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「スパゲッティ」と「やれやれ」を使い、村上春樹風の文章を書く

 ドーナッツとマグカップは等しく、マカロニもまたこれに等しい。しかし、スパゲッティーニだけは空間における幾何学的特性において、ドーナッツ・マグカップと根源的に異なるトポロジカル特徴をもつのだ。やれやれ。非線形的オブジェクト思考・・・。

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 僕は、紀伊國屋で2袋¥1280で購入したブルーの「ディチェコNo11」の袋をグローバルのペティナイフでカットした。袋には、例のディチェコ叔母さん。1940年代のアメリカのポートレートの様、セクシーが極限まで象徴化した笑顔。つまり無意味。そこにだけ生やされた赤い花と、ポーズを取る大ぶりの金の耳輪に深紅のスカート。人物と花にはどっちにも、頑丈な競走馬を数回殺傷出来そうな量の致死的な毒物がたっぷり含まれているみたいだ。一方では、南仏の無垢な太陽を吸い込んだ深みのブルーを引き立てている。

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1929年のスパゲッティ・・世界恐慌の皮切り。1929年10月29日は、激震の「暗黒の火曜日」。1日で、GDPの50%、500億ドルが消し飛んだ。
当時の1ドル=600円くらい。スパゲッティに換算すると155.155.555.555.555袋のスパゲッティ。一夜にして地球上より雲散霧消した。


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やれやれ、スパゲッティはどこにいった?●●●●●●●●●●●●●●●


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くりかえそう。我々の銀行や商取引の帳簿上の数字、金庫、ネット上にある「お金」の価値は、架空のものだ。まるで、トポロジカルな宇宙の成り立ちの性質と同じく・・。アメリカドルや日本円の我々を惹きつけて止まない魅力と価値は、我々の頭の中にあるだけなのだ。

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そして、そう、脳だ・・・。人間のシナプスや神経系の集合体である脳は、果てしなく無駄にできている。そう、まるで155.155.555.555.555袋のスパゲッティを無から創造し、また消し去ることなんていとも簡単にできるように・・。

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「これは、純粋な思考実験みたいなもの?」
「そのとおり」
「じゃ、もし、通貨がスパゲッティだったら」
「その場合は、スパゲッティの物理的摩滅による減価償却を、計算することになるね」
「それは・・つまり、スパゲッティの袋からネズミが毎晩一本づつ間引きする可能性のこと?まるで、家を建てるために材木置き場からこっそり2×4材をトラックに載せ去るみたいに・・」
「または、ディチェコ叔母さんのビーナスの風貌の人気が凋落し、カタツムリの絵柄の袋が流行るようにね。」
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何というか、人間の持つ最大の問題は・・やれやれ、こんな風に際限なく嘘を吐くことが可能なる事なんだ。

カチッチッ!ボコッボコーッボコッボコボコボッコ・・・



概念は、抽象的思考を表示し、
シンボルは、意味を具体化する。
数式は、関係を形にし、
言葉は、事実とその価値を擬装する。


パッパパッ。ザララ〜。チャッチャッチャッ・・


例えば、トポロジーの世界では、ディチェコNo11スパゲッティーニと、穴のあいたディチェコNo14ブカティーニは、根源的に違う。ディチェコNo14は、No11より、ドーナッツとマグカップの方が、近似なのだ。やれやれ。まったく・・・。

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人間の脳は、かくも無駄に現実離れして、哲学的省察の喚起を求めているのだ。

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さて、このようにして・・我がスパゲッティーニNo11が茹で上がった。ドーナッツ的世界も、1929 年に何処へ消えたスパゲッティも存在しない。湯気と熱量のシンフォニー・・・。混じり気なしの本質存在。

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         🍴


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