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祈りと呪い。あるいは託すか縛るか。
祈りと呪いってコインの裏表のように、よく似ていますよね。
動作としては同じだけど、その人の精神状態によって、どららにも転がりうるもの。
臼井レイキの世界だと、シンボルとマントラという型を用いて、強制的に祈りのエネルギーにしてしまっています。
シンボルの無いレイキの危うさは、この点にあります。シンボル・マントラを使わずに、どうやって祈りのエネルギーであることを担保するの?ということですね。
弱さと強さをめぐるノート
強者と弱者がいるのではなく、ただ弱者がいる。強者とは、弱者を叩く弱者でしかない。
弱者は強者になるのではなく、弱者でも強者でもない人になろうとした方がいい。コンプレックスをバネにして頑張るのではなく、コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」を見出す方がいい。
コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」は、どこにあるのか。
コミュニケーションのなかにある。もっと端的な言葉で言ってしま
「私」とは「身体を乗りこなす騎手」である
1.「私」とは「身体を乗りこなす騎手」である何をやるにも「私が私の意志でやっている」と思い込むと充分なパフォーマンスが発揮できない。疲れやすくなる。さらに間違うことが多くなる。なぜか。
簡単だ。「私」という奴がしょうもないからだ。どうしようもない視野狭窄。不平不満、不安に満ちて冷静な判断ができない。
おれは、重要な判断をするとき、「私」などというしょうもない奴のことは放っておく。心身の片隅に追いや
目的は何もしないでいること
端的に、誰もが、忙しすぎるのである。単純に、まずは、忙しさを手放すことから始めねばならない。そうは言っても、もちろん、生活から離脱するわけにはいかない。さて、どうすればいいだうか。
ひとつの答えは、無駄なことに心を開く、ということだ。
何でもいいが、何か無駄なことをやった瞬間、そこにぽっかりとヒマが現れる。
朝、起床前、ベッドで雨の音を聴けば、そこにヒマが現れる。
通勤時、一駅前に降りて歩いて会
安く救われるな、ちゃんと絶望しよう。
見ず知らずの他人を刺したり焼いたりして救われる程度の絶望なら、お前をそんなに苦しめたりしないんだよ。お前の絶望は、そんなに浅いもんじゃないだろ。いいか、安く救われるなよ。ちゃんと絶望しよう。そのグチャグチャの臓器を、一緒に見よう。だからそこから、けして目を逸らすな。
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もくじ_____
『ぷろおごマガジン』は、「月1時間の余暇」を浮浪者のくだらない戯言に払える「大人」向けです。物好