10年前の経験を語る その2(あの日)
はじめに
(その1)でチェルノブイリ事故から3.11に至るまでの、気象庁を含む気象機関の取り組み状況を中心に述べました。少し補足しておくと、大気中を浮遊する物質の移流拡散モデルについて、黄砂と火山灰はちょっと触れましたが、そのほかにも、オゾンや炭素循環としてのCO2、山火事の煙、PM2.5などの汚染物質、さらには花粉とさまざまな応用分野で実用化されていました。そして、大気の解析データは、3次元格子のデータ(GPV、Grid Point Value)としてオープンデータ化されているものもありました。すなわち、排出源の情報が得られれば、その後の移流拡散を予測し、それを図情報や動画で提供できる研究者、研究機関は少なくない、という状況でした。そういう背景のもとで、あの日がやってきました。
東日本大震災については、一人一人さまざまな関わりがあったと思いますし、気象庁という組織としても、緊急地震速報から津波警報といった業務の本丸的な部分でも果たした役割の大きさとともに新たな課題も明らかになりました。原子力災害についても、政府全体として日本としてさまざまな対応があり課題も明らかになりました。ここではこうした全体的なところには触れず、移流拡散モデルという部分について個人としての経験、考えを記述しようと思います。
当時の私の仕事
当時の私のポストは数値予報課長でした。数値予報については以前に投稿した記事を参考にしてください。若い頃はこの課でプログラミング開発に没頭し、その後、業務課というところで、予報業務のマネジメントとして航空気象、防災や国会対応等とお役所らしい仕事を5年やりました。その後、地方に転出して大阪管区気象台で管理職を2年、ちょうどそのころ、緊急地震速報の全国運用が開始となり、その前後は地方にある気象台もこの広報活動を前例がないほど力を入れてやりました。東京に戻り航空気象の課長職を1年経験して、8年ぶりの数値予報課で課長となり、さまざまな気象業務の基盤となる数値予報をさらに発展させるべく仕事をしていました。
ECMWF等世界の先進的な数値予報センターに負けず世界のトップクラスとして信頼される技術を発展させ、台風や豪雨の予測精度を向上させて、自然災害の被害を少しでも軽減したい、そのために人材育成やモデル開発体制をどうしていくか、今後の数値予報開発の仕組みをどうしていくのか、そんな検討を積み重ねていました。
3月11日の午後も、気象庁5階にあり気象庁の技術の取り仕切り役でもある参事官の部屋で、M参事官とT課長などとそんな相談をしていました。そんな中で、緊急地震速報を伝えるPCやテレビの画面とともにゆさゆさとした揺れが始まりました。ゆっくりした揺れが大きく長く続き、これはただごとではないな、というのは直感的に悟り、6階の課長席に戻りました。そのころ気象庁の地震や津波、防災の担当部局では猛烈な対応が始まっていました。
地震発生後の仕事
地震や津波の情報以外にも気象庁には情報提供のニーズは高まります。震災前後の東北地方は平年より寒い日が続き、気温の情報自体が命にも関わる情報になります。また海岸沿いの地域では地震で地盤沈下も発生して、津波の水が引いた後も浸水しやすい状況が続いて、満潮干潮情報や大雨の情報も平時より重要になりました。また、交通インフラが大きな被害を受けており、救命活動から復旧活動を支えるためにも気象情報は重要となります。
地震津波の関係者が猛烈な対応に追われる一方、気象関係者は被災地向け、復旧関係者向けの気象情報の提供の仕事を急ぐことになります。平時であれば、数値予報の結果は予報官による総合的に判断を通じて外に出て行きますし、天気予報は府県をいくつかに分けた程度の大雑把さで提供します。それ以上のきめ細かな予報は民間気象会社の仕事という役割分担もあります。しかし、このような有事ですので、数値予報の結果を市町村単位で提供するようなことも急いで進めたりしました。
もちろん、鉄道がほとんど止まる中で、どこの職場でもあったように帰宅困難者への対応などもありました。そうして過ぎていく夕方から夜の時間だったでしょうか、あの移流拡散モデルを訓練ではなく、本番モードとして走らせよ、という動きになりました。もちろん、放射性物質はまだ出ていないという官邸の報道発表がありましたし、発生源情報はわからないままの計算となります。この業務は24時間体制となりますので、勤務体制を組んで夜勤での対応が開始されました。それにしても、まさか、日本の事故でこの業務の本番を実施することになるとは、これは私だけの感想ではなかったと思います。
さらに、経産省に原子力災害対策本部が立ち上がり、気象庁からも参加せよということで、こちらも部下を派遣して、適宜交代しながら回すという運用となりました。もちろん、気象庁としては、地震・津波災害そのものに対して、官邸の危機管理センターや国土交通省の非常災害対策本部への対応、さらには、津波や余震についての情報提供、報道対応、そして大きな被害を受けている東北地方の気象業務の支援等最大限の対応が始まっています。
しばらくして、福島第一原発の周辺の放射線量が高まり、原子炉建屋が爆発するなど、放射性物質の拡散が明らかになり、周辺住民の避難も段階的に行われました。海外からは、福島原発からの放射性物質が拡散していく様子をシミュレーション動画で見せるサイトが出てきて、ネットの世界ではこうした情報自体が爆発的に拡散していたとみられます。一方、訓練で使われていたSPEEDIモデルの結果はなぜか公表されず、政府は重要な情報を隠蔽しているのではないか、という報道もでました。そこで矢面に立たされたのが、国際協力の一環として計算している全球移流拡散モデルの結果です。
本来、国内の原子力災害のために使う位置付けではないこともあり、そもそも、地球規模で広がる拡散をみるのが目的ですので、粗っぽい分解能の計算です。https://www.jma.go.jp/jma/kokusai/kokusai_eer.html このサイトにこの情報の位置付けなどの説明がありますし、実際に福島第一原発事故に際して提供された図に日本語の解説を付して今も掲載されています。
https://www.jma.go.jp/jma/kokusai/EER/eer6.pdf
気象コミュニティの動き
一方、海外も含めてこのような計算に手慣れた研究者から提供を進めようという動きもありました。これに対して、日本気象学会理事長から、下記の文章を含むメールが届いたこと、これ自体が「学問の自由が...」等少なからず反響を呼びました。ちょっと長くなりますが、あえて原発事故に関連するところをそのまま掲載します。
(以下理事長メール引用)
一方、この地震に伴い福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質の拡散が懸念されています。大気拡散は、気象学・大気科学の1つの重要な研究課題であり、当学会にもこの課題に関する業務や研究をされている会員が多数所属されています。しかしながら、放射性物質の拡散は、防災対策と密接に関わる問題であり、適切な気象観測・予測データの使用はもとより、放射性物質特有の複雑な物理・化学過程、とりわけ拡散源の正確な情報を考慮しなければ信頼できる予測は容易ではありません。今回の未曾有の原子力
災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。放射線の影響予測については、国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されることになっています。防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。会員の皆様はこの点を念頭において適切に対応されるようにお願いしたいと思います。
国内の研究者は、今の日本を救いたいという想いで動こうとした人もいたでしょうし、海外は海外で日本を救ってあげたいという親切心で計算・提供をしていたのでしょう。しかし、この理事長の声明は基本的に冷静で正しかったと私は思います。ひとつ見込み違いは、「文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されること」が結局、実現しなかったことです。
ただし、その後下記ホームページから結果は公表されています。https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2391616/www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305747.htm
ここから詳細な予測結果の図もみることができます。
https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2922847/www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/05/10/1305746_0313_11.pdf
今回のまとめなど(個人的感想)
ここでは3.11以降の移流拡散モデル関連の事実関係の概略をまとめてみました。移流拡散モデルの課題分析はその3に回したいと思いますが、ここでは、ざくっとした感想じみた意見を述べておきます。
海外発の移流拡散モデルの結果を踏まえて、諸外国からは自国民を首都圏からも避難させよう、日本から脱出させよう、という動きもありました。第一原発の現場で対応された方々のおかげで最悪の事態を避けることができましたが、当初の段階では、関東地方全域が危険となる可能性は否定できなかったと思います。日本在住の海外の方は、人数も多くはありませんし自国に帰ればよいので避難はそう困難ではありませんが、関東1都6県および東北地方の太平洋側3県合わせて人口約5000万人、日本の人口のざっと半分近くとなります。
東京の下町の江戸川区など5つの区では、台風に伴う高潮と荒川の氾濫の複合災害により長期間の浸水の危険があります。これらの地域ではこの浸水災害で安全な避難所がほとんどなく、隣県も含めた広域避難が必要とされています。ところが、250万人の浸水地域の住民を広域に避難させることはそう簡単ではなく、避難計画は策定したようですが、避難所は自分で確保してください、公的な広域避難所はありません、という現状です。何年もの検討の結果でこの状況なので、福島第一原発の場合は、避難人口はざっと20倍、広域移動も長距離になる避難計画を数日間で作ることは不可能に近いと思います。さまざまな不確定性がある情報で、最悪の事態を想定してという正論に対して、打つ手がなかなか見出せなかった状況だったのは確かだろうと思います。
移流拡散モデルは富岳の飛沫シミュレーションもそうですが、素人にも直感的にわかりやすい図や動画という形で情報を提供できます。しかし、この事例もその典型だったのですが、それを使いこなすことはそう簡単ではなく、どんな課題がありどんな取り組みが平時から必要なのかを含めて(その3)で説明します。
最後に少し番外編の感想じみた話ですが、2年間数値予報課長として、将来に向けた技術開発強化計画を積み重ねてきて、これから、という時の大震災でした。積み上げてきたものがしばらく塩漬けになるなということも悟りました。非常体制下で送別会もなく数値予報課を去ることになり、部下にはしばらく我慢の時期が続くが頑張ってくれ、という趣旨を伝えました。4月からは予報部業務課長として、震災復旧復興を最優先課題として予報業務を担当することになりました。電力需給の逼迫により、プログラム開発用のスパコンの運用を止めるなど、古巣に我慢をお願いすることもありました。その後、数値予報課が大きく発展して、昨年にはつくばに開発センターとして拠点を持つことになり、このしばらくの我慢の時期が長く続かなかったのは嬉しいニュースでした。
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