『RRR』を3回観たとても個人的な感想。(ネタバレあり)
RRRはとにかくすごい映画なんだけど、何かが心にひっかかっていて、それが何かわかったんだけど、よく考えたらそんなこと気にする必要なんて全くなかったよね!映画を楽しもう!というお話。
ツイッターでわざわざ呟くようなことでもないので、こっそりこちらにアップしておくね。
RRRはすごい映画だった。
そういうのはいろんな人が書いてるのでここでは違うことをまとめてみようとおもう。でも思い出したらウワーとかアーーー!って声しかでない。
とりあえず3回観たので、インドオタクとしてはそろそろ感想をまとめなければならない。
私はバーフバリの大ファンだ。
でも監督の次回作が史実をもとにしてて、1920年が舞台だと知って、心配な気持ちになったのも事実だ。
ただでさえ今のインドはヒンドゥー至上主義が強まっている。インド独立をテーマにしたお国万歳映画だとしたらしんどいなと思ってた。
でも実際観たら、全然違った。そういうじゃなかった。
とにかくすごくて神話だった。すごかった。ウワー!ってなった。
この映画を語ろうとすると語彙が貧弱になる。
1回目みたときは、圧倒されてほんとどうしていいかわからなかった。
初めからものすごかったんだけど、とくにさいごのほうで現実の人間だとおもってた主人公たちが古代叙事詩の英雄になったときにはもうすごすぎて気が狂いそうだった。
ラーマは『ラーマーヤナ』のラーマ王子に。
ビームは『マハーバーラタ』のビーマ王子に。
二人が覚醒したとき、マジで感動で震えた。すごかった。ウワーってなったしウワーとしか言えなかった。
でも少し冷静になると、心の中に何かしんどさも残った。
たぶんそれは私がほんの少しばかりインドの歴史をかじってるからだろう。そう結論づけてた。主人公のモデルとなった彼らのその後の運命を調べてみたら、とてもしんどかったということもある。
でもこのしんどさはそれだけだろうかと、この1週間でいろいろ考えてみた。
RRRは史実を元にしつつも、さいごは神話になった。それはいいのだ。
でも一番びっくりしたのはインド総督の最期のことだった。
まって、インド総督だよ?大英帝国の??!
あれには脳がバグったが映像の凄まじさでねじ伏せられてしまった。
神話が大好きな監督の作品だから神話になるだろうなーと心の中で納得もしつつも、まさか本当に総督を倒すとは思ってなかった。
だってインド総督が倒されたら歴史変わっちゃうじゃん???!!!
私の中では、史実を元にした映画というのは、変えることができない過去の歴史の中で彼らがどう生きたのか、その生き様を追いかけるものだと思っていたということもある。なので、そこがひっかかっていたのだ。
序盤で捕らえられていた人物の名前に気づいてさらにウワー!!ってなった。あの1万人の群衆が開放を求めていたのは、インド独立運動の中心にいた史実の人、ラーラー・ラージパト・ラーイだ。
えっ、まって、ラーラー・ラージパト・ラーイといったらあのティラクたちと同じ時代の人でしょ?
史実が元になってるのに?どういうこと???
こんなのタイムパトロール案件じゃん???
と、私の中の歴史オタクな部分が悲鳴を上げた。
でも、やっと気づいた。私は大きな間違いをしていた。
RRRは歴史の映画じゃなかった。
RRRはラージャマウリ監督のラージャマウリワールドなのだ。
いやもう、出会いからして炎と水だし橋でアレだし普通とは違ってたんだからもっと早く気付けよ自分、バカなの???って話なんだけど、余計な知識が邪魔をしてしまった。あまりの映像の衝撃もあってそのへんがなんかもうよくわからなくなってしまっていたのだ。
人間、すごいものを見せられてしまうと語彙も思考力も低下する。
よくかんがえたらこの話が史実のはずがないのだ。
だってこの時代のインド総督はスコット・バクストンではなく、初代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャーだ。
史実と結び付けて考えようとするからおかしくなるのだ。
明らかに気づいたのは3回目に観たとき、ビーマがラーマの牢を壊したシーンあたりからだ。ギアが変わって神話になるあたり。
あのへんからはもう時空が歪んでしまってるのがやっと理解できた。
アッこれちがいますね、歴史かんけいない。歴史のお話じゃない。
史実を映画のためにねじ曲げたわけでもなんでもない。
もともと違う世界の話だった。
囚われたシータ姫…じゃないラーマ王子を助けに来たハヌマーンなビーマ王子??なんかすごいパワーで牢の扉を破壊して肩車アクション??
霊基再臨??ラーマ王子の無限矢の矢筒?!は??????
何度見てもすごいんだけど、いや、これは違うんだ。
神話でパワーアップして問題解決!とかじゃないんだ。
ここから先はもう別の世界線につながってるんだ。
ていうかこの世界は私が知ってる世界じゃないんだ。
RRRは、1920年、本来は出会わなかった二人が出会ったことで生まれた奇跡が、なんかよくわからないすごいパワーで別の未来へと向かった物語だ。
だって、私が知ってるインドの歴史はちがうんだ。
インド独立のために多くの人が立ち上がり犠牲になった。でも、いくら英国という共通の敵がいたとしても、もともと一つの国ではない言語も風習も全く異なる人々が、それぞれに立場を主張して、まとまることは難しかった。
ガーンディーの運動もアンベードカルの思想もネルーの理想もジンナーの夢も、インドという広大な土地に住む人々皆が納得したわけではなかった。
それでもなんとかインドは独立することができた。
でも、独立時にはインドとパキスタンが分かれてしまい、暴動が起こって多くの無関係な人々が亡くなった。
1920年から100年以上が経った。しかし今でもインドにはカーストによる差別が残っていて、映画の中でイギリス人がインド人にしていたようなことを同じインド人同士が行なっている。
この映画はお国万歳映画だと批判する人がいるかもしれない。
たしかにインド独立のために戦った人たちへの強いリスペクトが込められた映画ではある。あのとき何度も投獄されながらも戦った人たちがいたからこそ今がある。そこは否定しない。
でも、エンディングに登場する英雄たちが、独立運動で散った人たちが、あの「ヴァンデー・マータラム」という旗に込めた思いはどうなった?
今のインドは彼らに誇れるのか?
監督がそう問いかけているような気がした。
お国万歳にみせかけたインドへの批判が満載の映画ととることもできるのではないかとも思った。
インド人ではない私が外から言うのは簡単で、無責任なことだとは知っているのだけども。
でも、そんな難しいことを考える必要はなかった。
3回観て、やっと気づいた。
これは映画なので、純粋に楽しめばいいんだ。
そうなのだ、RRRは私が知ってる歴史とは違う世界なのだ!
RRRの世界では、ラーマとビームが出会ってしまったことで、なんかすごいパワーで歴史が変わってしまったのだ!!!!!
1920年から分岐した、いや、もっと前から分岐していたもう一つの未来。
ラーマとビームも、私たちが知ってる、彼らのモデルとなった歴史の中の人ではない。そこを間違えてはいけない。別人だ。
RRRにはRRRの世界がある。フィクションだ。
RRRは創造神ラージャマウリ監督が作った世界なのだから。
ラーマとビームがインド総督を倒したあと、どうなったのだろうか。
そこから先は、私が知らないインドが始まっている。
彼らはインド独立運動の中心となったに違いない。なんたって総督を倒したのだ。もう後には引けない。大英帝国は激おこだろう。
もちろんガーンディーも激おこだったとおもうけど、(むしろガーンディーが活躍した世界なのかどうかもあやしい)ラーマとビームの活躍のおかげで、バラバラだったインドが一つになって、インド国民会議からも彼らは歓迎されたに違いない。
もしかしたらインドとパキスタンは分離しなかったかもしれない。
あのエンディングに登場した独立運動の英雄たちは、RRRの世界では違った人生を送っていたのかもしれない……とまで思った。
そういう、ありえなかった未来。ミラクル。
そんな未来が、彼ら二人の出会いから生まれたのだと思った。
1920年に二人が出会って起こった奇跡の物語。
もう一つの未来の物語を描いたのがこのRRRという作品なのだろうな、と。
ラーマとビーム。ラーマ王子であり、ビーマ王子である二人。
インド二大叙事詩の英雄は、現代の英雄の中に復活した。
そして彼らは、未来で新たな神話を作るのだ。
なんて素敵な、すばらしい物語だろう。
この作品に出会えて本当によかった。そう思ったのでした。
おしまい。
追記。
この映画は女性の描かれ方がバーフバリとはちがってイマイチだ、というのは感じている人が多いかもしれない。私もはじめみたときそれは感じた。
ジェニーもシータももっと活躍してよ!って。
でも、それはこの映画のテーマではないから仕方ないのかな、と考えてる。男同士の友情が強すぎると見えるが、この映画ではたまたま主人公が男だったからだろう、人間の友情に男も女も関係ないよね??そこ性別にこだわるところかな???と思うことにした。
だって監督は、シヴァガミ様やデーヴァセーナ様のような、強い女性を描くことができる人なので。あえて削ぎ落としたんだろうなと。
痴漢する男は首を跳ねるのが正義だと宣うバーフバリを生んだ監督なので、そこは信じている。もちろんデーヴァセーナ様が息子を切望されていたなどインドの価値観は色濃いのは否定しない。
しかしこのご時世、女性の描かれ方が問題になることがわかっていながら、潔くバサっとカットしてるのは逆にすごいと思った。
でも、あと3時間あれば、さらわれたラーマを救いに行くシータを見ることができたと思ってる。
だってシータ、反政府思想の村の中で生きてきたのですよ、訓練されてるのは男子ばかりでしたが、あんな事件があったあとなら、銃くらい軽く扱えるんじゃないかな???むしろ村の中心にいたのはシータなのでは???
おまけにRRRがラーマーヤナを下敷きにしてるのはわかりきっていることで、でもこの映画のヒロインはシーターではなく囚われたのはラーマだ。ラーマがヒロインなのだ。そりゃあハヌマーンはお城を燃やしても助けにいくわ。お姫様抱っこもする。
つまり、あと3時間あれば(いや6時間でもいい)つよつよシータがラーマを助けに行ける話がみれたってこと????ですよね!!!!!?ジェニーとシータとの友情物語もあったかもしれないってこと??????
でもそうすると圧倒的に尺が足りないので、仕方ないのだ。
そういうのは脳内で補うしかない。
ラージャマウリ監督の中にあるラージャマウリワールドを一般開放してほしい。RRRをもっと浴びたい。
というわけで、初見から一週間経って、ようやくこの映画を自分の中で咀嚼して消化できた気がする。
でもあと10回は観たいし、たぶんあと10回観たらまた別の感想が出てくると思う。
何度でも観て、何度でも楽しみたい。
そういう映画を作ってくれた監督に感謝してます。ありがとうございます。
とりあえず3回観た感想はここでおわり。
まだまだRRRはつづく。