私と「宮下草薙の15分」
バスに揺られている。
北海道の冬は今年も堪える。重い雪がどっしりと積み上がって大きな壁を作る。車も人も、歩きづらくなっていく。放っておけば放っておくほど雪は固くなって、ママさんダンプでは歯が立たなくなる。
受験を控えた私は、いつも空が真っ暗になってから美術予備校を出て家に帰る。数年はやっていたはずのデッサンは「本番」が近づいているというのに下手になっていくばかり。
最近入った子がどんどん上手になっていくのを横目で見ながら、内心かなり焦っていた。先生も講評で私のデッサンの前に立つと苦笑いで首を傾げる。首を傾げたいのはこっちだって同じだ。
疲れているとかプレッシャーを感じているとか勘違いされるけどそうではない。そうなのかもしれないけど、正直何も考えてはいない。気が付いたら鉛筆を握っていて、気が付いたら牛骨や石膏像のアタリを描き始めていて、気が付いたらお粗末なできのデッサンがそこにのさばっている。
次第に、もっとここを改善しよう、とか上手くなりたいとか、思えなくなっていた。
なんで私はこんなにダメなんだろう。絵なんて誰でも描けるって、なんで誰も教えてくれなかったんだろう。
焦りと、不安と根拠のない「なんとかなるだろ」精神が体の中で喧嘩している。思い切り八つ当たりできたらどんなに気持ちがいいのだろう。生憎、小心者の私は八つ当たりしようにもその後にどんな顔をしたらいいのか分からなくなってしまい、結局押し込めて終わったことにするのが常だった。
夏はまだ自転車で行っていたからよかった。どんなに嫌なことがあっても、ペダルを踏めば気持ちの良い風が汗を吹き飛ばしてくれる。平気で走る自動車とか歩行者が、そんなことを考える隙を与えてくれない。安全運転第一だし。
冬はとても自転車など乗れない。だから、バスでボーッとする時間が増えてしまう。一応イヤホンを繋いで音楽を聴くのだけど一度考え込んで仕舞えば音楽なんて聞こえない。好きなパートも聞き逃してしまってまた嫌な気持ちになる。
ラジオでも聞いてみようかな、と携帯をいじってみた。
私はお笑いが好きなのだが、ラジオは聞いたことがなかった。ハガキ職人って、私の一段上のファンというイメージがあってかっこいい。ただ、長ったらしいコンテンツはじっくり聞いていられない。テレビの二時間ドラマも途中で飽きてしまう。
だらだらバス乗ってる間に聞けばいいや、と思って適当に選んだ。「宮下草薙の15分」というラジオ。「メガネびいき」は二時間くらいあったし「ラジオ父ちゃん」は30分くらいあったはずだ。15分って相当短いんじゃないだろうか。でも15分、約友達三人とカラオケに行った時の待ち時間。ちょっとそれでも長いかな。
宮下草薙とはほぼアドリブのような漫才をするコンビで、たいていネタが飛んでる場面しか見ない。喧嘩ばかりしていて、芸人らしくないグイグイ行かないタイプ。2人ともクセが強くてなかなかに苦労した人生を歩んできている。
ラジオは意外と喧嘩しない。のほほんと最近あった話とか、宮下さんが好きなゲームの話をしたり、草薙さんがどうしても許せなかったことを話す。やっぱり芸人さんだ。話にオチがついていて面白い。ダラダラ間延びせず、あっという間の15分だ。片方の些細な言い間違いもしつこく追わず、相槌をうちながら話を聞くもう片方の姿勢もいい。あのしつこく言い間違いを追求するくだりはテレビでよくみるけど苦手だった。
最初にトークテーマが書かれた3枚のカードを選ぶのだが、それもお互いよく譲り合っていて仲が良いんだなと微笑ましくなる。「レゴランドに行こう」と話していた回はマネージャーさんも含めて和気あいあいとしているのが伝わってきて1番好きな回になった。
追い詰められ、カメラの枠に収まる窮屈さからはかけ離れていて、見事に私は宮下草薙にハマってしまった。
受験が近づくたびに、だんだん気温は下がって寒くなっていく。皆勉強で忙しい毎日で、いっしょに予備校に行っていた子ともコースが違うからなかなか会えなくなった。学校でもピリピリした雰囲気が流れていて居心地が悪かった。
しょうがない。今に始まったことじゃ無い。だけど、あと少ししか学校にいられないのにこんな状況なのは本当に酷だなと思ってしまった。分かっている。もちろん勉強することが悪なのでは無い。
私が、もっと学校にいられる時間を大切にできたらいいのにと思っただけだ。
「はい、今日はこの辺で」
予備校の先生が教室に入ってきてそう言った。
終わりとも、やめろとも続かず、隣の教室に行って同じことを言っている。鉛筆をしまってカバンを抱えた。
気怠げに開いた自動ドアを抜けると、雪景色が広がる。雪景色といっても道路は茶色っぽく濁って、歩道の雪は街頭で黄色に照らされている。そんなに綺麗なもんじゃ無い。
イヤホンをつけて、近くのバス停へと足を踏み出した。
タイトルコールが聞こえる。
彼らのなんでも無い会話が、友達と一緒にいるような錯覚を起こしてくれる。寒さをあっちの方へやってくれている気がした。嫌なモヤモヤも頭痛も、歳の割に幼い無邪気な笑い声が僅かに和らげてくれる。
知らず知らずのうちに、支えにしていた。
いつかメールを送ってみようかな、と思っていたらバスが来た。
負けてたまるか。
ひとつだけ、音量を上げた。
実体験を織り交ぜた小説(フィクション)です。