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【起業家セミナー開催レポート】後編 ~まちづくり ✖ 能登復興~

皆さん、こんにちは!
今回は、前回に引き続き2024年10月5日(土)に開催された起業家セミナー第二部の様子を記事にまとめます。第二部では、和倉温泉 多田屋 代表取締役社長 多田健太郎氏をゲストに迎え『まちづくり ✖ 能登復興』がテーマのパネルディスカッションを行いました。ぜひ最後までお読みください!


ゲスト紹介


多田健太郎(ただ・けんたろう)氏
和倉温泉多田屋 代表取締役社長。大学卒業後、アメリカ留学を経てサイバーエージェントに就職。2002年に旅館に戻り、大阪・東京営業所を3年間勤務。2015年に多田屋6代目として代表取締役社長就任。和倉温泉旅館組合青年部長、石川県旅館組合青年部部長を経て、2024年能登半島地震後和倉温泉創造的復興ビジョンを策定したワーキング委員会の委員長を務める。


トーク内容

今日は貴重な機会をありがとうございます。
和倉温泉多田屋の多田と申します。『和倉温泉創造的復興まちづくり協議会』の代表もさせていただいております。今日は、宮田さんや三宅さん、明山さんからご質問をいただきながら、和倉温泉の現状やまちづくりに関してお話させていただければと思います。

最初に簡単に自己紹介どんな経歴なのかをお話しします。高校まで七尾市におりまして、立教大学を出た後、アメリカに留学をさせてもらいました。それから、東京のインターネット広告代理店のサイバーエージェントという会社に就職しました。2002年に旅館に戻ったんですが、企業と家業って全然違っていまして、旅館でなんでこんなにミーティングが少ないんだみたいなことをワーワー言ったら、ちょっと煙たがられまして、大阪に修行に行けと追い出されるようなことがあって、大阪と東京に3年間おりました。その間に営業として旅行代理店をまわって団体を取ってきなさいという数字目標はいただくんですけど、裏ミッションとして若女将を連れて来いというミッションがありまして、それだけクリアして2006年に戻って来ました。
その次の年、2007年に、能登沖地震という地震がありまして、色々と大変な思いもしながら頑張って、2015年に父から代表権を譲っていただいて社長に就任をしております。旅館の中では、温泉協同組合の青年部長や石川県の方の青年部長を経て、今年の発災からですね、2月に国の方から、若手の方で和倉温泉を引っ張っていかなきゃいけないので、これからのビジョンを考えなさいということで、旅館とか商店とか、商工会議所でやるとか、JCみたいな組織から16名が選抜、親たちの世代が何か知らないんですけど、勝手に選んだ16人が選抜されまして、それをファックスでお前らやれみたいな感じで、雑な感じで任命をされて、多田屋にも届いたんですけど、そのファックスを見たら、僕の横に委員長って書いてあったっていうのが最初なんですけども(笑)それで代表、委員長をさせてもらっていて、今それがビジョンを作ったので、今度それをまちづくりの計画に落とすために協議会化しまして、そこの代表をさせてもらっております。

震災前の和倉温泉は、年間80万人程の方がいらっしゃっていました。源泉の温度が高くて、しょっぱい温泉というのが特徴です。22軒の加盟旅館があったのですが、震災で1軒もう辞めたということで、今は21軒になりました。その中で多田屋というのは、明治18年の創業と聞いていますが、震災でいろいろ調べたらもっと古いのではないかという説が今出ていて、200年近いのではないかと言われています。

桟橋や客室から釣りができるという、めちゃめちゃ海が近い宿で、釣れたら調理して夕食に出すということもしていたのですが、海が近い分、今回の地震で護岸へのダメージが大きかったので、露天風呂は海側に完全に傾いちゃっているという現状があります。客室は60室で、社員とパート合わせて70人程が働いておりました。震災当日は、配管がずれて大浴場に続く通路の脇が滝みたいになっていて、避難経路として使えないようになっていました
和倉小学校という地元の小学校が避難所になったのですが、キャパが400人弱のところにお客様が1200人と地元の方800人が入ったと聞いています。
和倉温泉のすごく良いところは、住民の方も含めて和倉温泉なので、おもてなしの心を持っていらっしゃる方が多く、食料が少ない中、俺だ俺だ!とか布団をよこせ!みたいな、そういう暴動的なことは全くなく、皆さん助け合って一晩過ごされたと聞いています。
旅館も真ん中で割れたりとか空が見えちゃってるとか、護岸も傾いちゃって土もどんどん流れていってしまっているような現状です。温泉街もデコボコしちゃって…。未だにデコボコが続いていて、直してもまたそこがへこんでみたいなことを繰り返していますので、県外の方が見に来て車がパンクするみたいなことも未だにあります。

『能登の里山里海 を“めぐるちから”に。和倉温泉』というのが我々が最初に作ったビジョンとなっています。その中で大事だねって言っているのが「安全」「景観」「生業」「共有」「連携」「生活」という6つになっております。…という風にビジョンを作ったんですけど、一応完成はしてないと思っていまして自分たちはあくまでリリーフなので子どもたちが、次の和倉温泉を作っていく時にここだけは大事だろうというものをアウトラインしたというようなイメージです。ちょうど昨日も鹿島中学校という地元の中学校に行って、どういう未来にしたいかという話を聞いてきたんですが、子どもたちと一緒にアップデートするというイメージでおります。


復興ビジョンをまとめるプロセス

三宅さん:「多田さん、ありがとうございます。ここまでビジョンをまとめるプロセスってどんな感じだったんですか。」

多田さん:「ビジョンを作れという指示をもらったのが2月6日だったんですけど、第1回目の会議が2月8日、2日後だったんですね。そこで国の方が100人くらい本当に大丈夫かっていうのを見に来るから、とりあえず熱を持った会議をお願いしますみたいなリクエストだけいただいて…。さらに言うと、発表は29日ですっていう、発表日まで決まってたんですけど。約3週間しかビジョンを考える時間をいただけないっていう…その時はまだ水も来ていなくてどの程度の被害があるのか分かってないような状況だったので、みんな本当に困り果てて、どうすりゃいいんだっていうような状況でしたね。」

三宅さん:「作れって言ってるのは、行政の方からそういう話が来てるんですか?」

多田さん:「行政が、っていうのはなかなか言えないので、行政が作ったらいいんじゃないかて言っていたことを、温泉共同組合や観光協会とかにお願いをされたみたいな形で聞いています。ただ、まちづくりをスタートする上でやっぱりビジョンは大事なので、若手に作れって言うんだったら、実行も若手でさせてもらわないとやらないよと、親には言いました。」

宮田さん:「そういう危機的な状況というか、皆どうしていいか分からない状況だと、いろんな人にいろんな意見を聞くしかないようなタイミングだったんですかね?」

多田さん:「そうですね、本当に何を頼っていいかわからない状況でした。ただ、今回ビジョンを作りなさいと言われて16名集まって話をしたんですけど、今までは旅館以外の商店とか別の商工会議所の若手と一緒に地域の未来について話す機会がゼロでして、こういう機会がなかったらまだ10年、20年親たちがやろうとしていたという街なので、ここで変わらないと本当に変われないというタイミングでした。」

三宅さん:「そんな風にして皆で話し始めて、話は噛み合ったんですか?」

多田さん:「噛み合ったんですよ。本当に、旅館側だけじゃなくて商店も、代替わりして自分たちが街を作っていかないと、もう無理だと。自分たちの子どもに継がすことさえできないかもしれないという危機感は、若手みんなで共有できていたので。でも本当にやれるのかと。また親世代に潰されて、ビジョンだけ作ってあと俺たちやるから、みたいなことになるんじゃないかという恐怖がありました。」

宮田さん:「ちなみに親世代ってどういう潰し方をするんですか?」

多田さん:「例えば、補助金絡みで何回か会議をしなきゃいけませんよね。若手の意見も入れなきゃいけないと呼ばれて、若手としてはこの案がいいんじゃないですかと言ったものが全無視されて実施されているとか…。」

宮田さん:「無視なんですか?」

多田さん:「そうなんです。裏ではもう決まっているんだけど、形式上若手を入れなきゃいけない、みたいな感じの使われ方ですね。」

宮田さん:「それはちょっとモチベーション下がりますよね。」

多田さん:「そうですね。下がりますよね。」

三宅さん:「そうやって話してここまで来て、このビジョンというのは今、多田さんとしてはすごく自分の思いが詰まっていると思いますか?」

多田さん:「そうですね、代表として自分の意見の色をなるべく強くしないようにしていて…。」

宮田さん:「だいぶ遠慮しちゃっているんじゃないですか?」

多田さん:「まあ、遠慮はしているんですけど、期間内にまとめなきゃいけないので。このキャッチコピーって、パッと読んだだけだとありがちな感じに見えると思うんですけど、みんなの思いをキャッチコピーに込めるってめちゃめちゃ大変だなって最初から分かっていて、温泉が大事だとか、経済を回さなきゃダメだとか、街をみんなで歩かきゃとダメだとか、いろんな思いを言ってくれるんですけど、それをどうやってまとめようかなと。最初は、方言を使った方が自分たちの気持ちが入るんじゃないかとか、でも長すぎるキャッチコピーは覚えられないからダメだとか、いろんな注文だけがやってきたんですけど、そんな中で、僕は”めぐる”って言葉はいいんじゃないかって言ったんですね。めぐるっていう言葉には、和倉温泉を外歩きさせるっていうめぐるもあるし、奥能登までめぐってもらって、和倉がハブ地となる必要もあるよねっていうめぐるもあるし、経済のお金を回すのもめぐるだし、環境問題っていったところも、やっぱり循環っていうのはめぐる力だよねとか、あとは、温泉に入って血行がめぐって健康になるのもめぐる力だよねっていうことで、みんなの思いがこの”めぐる”に全部入らないか、ということで”めぐる”にまとまりました。」

能登の復興におけるまちづくり

宮田さん:「このあたりの話は明山さんの専門なので、ご意見とか、アイディアとかありますか?」

明山さん:「審査とか無茶振りの振られ方とか、2日でっていうところがすごく大変だなと…。でも、今お話聞いててすごい素敵だなと思うのが、自分たちの子どものためにっていう言葉が二言目に出てくるじゃないですか
今まで親世代に潰されてきた方々が、逆に子どもたちのことを考えているというところは、すごく希望を持てる話だなと思って聞いていました。」

宮田さん:「そうですね。でも、自分のお子さんたちがこれから代替わりというか、今の多田さんみたいに成長してきた時に潰してやろうとか思わないですか?」

多田さん:「どうなんですかね。親たちの気持ちは全然わからないですけどね。早く出てこいって思っている感じなんです。だから今の若手って言っても、平均年齢40歳超えてるので、決して若くないです。だから20代とかもうちょっと入れたいなと思ってるんですけど。」

宮田さん:20代くらいの方っていうのは地元にいらっしゃるんですか?」

多田さん:いや、いないですね。やっぱり間が抜けちゃってますね。」

宮田さん:「それは、抜けてるっていうのは、そもそもいないのか、どっか行っちゃっていないのか?」

多田さん:「どっか行っちゃってるケースもありますね。代替わりしてるところもほとんどないですし、後継者がいないところも結構あるので。だから旅館だけでどうにかっていう問題では今後なくなってくると思います。」

三宅さん:「和倉温泉の復興ビジョンの基本方針としてテーマが6つありますけど、ざっと見ても、これをやろうとしたらどうしようかっていうのがありますよね。多田さんの思いとして、こういう核が必要になるんじゃないかみたいなところってあるんでしょうか。」

多田さん:僕としてはやっぱり安全を担保したいですね、町に対して。
こういう震災があって復興したから、これから災害があったときに、お客様も安心だし、地元の方も、例えば旅館がさらに耐震性を高めて復興するんで何かあったときの避難場所として旅館が使えますみたいな、そういう復興を目指したいという思いはあるんですけど、なかなか現実はそのようにいかなくて。どうしても復旧して早く生業を始めたいという思いが町としてすごく強いくなってしまっているので、目先の課題ばかり見て、2月にみんなで思い描いた未来からのバックキャストになっていない感じはしますね。」

三宅さん:「そういうプロセスって、何か交通整備する方法ってあるんですかね。」

明山さん:「正直、簡単ではないんだろうなっていうのは思いますかね。
誤解を与えちゃうとよくないですけど、やっぱり、まちづくりっていろいろなやり方があるんですよ。で、そうした時に、前橋の田中さんの例のようにわかりやすいリーダーがおひとりいるっていうのは大きいと思いますね。
でも、今の状況で言うとなかなかそういう雰囲気でもない感じですよね、きっと。自分の私財を投げ売ってでも全部やってやるぐらいの感じの方がいるわけでもなくって感じですか?」

多田さん:「そうですね、リーダー…。例えば僕も代表させてもらってますけど、旅館組合には組合の代表がいて、観光協会には協会の代表がいて、和倉温泉には加賀屋さんという大きい旅館さんもあって、代表が沢山いるので行政もこの案件に対してどこに問い合わせていいの?みたいなことになっちゃっています。問い合わせ先が温泉組合だと、父の代が回答しますし、まちづくり協議会だと、僕らが回答するので、全然そのニュアンスが違って伝わっちゃうっていう、こっちで主役したいんですけど、いや、俺たちもっていう、やっぱまだ縄張り争いみたいなのが現状がありますね。」

明山さん:「そういった際に、やっぱりまちづくりって政治の世界に巻き込まれちゃうところがあるじゃないですか。分かりやすく言うと、前の市長がやったことを4年で任期が変わったら否定するとか、何かを建てるって言ったものを変えたりとかしちゃうんですけど、前橋の例だとデザインコミッティを作って、要は市長とか
が変わっても、そこの方針は変えないっていう仕組にされてるんですね
。それは別に代表が一人でやってるってことではなくて、やっぱり合意形成したデザインのビジョンとかプロセスを作ってそこを目指していきましょうと。僕がお伝えしたかったことは、誰か旗を振る人がいればいいって話だけをしたいわけではなくて、みんなが合意形成してまとまったものをちゃんと守っていこうねっていう環境を作ることが大事だなと思っていて、これをお題目で終わらせずに、ちゃんとみんなこれやっていくんだよってことをロードマップも含めて、そっちの合意形成も重要になるんだろうなっていうのが聞いてて思う点ですかね。」

多田さん:「市との連携が上手くいっていない感じはしていまして、県や国がなんとかしましょう!という思いを持ってくださっているのは伝わるんですけど、市からあげていただかないと動けないんです、ということもかなりあるので。今月27日に市長選がある中なので、本当にセンシティブな状態ではありますね。うまくいけばもう少し行政と一緒に、このビジョンやこれからの和倉温泉を守っていくことも可能なんじゃないかなと思いますが。」

ビジョンを実現させるためのキーポイント

宮田さん:「市長選、出なかったんですか?」

多田さん:「はい。」

宮田さん:「出ちゃえばよかったのに。でもこの次のステップはどうなるんですか?これを実装するには。」

多田さん:「今このビジョンを作ったんですけど、結局これは言葉でしかないので、例えば共有とか生業だとかいう文字が書いてあっても、これが和倉温泉に生かされたらどんな街になるんだっていうのは、みんな見え方がバラバラなはずなので、計画を作る上では、それをビジュアル化するっていうことを今一生懸命やってます。それを叩き台として、もう一度町人の方とブラッシュアップしていくっていうようなのが今計画作りの段階で、目に見えた方がビジョンはわからんけど、こんな街いいねって言ってもらえれば、それについて動いていくんじゃないかなっていうような思いはありますけど。
そのあたり、明山さんどうですか。」

明山さん:「そうですね。本当、目に見えるっていうところと、僕が場作りをやっててもう一個思うのは、いきなり場に行かなくていいと思うんです。だから、こういう概念を持った小さなイベントとかでもいいと思うんですよ。日本人の癖で、なんでもまずは箱を作りたがるところあるじゃないですか。まちづくりみたいな言葉がついちゃったら、何か作らなきゃいけないってなるのかもしれないですけど、僕は正直、場の先にある活動の方が大事だと思っているので、そういった活動からこの言葉に当てはまる、例えば今日の話、安全・安心の防災を強化するということが入っているんだったら、まずはみんなで防災運動をやりましょうとかって一歩踏み出すことが、大事かなと思いますかね。それは場所を作らなくても始められるじゃないですか。それを積み重ねていって、その先にこういう活動をする時にこういう場があったら、より良くなると思うという順番で場を作っていった方が、僕は健全かなというふうに思いますかね、そのプロセスとして。」

多田さん:「めっちゃいいですね。今何が課題かというと、このビジョンを作るのも計画を作るのも、若手中心と言いながら結局クローズドなメンバーでずっと話をしていて、その結果、現状どこまでどうなっているのか周りもわからなくて。手伝いたいっていう企業とかもいろいろある中で、どう手伝っていいかがわからないという機会損失みたいなのが生まれちゃってる気がするので。その問題をじゃあオール和倉にするっていうのも、それぞれに置かれているフェーズが全部違うので、だんだん難しくはなってきてるんですけど、ただこういうイベントをしますっていうことであれば、一緒にできる部分が結構増えそうな気がしてて、そこからコミュニケーションを通して、将来こうしていきたいんだっていう話をしていくと、手伝っていただける企業の方も、入りやすくなってくるのかなっていう気がします。」

宮田さん:「なんかそういうのって、ずっと石川県もやってるけど、地方のDX化で可視化したりとか、市民誰でも見たり意見したりすることができるみたいな、そういうことっていうのはまだされてないんですかね。」

多田さん:「そうですね、まだそこまではなさそうです。」

宮田さん:「でもまあ、この課題は僕急務な気がしますけどね。特に今石川県はそうやって課題の共有とか、可視化とか、意見を出すとかっていうのは、こういうDX使ってやるのは急務じゃないのかなって気がしますけど。」

多田さん:「今までの旅館って仲良いわけではなくてですね、お客さんの取り合いがあったり、従業員の取り合いみたいなのがあったりする歴史があるので、あんまり腹割って話せないみたいなベースがあるんです。でも、これだけ大きな被害があって、みんなもう大変な中なので、これを機会に横軸連携ができなかったら、もう無理なんじゃないかと思ってるんですけど、観光庁とかの補助金も、結局和倉温泉に何人お客さん泊まってますかっていう情報があやふやだとやっぱり結果が分かりにくいんで、補助金出しにくいっていう風になってくるんです。今現在、各旅館からのファックスで、うち何人泊まってました今月、みたいな、鉛筆で書いたやつを足して何人でしたってやってるんですけど…。」

宮田さん:「まだそういう段階なんですか?」

多田さん:「そういう段階なんですよね。」

宮田さん:「それは親世代じゃなくて若手の世代でもそうなんですか?」

多田さん:「そうです。組合からがファックスで届いて、ここに書いてファックスくださいっていうものなんですよね。」

宮田さん:「もう、うちのオフィスファックスないですよ。」

多田さん:「本当ですか?めっちゃ使ってます、ファックス。なので、そういう意味で横連携も含めて、DX化をまず目指すにあたっては旅館同士がある程度話をしていかなきゃいけないと思って、まちづくりの中で旅館トークっていう、旅館の方が集まって今どういう課題があるみたいなことを話し合いましょうっていうのを今2回あったんですけど。」

宮田さん:「少し仲良くなりそうですか?」

多田さん:「いやー、まず来てくれるっていうところを頑張ってやっていて、なんとかテーブルには来てくれるようにはなったんですけど、腹を割って話すかって言ったところはまたちょっと別のハードルな感じですね。」

宮田さん:「なるほどね。まあでも旅館とかね、その業界だけでそういう話があるんだとしたら、それ以外にも沢山いろんな産業があるわけだし、まちづくりをやっていくには、どうやって意見をまとめていくみたいなのってめちゃくちゃ大変な課題ではありますよね。」

三宅さん:「そうですよね。しかも、今は和倉温泉の話をされていますけど他の能登のエリアをめぐっていこうみたいなお話とか、ビジョンとか、すごく素晴らしいと思うけど、どうやってそれを実現するか難しいですね。」

宮田さん:「いやでもね、明山さんの『GREEN SPRINGS』 の例でいくと、あそこも多分いろんな人がいたと思うんですよね。」

明山さん:「そうですね。ただ、やっぱり『GREEN SPRINGS』の場合は一企業なんですよ。だから、代表がGOを出してくれたらやっていけるっていうことがあるんですよね。」

宮田さん:「でも課題はいろいろありましたよね。」

明山さん:「はい、課題はあります。」

多田さん:「今、宮田さん良いポイントおっしゃったんですけど、和倉温泉もそういう意味では街が一つではなくて、今、何とかワンチームにしたいと思っているのと、能登半島を見ても市町村でバラバラだったと思うんですよね。横軸連携みたいなのが、この震災復興を通してできないかなと思っていて、和倉温泉は若手にバトンをって言って僕みたいな人が出てきました。僕は他のエリアもそういう人が出てくるのかと思っていたんですけど、そうではなかった。結局、行政区域で復興計画が違いますみたいなことになると、バラバラになっちゃってもったいないなと思っていたので、和倉温泉をハブ地としての横軸連携を通して、地域で復興を頑張っていらっしゃる方とアライアンスを組んで、横軸でできることを、できる体制を作ろうと思っていたんです。ただ、そこで豪雨があって、ちょっと今は復興だとか、横軸連携だとか、すごくしづらい状況になってしまってます。頑張って何とか前向いてやっていたところにあの被害なので、心が折れたという感じですよね。本当につらいです。」

三宅さん:「昨日でしたっけ、中学生に意見を聞いたみたいな話。それっていくつかのところでやってたんですかね。」

多田さん:「いや、初めての試みです。和倉の街のビジョンはさっき作りましたけど、子どもたちの思いっていうのが拾えてないってすごく思ってて、自分が子どもだったら、親が勝手に作ってビジョンだとか復興だって言った街に住むか住まないかの選択じゃなくて、やっぱり自分たちも子どもの時に聞きに来てくれて、それが街に反映されたなっていう思いを持って大人になっててほしいなってすごく思ってるんです。自分たちが街を変えれたりとか、将来を作れるんだっていう小さな自信みたいなのを、復興を通して何か作れないかってすごく思ってるので、それが何かっていうのを昨日聞きに行ったんですが、イオンを作ってくれとか、マックが欲しいとか。具体的なのが出てきちゃって…。でもそれって結局は目に見える、わかりやすい子どもたちが楽しい場所が少ないっていうことなんだろうなとは思いましたね。」

宮田さん:「僕、昔地方都市に行くとそこにしかない魅力が結構あったけど、今どこの地方都市行っても同じ景色しか見えないじゃないですか。
それこそ今言ったイオンだ、マックだ、とか。
知らないからそれしか発想が出てこないんですよね。これはこれで僕すごい寂しいことだなと思うので、特徴がなくなっちゃったはずもんね。」

多田さん:「明山さん、答えを。」

明山さん:「答えはすぐないですよね。ただ繰り返しになるんですけど、子どもたちの意見を聞くこと。こう言っちゃなんですけど、イオンが欲しいとかもあるかもしれないけど、その裏にお話があったように楽しい場所が欲しいとか、そういうことを良い意味で大人の役割って、こういうものも魅力であるんだよということを地域にちゃんと伝えていくということは大事だし、たぶんその中で子どもたちが気づくことってあると思うんですよね。それはすごくポイントじゃないかなというところですかね。」

三宅さん:「今日の明山さんのお話にあったように、そういうような街づくりをした場所に、中学生とかを連れて行くっていうのはどうですかね。こういう話があって、こんなことを考えてこんな街になったんだよみたいなことの事例をいくつか体感して、それで子どもたちが何を感じるかみたいなこととかっていうのは、今オプションがないからとりあえず言おうねみたいな感じだとしたら、何かそういう機会もあったら面白いのかな。」

宮田さん:全く知らないものを子どもたちが想像できるかというと、僕、できない気がするんですよね。一度何か見たり体験したり、どこから想像力を膨らましていくっていうのはできるんだろうけれども。」

多田さん:「もしそういう復興を経験した街に視察で行くんだったら、やっぱり話すのは大人じゃなくて子ども同士がいいなというふうに思いますね。何が変わったのか、何が良かったのか、どういう価値に気付いたとか、なんかそういう話をしてくれると、たぶん戻って探すと思うので、そういう経験はすごくいいなと思います。」

三宅さん:「確かに。僕がアメリカに住んでいた時に、東北の震災を経験した高校生が、1ヶ月くらいリーダーシップを学ぶというプログラムをやっていた人たちがいたんですよね。その話で、結局最初のうちはすごく辛い話をしているんですけど、やっぱり他の人といろんな話をして全然違う環境にいると、思うところがあって、その子たちが日本に帰ってこんなことを始めましたみたいなことが、その後にニュースを聞いて分かって…みたいなのがあったので、本当に次の世代の人たちの発想が出てくるような環境づくりみたいなのができてたら、希望が持てるなって気がしました。」

明山さん:「子どもってものすごい、可能性の塊じゃないですか。これは、僕が前職の時に経験させてもらったんですけど、北海道の上士幌町って人間が多分4,000人ぐらいなんですけど、牛が2万頭いるような、まあのどかな場所なんですよね。でもそこは昭和50年には小学校が廃校とかになっちゃってるんですよ。そこで僕が前勤めてた会社は移住促進の林間学校とかやってて、家族で参加していて、僕当時独身だったんですけど、社員の家族とか希望した人は大体10組ぐらい行って、僕もそこに混ぜらせてもらって行ったんですけど、行く前と行った後の子供のアンケートの感想がすごく面白くて、行く前は近くのコースに旭山動物園が入っているので、行く楽しみはなんですかって聞いたら1位そこばっかりなんですよ。でも帰ってきたら何を書くかといったら、地元の子たちと遊んだのが一番楽しかったってやっぱりなるんですよね。そしたら雪遊びとか向こうの子たちの方が知ってるし、でも子ども同士って遊んでるうちに楽しくなるじゃないですか。聞いてると、今度地元の人たちに向こうにいる社員から教えてもらうと、やっぱり自分たちの街がこういうところが面白いんだって知れた。当たり前と思ってたことが価値なんだっていうことを逆に気づけたりするので、被災地同士もそうですし、僕も昨日寄らさせてもらって、そのあと能登島とか行ったりして、やっぱり来ないとわからないことって本当にあって、でもそういうのを子ども同士が交流できるきっかけとかあったりしたら、子どもたちも自分たちの良いことに気づけるのかなって。やっぱりそうやって体験しないと本当の価値がわからないので。」

多田さん:「昨日のその中学校のイベントで言えば、その子供たちの意見を吸い出すっていうのはもちろんあの一つ課題としてというか目的としてあるんですけど、もう一つはその子供たちの思いをその地域の大人に聞いてもらうっていう僕は目的も持ってて、なのでそのこの復興のチームの人たちだけじゃなくて、その学校って3校区からなっているのでそれぞれの校区から親御さん何人か来てもらって、ファシリテーターをやってもらって子供からヒアリングをするみたいなことをしてもらったら、子どもってこんな風に思ってたんだとか、やっぱりその分かっているつもりでもちゃんとこう膝と膝をつけ合わせてっていう機会が今まで震災もあってなかなかなかったみたくて、そういう気づきを子どもからもらっただけじゃなくて地域の人にも伝えられたってことが昨日一つ収穫だったなというふうに思います。」

三宅さん:「最後に、多田さんに1つだけ。和倉温泉の復興には、外部の人たちも関わっていらっしゃるのかなって想像するんですけど、どういった形の関わり方が良いとか、今こういうのが上手くいっているとか、何かそういったことがあれば教えていただきたいなと思いました。」

多田さん:「震災後っていうとまだ本当に上手くいけてない部分が多くて、
本当にクローズドになっちゃってて申し訳ないです。それをうまく表に情報として出せるだけのマンパワーがない部分もあるので、例えば年配の方と若手の間をうまく取り持ってくれる人とか、情報発信をうまくやってくれる人とか。それもどんどん毎週フェーズが変わってくるので、今どうだというのを分かってやらないと、遅い情報だったり間違った情報になってしまうので、そういうことをうまく察知できる人材が今いない状況ですねプロジェクトマネージャーみたいな人もいないです
多田旅館でいうと、もともと県外から働きに来ていらっしゃるスタッフもいたので、実現されてはいないのですが、そういう方に能登を知ってもらおうということで一定期間、酒蔵さんとスタッフの交換をしましょうよというプロジェクトを考えていました。多田屋ではどんなお酒がどんなシチュエーションでどんなお客さんに選ばれているのかというのを学んでもらって、多田屋のスタッフは酒蔵に行って、どういう思いを持って作っているのかというのを学んで帰ってくるみたいな、そういうトレードができると面白いですよねということは言っていたので、それがまたできるようになっていけば良いなとは思っています。」


まとめ

第二部では、「まちづくり ✖ 能登復興」をテーマに和倉温泉 多田屋の代表取締役社長 多田健太郎さんをお迎えして、明山さんやCLL代表の宮田さん、三宅さんと共に能登の未来について新しい視点を模索しました。
復興中の豪雨災害もあって、課題はたくさん見られますが、明山さんからのアドバイスのように小さな活動から始めたり、子どもたちの意見を反映させたり、未来に向けて少しでも歩みを進めていただけたらと思いました。

今回も多くのみなさまにご参加いただき、ありがとうございました。
これからも能登の支援を続けていきましょう!


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