映画を見たら
グリーンブックを見たら、チキンを食べたくなる。
レオンを見たら、観葉植物を飾りたくなる。
JOKERを見たら、街中を走り抜けたくなる。
プラダを着た悪魔を見たら、おしゃれをしたくなる。
ボヘミアン・ラプソディを見たら、歌いたくなる。
僕は映画にどんな楽しさを見出しているんだろう、と考えたときに、現実との混合を楽しんでいるんだなと気づいた。映画を見ている時間も楽しいけれど、それよりも僅かに映画を見終わった後の浮遊感が好きだ。
目の水晶体に映画のフレームが埋め込まれているとか、ウェス・アンダーソン監督のアステロイドシティみたいな瞳に刺さる高い彩度のフィルターがかかったような錯覚。思い出される階層はルックバックみたいな滑らかな動きのアニメーションで、当たり前に第三者視点が僕自身を映し出している。
まるで登場人物の1人になったみたいな勘違いをすることで、なんだか報われない日々を伏線にしてしまうのだ。
案外それは本当に伏線で、それがなければ巡り会えないような事態が発生するなんて結構ありがちな展開だ。
僕の中には僕を客観的に映すカメラマンと、僕のやっていることを淡々と読み上げる脚本家と、演者の僕が本体で、それらを指揮する監督の僕がいる。