本公演、ミュージカル『刀剣乱舞』~江水散花雪~より。
山姥切国広のしていた内職が、もし江戸の民に雪をしのぐ傘や草鞋を手向けるためだったとしたら…というifの歌。彼なりの分かりにくすぎる弔い。

水月の波の下にも楽園はあるかたとえば竜宮として

島原の乱を題材にした本公演、ミュージカル『刀剣乱舞』~静かの海のパライソ~より。
天草・島原の民のせめてもの安寧を祈らずにいられない気持ちと、死出の旅への慰めとしての「波の下にも都はさぶらふぞ」、そして浦島虎徹の口にする「竜宮城」とのオーバーラップ。


今回の記事タイトルは、東京心覚が幕を下ろしたあと、刀剣男士キャストのかたのバースデーイベントにゲスト出演した脚本家の伊藤氏が、心覚の脚本制作にあたって「今回、散文詩みたいなラブレターみたいな、なんか分かんないものを書くと思う」と演出家の茅野氏に伝えた、と話してくださったエピソードが元になっている。
誰に宛てるでもない恋文のような、大きく言えば過去現在未来あらゆる時間に生きるものすべてを愛おしむまなざしのようなこの「ひとりごと」に、返事を出すならそれもまたうたの形になるのだろう。

#推し短歌

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