空を見ることで生きのびた人の歌
今日は2018年のアルバム「ニーニング・ナウ!」に収録されている「空の写真」という曲について書きます。
ぼくはこの曲を「昔の自分に似ている人にやさしく話しかけている歌」だと思って聴いています。
ニーネの歌詞世界の主人公というのは、とにかく空ばっかり見てきた人です。詩集の目次をぱっと見ただけでも、
「空を見ていると」
「空を見上げて」
「冬の空(川を越えて)」
「透明な空」
「あっちの青空」
と、もうなにかあるたんびにすぐ空を見ています。そして空を見て何を考えているのかというと、
こんな感じです。切ない、寂しい、辛い、死にたい。そういう感情をいつも空に向けて飛ばしていた人です。
そしてこれは何度も書いていますが、10~20代の頃のニーネの歌詞の主人公は、誰にも心を開こうとしていませんでした。
基本姿勢が「俺に近寄るな(でも寂しい)」でした。
「空の写真」の歌詞の冒頭を聴くと、主人公が話しかけている相手も、それと同じタイプの人なのだということがわかります。
「誰もいない」は1989年、「空の写真」は2018年の曲です。詩集を年代順に読んでいくとわかるのですが、主人公はこの30年間のあいだに「うつぎみでも内向的のまんまでも、それでも人と関わって生きていきたいな」と思うようになっています。だから「空の写真」で「顔を出せば良い」と歌うのです。
「空の写真」のいいところは、サビで「僕は好きだよ 空の写真」しか言っていないところです。直球の「大丈夫だよ」や「こっちにおいでよ」や「仲よくしよう」ではなく、「僕は好きだよ 空の写真」。
これがいいのです。色んな悲しい事があるよね。他人は怖いしよくわからないよね。君は僕と同じだね。そういった、簡単には口に出して表現できない難しい気持ちを、たった一言で言い表していて素晴らしいのです。
そしてこれは、ひねくれていて寂しげで誰にも心を開こうとしない、そんな昔の自分と似ている人に向けて話しかける言葉として完璧です。これ以外の何を言ってもおそらくその人には届きません。だからぼくは「空の写真」がニーネでいちばんやさしい曲だと思っています。社会の荒波の中をもがいてもがいて、なんとか生きのびてきた人間がたどり着いた境地、という感じも好きです。名曲です。
12月18日のライブで演奏してくれました。生で聴けて嬉しかったな!
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