ネタ分析 Aマッソ 思い出



M-1 2016準々決勝で披露したネタ


普通の漫才とは違い、村上(ボケ)はネタ中に一切ボケをしていない

昨日の楽しかった思い出と今まで一番楽しかった思い出をただただ話すだけ

強いていうなら、幼馴染グループの呼び名の


「ムエタイ」

がややボケに見えるが、幼馴染のグループ名がちょっと変、みたいなことは普通にあることだ


4分間ただ、楽しかった思い出を語るだけ


そこに加納(ツッコミ)が、穿った目線でツッコミを入れていく

村上はただただ楽しい思い出を語ってる(ボケようとしていない)のに対し、ナナメの角度の目線から加納がただの楽しい思い出にツッコんでいく


これはツッコミがボケみたいになってるって状態なのだろうか?(分からん)


既存の概念を少しズレさせて、それに対して相方がツッコミを入れるのが漫才のオーソドックスな形だとすると、これはほぼツッコミ主導で笑いが起きるため、ツッコミの腕が試される


ズレを修正する役割がツッコミだとすると

これはそもそもズレてないものを、違う目線からズレを指摘してツッコんでいる

何もないものツッコミを見出している状態と言える



何歳?


152歳


いや嘘つけ!




のようなとてもわかりやすいボケに対してのツッコミはある程度全員同じような指摘になってくるが



何歳?


22歳



あー、酒覚えて一番イキってるときだ



のようにボケてない事象にツッコミを入れることで、そこにはその人独自のツッコミが生まれる
(答えが被らない、個性として残る)


お笑い芸人、またはそれ以外の人気商売というわれる職業につき、食べていきたいと考える上で、


他とどうやって差別化を図るか?は永遠の課題だ


それを踏まえると、こうしたネタのスタイルを取ることで、独自の切り口やツッコミフレーズが生まれ、それがそのコンビ独自の味となり、差別化が図れるかもしれない


実際、このネタ中にも


グループ名やのに個人競技なってる

思い出、アップデートし過ぎちゃう?

2016年激アツなんか?

そんな近々に固まらへん


思い出に3親等4親等入ってけえへんやろ

癇癪で乗り切ろうとすな!

思い出のアルバム金数える時ぐらい丁寧にめくれ

思い出にドーナツ入って来るヤツなぁ、昭和30年代のヤツか囚人だけじゃ、コラ!

一畳半で何が出来んねん、ボックス踏めるくらいやろ

これだけ面白いフレーズが生まれている


これはいわゆる普通のボケからはまず生まれにくいワードであり、普通の話に噛み付いていったからこそ生まれた独自のワードだと思う

普通の話にツッコミを入れることで、必然的にツッコミに切れ味がうまれ、目線も鋭くなる、

ワードも通常の角度からでは生まれない単語でツッコまざるを得なくなり、それがそのコンビの武器になっていく


芸人は、面白いだけ、では売れない、お笑い芸人自体の数が多いからだ

だから他とどう違うか?はやはり重要になってくる


その芸人だけの、その芸人しかやってない、その芸人からしか得られない、ものが必然的に売れていく


自身の見た目やネタを商品として客観的視点で見た時、提供できる価値がどのようなもので、それが独自のものなのか、を考える


面白さという価値は他の芸人も持っている価値だ、それ以外に何を提供できるか?

その答えが、起用する関係者の方やお客さんがその芸人を求める直接的な理由になるだろう

ただ誰もやってないことをやればいいのではない、そこにはそれを求める人が必ずいる必要がある


定義として理解できても、それを体現していくのはとても難しいことだが…






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?