人生は「運」か「努力」か
人生は「運」か「努力」か?
そりゃあどっちもでしょう~
と、私は考えるのですが、みなさまはどうですか?
NHK オイコノミアで
「経済学で考える 人生は運か努力か?」
経済学の視点からのお話しがとても面白かったです。
自分は「運」が良かった、
「運」に助けられてここまでこれた、と
考える人は寄付をするが
自分の「努力」のおかげでここまで来ましたよ、と
考える人は寄付をしない
だって「自分」が頑張ったんだから、という気持ちが
強いそうなんです。
では「占い師」の見解は?と申しますと
まず、そもそも生まれながらに
「運」が悪い人や良い人がいるのか
うーん 冷たいようですが、あるとも言えるんです。
何もかも持っている人
何も持たない人がいる という意味ではなく
葛藤が多すぎる、相容れない性質が多すぎると
自分自身でも持て余し、せっかくの自分の持っている性質が
使いにくくなるケース
自分の意思ではなく、外的な要因(他人や物理的影響)からの
影響を受けやすい(しかも突然)
上記のような方はご自分で「自分は運が悪いしょぼん」と
感じやすいかも。
元々
周囲からの引き立て、声かけがきっかけで
物事が動き出す、自分は受動的に待っている方が良いタイプ
→助けてくれる人がいるおかげで自分がある、という感謝を
忘れると援助が得にくくなる
自分発動の時期に、どうしてよいかわからない
自分から活発に働きかけるし、
自分で決めたいタイプ
→元々あまり周囲に合わせる気がないので
援助が得にくいが、それを上回る活動力がある。
やる気が出ない時期、動き回れない時期には
とても孤独な気持ちになる
大きく分かれます。どちらか一方だけが望ましいとも
言い切れません。それぞれの良さがあるからです。
オイコノミアのインタビューを見ても
私が日頃、お話しを聞かせてもらった印象でも
「運」=元々 自分が持って生まれたもの
「運」=周りの人々や状況や環境
自分の意思ではどうにも変えられないことは共通
しているのですが、見解が分かれる印象です。
「運も実力のうち」という言葉もあるように
元々持っているものを見極めしっかり訓練して
「機を見るに敏」
時期を逃さない、今は何をしたらよい時期なのか考える
「努力」の土台ありきだと思って生きる方が
周囲の援助が得やすそう。
本当の意味で運が良い人というのは
持ち物が多い人ではなく
自分の持っている運をしっかり使う時に
使う場面で使える人
自分が持っていないものを「持っている人」を
自分で探し出せて、協力要請出来る人、
が一番「持っている人」なのかもしれませんよ!
※2017年10月の記事です。
https://ameblo.jp/tenkadoujin33/
tenkadoujin@basil.ocn.ne.jp
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