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ねこを看取る。つづき

こちらの続きです
https://note.com/tenmomo/n/n44e1fa27dcde

11/6
深夜、消防車の音で目を覚まし見回すと、またてんの姿が??
探すと今度は廊下にいた。私と距離を置こうとしているのか…と思うと寂しいけれど、てんの意志を尊重して無理に動かさないことに。ただ、廊下は冷えるので小さな毛布を敷いてあげる。

明け方、激しい呼吸音で目を覚ます。てんはまだ廊下にいた。
ヒューヒューゼェゼェ苦しげな呼吸。毛布の上に失禁している。それでも昨夜の発作ほどではなく、今回もてんは粘り強く闘って克服してみせた。

すこし二度寝して起きてみると、てんは廊下から台所へ移動。お気に入りのマットをそばに持って行ったらちゃんとそこに移動してくれる。

もう経口摂取していないのに、わずかな泥状便が出る(ちゃんとトイレで)。何日も前の療法食がまだ腸に残っているよう。
排便で少し息が荒くなったが呼吸困難の発作にまでは至らなかった。

昼前に再び激しい発作。今度は昨夜と同じくらい強い。苦しみ悶える姿に、今度こそ本当に駄目なのでは…と泣きながら撫で、名前を呼ぶ。
しかしこの発作にも頑強に抵抗し闘い抜き、てんは戻ってきた。すごい。なんて強い猫なんだろう。

小康状態になったのでその間に昼食をとり、私も休憩する。ずっと撫で続けた腕が痛い。このところ胃腸もやられている。てんの苦しさに比べたら100万分の1でしかないが。

食事が終わってふとてんを見ると、驚いたことにごはん皿のにおいを嗅いでいる。てんが手をつけなくなってもお供え物のように置いているごはん。さすがに口をつけはしないが、なんだか様子が違う。
私が話しかけるとかわいい顔を上げて「ぅみゃう」と大きな声で鳴いた。

体調がガクンと悪くなってからはちゃんと鳴く声をずっと聴いていなかった。それが不意に、私に向けて声を発してくれた!
それだけではなく、私が話しかけたり動いたりすると顔を上げて目で追いかける。撫でればうれしそうに目を細めゴロゴロ喉を鳴らしてくれた。なんて、なんてかわいい。

それはほんの短いひと時。でもその間にてんは3回も「ぅみゃう」と話しかけてくれた。
これは話に聞いていた「エンジェルタイム」だろうか?猫が亡くなる少し前に一時元気が戻って飼い主に甘えてくれるという…
てんは、この期に及んでも私に優しさとしあわせをくれる。てんと私が17年間紡いだ絆は本物だったと、最も苦しい時期に教えてくれたような気がする。


11/7
昨夜から鼻の呼吸音がまったくしなくなり穏やかな呼吸。今日になっても同じ状態が続いている。
外見的には今までより楽そうに見えるが、くったり脱力している様子。どうやら新たな段階に入ったみたいだ。
体力が弱まって病に抵抗するより身をゆだねる感じになってきたのだろうか。苦痛が少しでも和らいでいることを願う。

最期の時そばにいてあげられるだろうか、という不安はある。けれど、まだどれだけ時間があるかわからないのにずっとそばに張り付いているのは、何だか終りを待っているみたいで・・・極力様子を見ながら私は私の生活をなるべく通常に近い形で維持していこうと思う。

午後、てんの状態が安定しているので外出する。
着替えて鏡の前で髪を梳いていると、てんが急に立ち上がってふらふらと隣の部屋に歩いていく。もうあまり長い距離は歩けないと思っていたので驚いて後を追うと、てん定番の隠れ場所に身を潜めているのを発見。
どうやら、私が外出着に着替える→鏡の前に立つ、のを見て動物病院に連れていかれる時のことを思い出したみたい。
まだ逃げる元気があるなんていいことだ~と少し笑ってしまう。

1時間半ほどで帰宅すると、またまた驚いたことに玄関でてんが待っていた。しかも甘えて足にすり寄ってくる。出かける前は撫でてもほぼ無反応だったのに!?
そのままついてきて、トイレに入ればドアから中をのぞいてくる(笑)

もちろんいっぱい撫でてあげる。抱き上げて膝にのせると、そのまま気持ちよさそうに体をあずける。苦しい時は膝にのせてもすぐ降りてしまっていたので無理に抱っこはしなかったのだけど。そのまま膝の上でずっと撫で続けて、すやすやウトウト。かつての幸せな時間が戻ってきたようで泣いてしまう。
またしてもエンジェルタイム??おかわりなんてことあるの??

満足したのか40分ほどで膝から降りたそうにしたので、手伝って下ろしてあげる。椅子から降りるのもあぶなかっしい…

何日間もの旅の食料をつめたリュックのように、日を追うにつれ体は薄く軽くなっていく。ふかふかした毛皮とゴツゴツした骨の間を埋めるものがほとんどなくなってしまう。
それでもまだなんとか動けるし意識はしっかりしている。胃腸が空になって消化吸収や排泄にエネルギーが取られないぶん一時的に元気が戻ったのだろうか?

その後は床の上でくったり寝ていたかと思うと、不意に起き上がってお風呂場の方に行く。昔から時々していたように、蛇口から浴槽にじゃばじゃばお湯が落ちるのをじっと見ていた。
お風呂場のマットの上で少し失禁。不思議なことに失禁するのはいつも布製品の上。洗えばいいからかまわないんだけど。

私が風呂から上がって髪乾かして腰下ろしたら、ふらつきながらもまっすぐ歩いてきて「にゃあ!」と私に顔を向けてはっきり大きな声で鳴いた。
「!?また抱っこして欲しいのね?」と抱き上げるとゆっくり全身を私にあずける。手足がだらんと力なく伸びて、普段はあまりしない姿勢。私の腕にあごを載せていてかわいい。名前を呼ぶといつものようにしっぽの先だけちょろっと動かす。明らかに普段より体温が低く、背中が少しひんやり。別れの時がじわり迫ってきたのを感じる。
いっぱい話しかけていっぱい撫でてやっぱりちょっとだけ泣いて・・・今度は1時間半ほど滞在した後、膝から降りて行った。

てんはその辺の床で適当に寝てしまうので、私が追いかけてマットやタオルをそばに置くと自分でその上に乗っかる。
室温はまだ20℃以上あり健康な猫なら問題ないが、今のてんには寒いはず。暖かい場所で寝て欲しいんだけど、できるだけてんの意志を尊重したいので無理に移動はさせないでいる。夜は冷える予報だったので台所にオイルヒーターを出した。

てんの様子を見ながらウトウト眠ったり起きたり。
夢うつつの時に「うぅ~」という声が聴こえて目をやると、いつのまにかベッドのそばの壁際に来ていた。見ると朝の4時過ぎ。
「また抱っこかな?」と起き上がる。風呂上りの抱っこでは裸足にスリッパだけで足が冷えてしまったので、今度は上着靴下ひざ掛け装備で再び椅子に座って抱っこタイム。
さすがに体がきつくて朦朧としながら抱っこしていた。2時間ほどで「もう大丈夫。降ります。」という素振りを見せたので下に降ろす。


11/8
相変わらず床の上でのぺ~と寝てるので掃除するとき椅子の上に移ってもらうと、そのままずっとそこで過ごしている。あまり動かないので、時々呼吸でおなかが上下するのを確認する。

昼過ぎ、トイレにいたら「みゃー」という声が聴こえ、急いでてんの元に行く。「どうしたの?呼んだ?」と頭を撫でるとうれしそうにゴロゴロ喉を鳴らす。私の顔を見るてんの目がとても優しい。
なんとなく「もうあと少しだから一緒にいてね」と言われた気がして、バスタオルを敷いた膝の上にてんを載せて抱っこ。これが最後の抱っこになるかも…と思った。

膝の上にいる時、今まではちょくちょく向きを変えたり動いていたが、今回はたまに頭を動かす程度でほぼずっとだらんとしている。私の太もも幅が足りなくて後ろ足がはみ出してしまうので、膝を開いたり軽く手を添えて支えたり。
もう「大好き」も「ありがとう」もいっぱい言って言い尽くしてしまって、時々撫でながら名前を呼ぶ。するとやっぱりいつものように、しっぽの先をぷんっと振って返事してくれる。かわいい。

途中トイレ軽食休憩をした以外はそのままずっと夕方まで。
日が暮れようとするころ、横に伸びていた身体を折り曲げ上半身を私の足の間にすっぽり入れ込む。
しばらくして、急に体動が激しくなる。断続的に唸り声をあげる。呼吸困難の発作とははっきり違う。臨終の時が来たのだと悟った。
目をカッと開いて膝の上で何度もビクンッビクンッと大きく動く。呻くような声。しんどいねぇ…頑張ったねぇ…そばにいるからね…そんな言葉をずっと掛けていた。

やがて少しずつ体動が収まっていく。苦しい時間は20分程度だっただろうか。動きが止まり静かになる。ただおなかの心臓のあたりが小さく動くのをしばし凝視。
てんが息絶えた時、陽が落ちて外は真っ暗になっていた。

・・・

わあああっと泣き崩れて・・・けれど意外とすぐ落ち着いた。
ちゃんと綺麗にしてあげなきゃ。お見送りの準備しなきゃと。

身体を拭いて、箱にマットを敷いて収め、保冷剤を入れて、とあれこれやって一段落ついたら、急に腰が抜けたように床にへたり込んだ。足に力が入らず、なんとか立ち上がってもふらふらする。
途方に暮れて、しばらくは何をしたらいいのか呆然としていた。

それでもちゃんとお腹はすく。うどんをすすりながらテレビを見て・・・

遅い時間になる前にネットでペット葬儀の会社を調べて翌日の火葬予約をするところまで何とかやることができた。
本当は事前に調べておいた方がいいんだろうが、てんが横にいる時はどうしてもそんな気持ちになれなかったので。


11/9
まだ体がふわふわする。体の真ん中の芯棒がスポッと抜け落ちしてしまったような脱力感。

午後、亡骸とともに火葬の場へ。
葬儀やお墓は必要を感じないけれど、他の動物とまとめての火葬は絶対嫌だったので個別火葬を選択。
一戸建てや周辺にスペースがあるなら火葬車での出張火葬も可能だが、うちの周りは難しいので車で迎えに来てもらう。本来は動物の移動のみのところ、近場だったため追加料金もなく一緒に乗せてもらえた。とてもありがたい。
ちなみにタクシーでは動物の亡骸を基本的には乗せないことになっているらしい(骨壺は可)。

ちゃんと祭壇でお別れする時間をとってくれて、きれいな部屋でお骨になるのを待つ。40分くらいだったか…
お骨を箸で拾って骨壺に納めるところまで人間の火葬と変わらない。優しいお声かけもいただいて帰りも送っていただく。良いところにお願い出来てよかった。
家に帰り、12年前に早逝したきょうだい、ももの骨壺と一緒に並べた。

時々不意にこみ上げてきて泣く。それでも思ったより平静で、ただ小さな猫の姿が消えただけで妙に寒々と部屋が広く、寂しいため息がもれる。

愛する猫が苦しむ姿を目の当たりにすることはとても、とても苦しいけれど、その時間を共にしたからこそ「もう今は苦しくないんだ。天国でゆっくり休めるんだ」という安堵の気持ちが湧いて、喪失の痛みを少し和らげてくれるような気がする。



この2週間ほどの間に「つらい…苦しい…だれかたすけて…」と心が悲鳴を上げることは何度もあり、そしていつも、助けてくれたのはてんでした。
長雨の合間に時折陽が射し虹がかかるように、苦しみの中でもちゃんと「すき。だいすき。」の気持ちをまっすぐ愛らしく伝えてくれたてん。
若い頃からおっとり穏やかでやさしい猫。最後までそれはずっと変わらず、てんらしく、本当に立派でした。
上の写真は無くなる3日前のもの。綺麗でかわいい姿も最後まで変わりませんでした。

私のいろいろな決断が正しかったのか、もっと何か出来ることがあったのか・・・わからないけれど、少なくとも、最後の時を住み慣れた家で好きなように過ごし、精一杯全力で生きて、愛する人の腕に抱かれて命を終える。というのは人が望んでもなかなか叶えることのできないしあわせな生涯の閉じ方ではないでしょうか。

てん、ありがとう。これからもずっと、大好き。

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