「街のたまり場」 神戸・介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」
(*この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年5月31日の記事です)
人生の最後をどこで暮らすか。心身が衰え、住み慣れた家での暮らしが難しくなることもある。そんなときの選択肢の一つが老人ホームなどの施設だが、高齢者と職員だけがいて、「外」とのつながりが薄いといったイメージがないだろうか。だが、昼夜を問わずに子どもから大人まで、地域の人たちが自由に出入りし、遊んだり勉強したり、仕事したり宴会したり、まるで街のリビングのようになっている介護付きシェアハウスがある。外に出づらくなったお年寄りでも、外から人が来れば交流し、つながれる。高齢者が暮らす場自体がコミュニティーの核となればよいのだ。
鳥の絵やヒョウ柄の壁紙の部屋も
神戸市長田区の六間道(ろっけんみち)商店街のアーケードを出たところに、緑と白の6階建ての建物がある。2017年3月に開設した「はっぴーの家ろっけん」(以下、ろっけん)だ。1階はキッチンと共有リビング、2階から上に45の部屋がある。
ユニークな内装で、階ごとに「アジアンリゾート」「アメリカ」などのコンセプトがある。たとえば2階は「昭和」で、黒電話や居酒屋の看板が廊下に飾られている。居室ごとに壁紙も異なり、鳥の絵やヒョウ柄、真っ赤な壁紙……。介護が必要な高齢者20人ほどが暮らす「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」だ。
「高齢者の部屋だから地味でなければ、こうでなければという考え方は違う。一人一人考え方も生き方も異なるのだから。そもそもここでは最初から、高齢者のための施設ではなく、コミュニティースペースを作ることを意図していますし」と、ろっけん代表の首藤義敬さん(33)は説明する。
24時間出入り自由
ユニークなのは内装以上に、コミュニティースペースという考えが生みだした、人の出入りと交流だろう。なにしろ、「人が24時間出入りする場でもかまわない」と了承してもらうことが入居条件なのだ。人が出入りすればけがや病気感染のリスクは高まる。
「静かな場所、管理された方が安心という人は、そうした施設を選べばいい。ここは介護が目的の場ではなく、暮らしの場です。暮らしていれば病気にもなるし亡くなることもある。暮らしに必要だから介護し、みとりもします」と首藤さんは言う。
「ろっけん」からデイサービスへ
実際にリビングで過ごしていると、車椅子でテレビを見ている入居者、黙々と紙を折り続けている認知症の入居者のそばで、学校帰りの小学生がランドセルを放り出してテレビゲームをしている。パソコンを開いて仕事を始めた人もいる。
取材中には、コミュニティーと人材育成に関心がある米国人4人が突然訪ねてきた。テレビで首藤さんのことを知り、「面白そうだから会いに来た」という。首藤さんは不思議がりつつも2時間ほど話し込んだ。
床でゴロゴロしていた女の子に「こらっ! なんちゅう格好しとるんだ」と雷を落としたのは、入居者の合田貞(ただし)さん(74)だ。
ヒョウ柄の壁紙の部屋に住む合田さんは、ろっけんで暮らし始めて3年目。「暮らしは普通だよ。特に規制がなく自由なのがいい」と話す。若いころは貨物船の会社に勤めていたが、原因不明の神経症で一時体が動かなくなって入院、その後ろっけんに移り住んだ。自宅はすぐ近くにある。週3日ろっけんからデイサービスに通っている。合田さんは、部屋でアルコール類を飲むのが好きだ。それもとやかく言われない。「普通」の暮らしなのだ。
一方的に支えられる関係ではない
育休中の訪問介護管理者、田端香さんが7カ月の長女、芽彩(めい)ちゃんと顔を出した。入居者の男性が車椅子を動かして芽彩ちゃんに顔を寄せ、「顔分かるか?」と相好を崩す。誕生祝いに、名前入りのよだれ掛けを贈ったという。「ひ孫みたいなもの」とニッコリ。
ろっけんでは、お年寄りが子どもをあやしたり、見守ったりすることで、子育てに忙しいお父さんやお母さんを支える側になる場面がみられるという。決して一方的に支えられる関係ではない。
田端さんは以前、有料老人ホームに勤めていたが、ろっけんに転職してきた。「一番の特色は、いろいろな人たちが出入りすることですね。その人たちがお年寄りを支え、時に支えられる。職員も助けてもらえるのですごく楽です。それに、誰かが宴会を始めれば私も楽しませてもらいます」
時々、近所の人たちが食材を持ち寄って、ろっけんのキッチンで夕食を作ってみんなで食べたり、宴会を開いたりする。みんなで食材を持ち寄れば安上がりだし、楽しいし、子育てで忙しい親も助かるだろうと、自然に始まったという。
「どんな場が必要とされているか」で話し合い
そんなご近所の一人が、六間道商店街の空き家を使ってレンタルスペース「r3」を15年から運営する合田昌宏さん(45)。入居者の合田貞さんの長男で、コミュニティーの中心の一人だ。
昌宏さんはろっけんをこう評する。「人はたくさん集まるが、お互い干渉しない。おしゃべりがしたければおしゃべり、酒を飲みたければ飲み、おばあちゃんと遊びたければ遊ぶなど、みんなが好き好きに過ごせる。それが心地よい居場所を生み出しています」
昌宏さんは、知人を介して知り合った首藤さんと意気投合。ろっけんの建設前、2人や仲間と一緒に「地域でどんな場が必要とされているのか」というテーマを掲げ、住民らの意見を知るために「r3」で1年半にわたりワークショップを開いた。
延べ100人以上が参加し、一番多く出たコンセプトが「エンターテインメント」だった。外国人が多い地域性から「多様性」を求める声も多かった。それを生かした場所が今のろっけんだ。
震災で失ったコミュニティーを取り戻したい
福祉関係の仕事に就いたことのない首藤さんがこうした場をつくろうと考えたのは、1995年の阪神・淡路大震災がきっかけだ。
首藤さんが生まれ育った長田区は、震災で焼けてコミュニティーが大きく損なわれた。子どものころ、人混みをよけて歩くのが大変だった六間道商店街はいまや見る影もない。高齢化が進み、一人暮らしのお年寄りは孤立していた。
「故郷にコミュニティーを取り戻したい」――その思いから、空き家再生事業を始めた。高齢化が進むコミュニティーでは、お年寄りの介護は避けられない課題だが、同時に活性化には子育て世代の移住が必要で、子育て支援は欠かせないとも考えていた。
首藤さんは大学卒業後、実家を出ていたが、結婚を機に戻り、祖父母、母親、妹家族ら計15人で同居することになった。祖父母は認知症、妹は大学に通いながらの子育て。だが、互いに良い影響があったという。
祖父母に子どもをみてもらえ、子どもと接することで認知症が改善した。「大家族」の暮らしは、どの世代にも「良さ」があると感じた。それが、ろっけんの構想につながった。
国内外から週に200人が訪れる
今、ご近所さんを中心に国内外から週に約200人がろっけんを訪れる。地域には子育て世代やアーティストの移住者が増えてきた。18年にはそんなアーティストたちが街中でアート作品を展示・発表するプロジェクトも始まった。
首藤さんの名刺には「遠くのシンセキより近くのタニン 『家族より家族』なカンケイが本当にある」と記されている。単身世帯の増加など「家族」が変容したといわれて久しい。だが、家族機能は血縁だけで紡げるものでは決してない。その一つの形をろっけんにみた。
国は19年度から「人生100年時代を支える住まい環境整備モデル事業」をスタートさせた。多様な世帯の互助や交流を促す住環境整備事業に対し、補助金を交付する。高齢者は高齢者だけ、子育て世代は子育て世代だけという「タコつぼ型」ではない、交流の場としての住まいが今必要とされている。
(*この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年5月31日の記事です 無断転載を禁じます)