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【TENJIKU吉野座談会①】旅人×吉野町住民座談会 -旅人と考える吉野町の魅力とこれから-

TENJIKU吉野では新たな取り組みとして、他府県から訪れる旅人・吉野町に在住している町民の皆さんと一緒に吉野町の魅力を再発見し、旅人と地元の人々との関係を深めながら吉野町のこれからを考える座談会をスタートしました。第一回の座談会では、TENJIKU吉野に滞在する旅人のお手伝いを受け入れている自治協議会のお二人をゲストとしてお迎えし、吉野町関係案内人の菊地さん、菊地さんのサポートを務める公式サポーターの美濃さん・中川さんとともにディスカッションを行いました。

座談会の会場は、吉野町にあるゲストハウス・三奇楼のデッキの下。
吉野川をのぞむカウンター席は、ワーケーションをする旅人からも人気のスポット。

第一回座談会では、旅人のお手伝い先としてお世話になっている上市地区自治協議会地域活性化部会部会長・小川博史さん(手前右)、国栖地区自治協議会地域活性化部会部会長・辰巳早苗江さん(手前左)をゲストスピーカーとしてお招きしました。

スピーカーの自己紹介


中川:では、簡単に自己紹介をお願いします。

小川:上市地区在住の小川と申します。生まれも育ちも同じ上市地区で、今年の8月6日で55歳になります。昔は醤油屋さん、酒屋さんなど家業でいろいろやっていましたが、その後15年ほど会社勤めをして、現在は新しい会社の活動として、奈良県産の米粉を使った商品を扱っています。地域の活動としては、上市にある自治協議会「笑転会」の地域活性化部の部長をしてます。直近では吉野町で行われる夏の灯籠流しなど、主に昔から続いている伝統行事などを運営しています。


中川:ありがとうございます。では、辰巳さん、菊地さんもお願いしてもよろしいでしょうか。

辰巳:はい。国栖地区在住の辰巳と申します。生まれは吉野町ではないけれど、吉野町で長く暮らしてました。大学生の時には京都にも住んでいたことがあります。小さいころから、「材木も需要が落ちてきていて、地域活性化もなく、吉野町はもうだめだ」という周りの大人の言葉を聞いて育ってきました。けれど、美しい自然や豊富な資源のあるこんなに素敵な町に可能性がないという考えにはどうしても納得できず、そんな思いから数年間まちづくりのコンサル業をしていました。しかし、仕事として取り組んでみると自分が実現したいまちづくりとは方向性が違うと感じて、地元に帰ってきて建設業に就きました。建設業とまちづくりには関係がないように見えますが、どちらも地域のことをよくわかっていないとできない仕事です。また、上市と同じく国栖地区にも自治協議会があり、設立当初から現在まで地域活性化部会の部会長をさせていただいています。廃校になった国栖小学校の跡地を「くにすの杜」として整備して、キャンプ事業なども行っています。

美濃:すごいですね!

美味しいものを囲んで、はじめましてのご挨拶。旅人にお手伝いを提供してくれている自治協議会の皆さんからどんなお話が聞けるのか、美濃さん(手前左)も興味津々。

菊地:吉野町の関係案内人・菊地です。地域の案内人として、TENJIKU吉野と旅人の皆さんを繋ぐ役割をしています。TENJIKU吉野での滞在をきっかけに旅人が地域の人と関われるように、旅人と事前にすり合わせをしてお手伝いをアテンドするなどの滞在サポートをしています。最初私は、地域おこし協力隊として募集されていた「森林セラピー」という事業の事務局にいましたが、半年ぐらいでその事業がなくなり、その後「吉野町関係案内人」というポジションに異動になりました。今の仕事についてから、外の人にも中の人にも、TENJIKUでの取り組みとは何か、私が何をしている人なのかまず知ってもらわなければと、数年間活動をしてきました。

中川:サポーター側も自己紹介をさせていただきますね。吉野町の関係案内人・菊地さんのサポート役としてお手伝いをさせていただいている中川と申します。普段は京都に住んでいて、10年ぐらいずっと学習塾に勤めていました。現在はフリーランスで観光・教育関係の仕事をしています。吉野町には2年半ぐらい前に、多拠点滞在サービス「TENJIKU」を使って初めて滞在しました。TENJIKUを使って吉野町に滞在したときに、受け入れ先の方に優しくしていただいたり、吉野町の歴史の深さに魅了されたりする中で吉野町に通うようになり、現在は月1回程度吉野町へ出入りをしています。


菊地:中川さんは半年先くらいまで、まとめてTENJIKUの滞在予約をしてくれていた時期もありましたね。

中川:そうですね。

小川:京都での仕事も行いながらでしょうか?

中川:そうですね。仕事の大半はオンラインでできる内容なので、仕事持ち込みで滞在しています。滞在中は、地域のお手伝いをしている時間以外はあまり出かけていないですね。

美濃:東京から参りました、美濃です。皆さんからは「ちゃっぴー」と呼ばれています。普段は、療育やサポートが必要なお子さんの児童発達支援・放課後等デイサービスやフリースクール、個人でのカウンセリングなど子どもたちやそのご家族の支援に関わらせていただいています。以前、企業の従業員さんの子育て支援で他地域の方や地域の子どもたちといっしょに活動する機会があり、前の仕事を離れるタイミングで「旅をしながら働きたい」と思うようになりました。中川さんに出会った時、すでに彼女が旅をしながら働いていて「よかったら私が旅先をアテンドするよ」と言って連れてきてくれた場所が吉野町でした。普段は東京で仕事をしており、吉野町までは距離も少し遠いので、初めてきたときは「今後頻繁には来ないだろうな」と思っていました。ですが、吉野町への滞在中にたまたま「私にはこんな夢があるんです」というお話を地域の方にしたことがあり、その時「やってみなよ」と背中を押していただいて、本当に実現したことがその後も吉野町へ通い続けるきっかけになりました。
何も知らない余所者の私に対して一緒に活動しようと言ってくださったこと、受け入れてもらえたことが嬉しくて、気がついたら自分の故郷なんじゃないかと思うくらい、吉野町が“戻ってくる場所”になっていました。
中川さんと同じように、現在は公式サポーターとしての菊地さんのお手伝いをしています。TENJIKU吉野に滞在する旅人のアテンドをサポートする立ち位置でもありつつ、吉野町に興味を持っているけれど遠くてなかなか来られない方を連れてくることにも力を入れています。吉野町に関わるたびに、資源や素敵な人であふれている吉野町をもっと知ってほしいと思う気持ちが大きくなります。私としては、この町がずっと続いていくように旅人の立場から何か関わりが持てたら嬉しいなと思っています。

菊地:でも、1回目に美濃さんが吉野町に来たときは「もう2度と来ない」と言っていましたよね。

美濃:そうですね。最初に吉野町に来たときは、東京から片道5時間かかることを3日前に知りました。中川さんから「大和上市駅に13時集合で」と連絡をもらった時に、東京からだと始発で向かわないと間に合わないことがわかって、慌てて連絡しました。半分騙された気分でしたね。2度と行かない!と思ったけれど、約束したので1回だけ行くことにしてその時は向かいました。けれど、さまざまな滞在拠点がある中でも、一番吉野町がおすすめだと言っていた中川さんの言葉の意味が、私も吉野町の皆さんと実際に関わってみてはじめてわかりました。

関係案内人サポーター制度発足の背景

■写真:
小川:
中川さんが美濃さんに紹介したい町として、吉野町が「一番」だと思った理由はなんでしょうか?

中川:お手伝いの種類が豊富で、刺激的で面白かったことが大きいですね。吉野町に来る前から、多拠点滞在サービスはいくつか利用させてもらう機会がありました。ですが、TENJIKUを利用した滞在ではただ宿泊するだけではなくて、一部地域の仕事を手伝わせてもらって、しかも泊まれるという仕組みが魅力的でした。密接に地域の方と関わることができて面白かったですね。他の滞在サービスでも、観光の延長として複数拠点をまたいで宿泊をするということはありましたが、吉野に滞在するときは毎回関係案内人の菊地さんが私のやってみたいことや好きなことなども考慮しながらお手伝いをアテンドしてくれました。
例えば、お寺に行って掃き掃除をしたり、伝統的な行事に参加したり、ペンキ塗りをしたりと、普段の生活ではやったことがない活動を見つけて菊地さんがお手伝いを組んでくれていたので、毎回滞在するたびに色々な刺激がありました。
お手伝い先に行くと「旅人さん、よろしくね」みたいな挨拶をいただいて、旅人というワードが浸透していることに驚きましたね。人の温かさと日常生活にはない刺激の両方があって、ぜひ美濃さんにおすすめしたいと思いました。

サポーター・美濃さんの吉野町初滞在。この日は関係案内人の菊地さん(中央)と同じサポーターの中川さん(右下)と一緒に、お寺で弘法市前日のお手伝い。

小川:関係案内人の菊地さんが、これまで頑張ってきたおかげですね。
菊地:その通りです!笑
小川:菊地さんから私に、「旅人が来るので、何かお手伝いできることありませんか?」っていう相談をもらったこともありましたね。
菊地:そうですね。スタートしたばかりのころは、地域の方に旅人がくる日に合わせて仕事を用意してもらったこともありますね。スタートしたばかりの時はTENJIKUの取り組み自体を知っている人も多くなかったので、「何かお手伝いを探さなきゃ」と思っていました。旅人は吉野町に興味を持って滞在を申し込んでくれるけれど、地域側にはまだお手伝いできる内容もそれほどなかったですね。わざわざお願いして旅人のための仕事を作ってもらって、それが続くととても申し訳ない気持ちになりました。いたたまれなくて、たまに「いつもありがとうございます」と菓子折を持っていくこともありました。最初のころは、TENJIKU吉野の運営元のSAGOJOの代表・役場の担当の方と一緒に各自治協議会を回って、「こんな取り組みをしています、こんな人たちが来るので何か作業があったらぜひ声をかけてください」と説明してまわりました。そういう時期もありましたが、今年でTENJIKUの活動もスタートから5年がたちました。最近やっとお手伝いのオファーが地域から来るようになったのが、一つのターニングポイントですね。

小川:すごいじゃん!

菊地:また、現在は地域のお手伝い内容を公開カレンダーに記載していて、SAGOJOのホームページで見られるようになりました。だから、旅人が「この日に行けばこのお手伝いができる!」という確認をした上で滞在を申し込んでくれることも増えています。お手伝いの依頼があるのに滞在する旅人がいなかったら、お手伝いを依頼してくれる地域の方もだんだん依頼してくれなくなってしまうと思うので、調整できるように常に試行錯誤しています。まだまだたくさんの課題があり、正直私があと1人2人いたらと思うこともありました笑 今は案内人の役割を代行してくれるサポーターが4人もいるので、心強いですね。

美濃:関係案内人の代行役として、サポーター制度ができたのはちょうど1年半くらい前ですよね。

菊地:そうですね。今までは私自身が「旅人の案内をする」という業務だけを担っていましたが、あるタイミングから業務が増えて両立が難しくなったんですよね。そのタイミングで、吉野町に継続的に滞在してくれている旅人の中から、4名の方に公式サポーターとして私の代行役をお願いするようになりました。

吉野町×SAGOJO公式サポーターの就任式。吉野町関係案内人・菊地さんのサポート役として、TENJIKUに滞在する旅人と地域の方々をつなぐ役割を担う。

地域活性化のキーパーソンが感じる課題

小川:吉野町には案外保守的なところもあるので、全員が外部から来た人をウェルカムっていう段階にはまだなっていないかもしれないですね。ぱっと来て理解してもらおうっていうのは大変だと思いますが、菊地さんの活動の下積みや、足を運んでまわった信頼があって、町の方も慣れて来たのではないかと聞いていて思いました。国栖地区では、どうでしょうか。

辰巳:自治協議会を立ち上げたときに、地域おこし協力隊の方が立ち上げの時に事務局員になって力を貸してくれましたことはありましたね。ですが、自治協議会自体が地域に浸透しきれてないところがあり、マルシェやキャンプのような活動内容は知っているけれども、地域づくりは全員が能動的に関わっていくものではないと思われているところもあります。国栖地区では廃校になった小学校をどのように活用していくのかが直近の大きな課題だったので、住んでいる方々自身が国栖地区をどうしていきたいのか皆さんに出してもらったこともあり、最終的に現在の「くにすの杜」という形になりました。

廃校になった小学校を人々の集いの場として再生した「くにすの杜」。
キャンプ利用やマルシェ、ワークショップ、音楽イベントなどが開催されている。


そのため、自治協議会の活動にコアに関わっている人しか、地域おこし協力隊の存在も詳しく知らないですね。

小川:地区によっても色々違いますね。

美濃:地区同士の交流の機会はあるのでしょうか。

辰巳:各自治協議会の会長さん同士の意見交換はありますが、例えば「吉野町全体で何かをやってみよう」みたいなことを話し合うような場は基本的にないですね。

小川:そうですね。まず小さい単位のことからやっていこう、という気持ちはあると思います。昔は吉野町全体の運動会があって、マラソンをしたり、短距離走があったり、綱引きがあったりと、地区対抗でのイベントも盛り上がりましたね。吉野山地区の選手は少数精鋭だけど強かったり、上市地区は応援だったら一番だったり。町全体で行う行事を通して、地区間の関係性ができることも多かったです。大人の運動会は捻挫したり転んだりと、けがが多いこともあり現在はなくなってしまいましたが、町全体でのイベントも随分少なくなったかもしれません。


美濃:そうなんですね。私が住んでいる東京と比べると、吉野町での地域内のイベントは多いと感じていました。秋にも毎週イベントがあって、昔から地域に伝わっている伝統行事や地域を盛り上げるためのイベントをとても大切にされているイメージがありました。だから、以前より行事が減ったとお聞きして、びっくりしています。

辰巳:町全体でのイベントの総数は減ったけれど、各エリアに分散する形に変わって来ているのかもしれません。

菊地:ちなみに、「吉野まつり」って何をするんですか?

辰巳:各地域やいろいろな団体の人たちが集まって、「何をしたいか」からみんなでアイデア出しをして決めていくんです。

小川:町全体の文化祭のようなものですね。

辰巳:みんなでおみこしを作って担いだり、垂れ幕を作って風船で飛ばしたり。三輪車レースもやりましたね。

美濃: そういう地域と地域をまたいだ関わりが、昔は今よりもたくさんあったんですかね。

小川: そうですね。町全体で集まることが、昔はもう少し多かったかもしれません。コロナがあってだいぶなくなってしまいました。
以前は役場が音頭をとって開催していましたが、今後は自治協議会が中心になってやっていく必要があるのかも、とは感じています。ただ、自治協議会も活動している人が毎回固定化してしまい、負担が集中してしまっていますね。地域の消防団や上市青年部の活動など、地域での活動は世代や主な活動をしている人間がどこでも重なってしまっています。協力しながらどのように負担を解消していくのかが、これからの課題だと思います。
だから、外から関わってくれる方に対しては「この日にこのイベントあるからお手伝いに来てよ」だけではなく、イベントの事前の打ち合わせやディスカッションに参加して意見を出してもらえたら嬉しいですね。
美濃:そういう機会をいただけることは、私たち旅人としても鳥肌が立つぐらい嬉しいです。

みんなが気軽に集まれる機会を増やしたい、と話す小川さん。お互いの顔が見える安心安全な地域をつくっていくことが自治協議会の目標なのだそう。

小川:吉野町に住んでいる僕たちより下の世代もいるけれど、ほとんどの方が外へ出て仕事をしているから、仕事が終わってから吉野町に帰って寝るだけ、っていう暮らしの人も多いかもしれません。そうすると、地元と関わる機会もないからなかなか吉野愛が湧きにくいところもありますね。地域の役割も順番でわりあてられているだけだから、会議の時だけ考える、みたいな感じにどうしてもなってしまいます。だから、町内の活動に町外の方にもどんどん入ってきてもらって「なんか面白いことをやっているな」と感じた町内の人がもっと参加してくれるようになったら嬉しいですね。そんなに大層なことをしようと思わなくても、みんなが集まる場所があって楽しい時間が持てて、お年寄りは安否確認ができたらそれでいいかなと。カラオケや飲み会がたまり場になって、ひとり暮らしの人も元気になってくれれば嬉しい。そういうところにも、旅人さんに協力してもらえたらありがたいです。

旅人から見た「地域のお手伝い」の魅力

中川:そういえば、以前に上市地区自治協議会のお手伝いでもみじの植樹に参加しました。関係案内人の菊地さんから、お手伝いの案内をいただいて2回くらい参加しました。バケツリレーみたいにみんなで苗木を運んで、面白かったですね。

小川:植樹に参加されたんですね。

中川:そうです。普段木を植えることってないので、貴重な経験になりました。

小川:そうなんですね。

上市地区自治協議会「笑転会」主催のもみじの植樹。
TENJIKUに滞在する旅人のお手伝いの受け入れも、積極的に行なっている。

美濃:町の方からするとちょっと負担に感じていることも、県外から来る方にとってはそれが「体験」に変わることって結構あるんですよね。例えば、お金払ってでも草刈りをやってみたい!と言ってくれる人も私の周りには結構います。

小川:地元の人間からすると面白い話だね。

菊地:そうなんですよ。美濃さんはいつも東京から夜行バスで来てくれて、地元の人からしたら「この作業が面白いなんて、冗談でしょ」って思うような作業を生き生きやってくれるんですよね。例えば草引きとか。

美濃:地域の中だけで問題解決しようとすると、やらされ感や義務感が生じてしまう内容もあると思いますが、少し視点をずらすとそこに価値を生み出せることも結構あると感じています。例えば、TENJIKU吉野のお手伝いで和紙職人さんによくお世話になっていますが、そこで体験できる「さくり(和紙の原料となるこうぞの木をカットして皮をむく)」っていう作業は、私にとっては1年に1回の楽しみなんですよ。だけど、和紙職人さんからは「こんな単純で地味な作業の何がそんなに面白いんだろう」と毎回言われます笑 だから、先日「とりあえず、この体験をイベントにして1回募集を出してみてください」と言って募集してもらったところ、満員御礼だったらしいです。

サポーター・美濃さんが毎年楽しみにしているお手伝いの一つ「さくり」。
和紙の原料となる植物・こうぞの皮を手作業で剥いていく。


県外から来る人にとっては、職人さんと関わること自体が非日常体験なんですよね。先ほどの植樹体験のお話もそうですが、私が普段住んでいる東京で木を植えようと思ったら大問題になるので、植える場所も機会もないんです。だから、吉野町で自分が植えた木が何年もかけて育っていくのを想像したら、また数年後に吉野町に来たいと思うんです。
お金が回る・回らないとは関連しないけれども、町の皆さんの負担になっているところを体験化することで、滞在している県外の方には喜ばれることがたくさんあります。ちょうど今日、私の仕事先のスタッフも一緒に吉野町に来ていますが、彼女は今朝東京から5時間かけて吉野に来て、今農家さんのところで草むしりをしています。

小川:面白いですね。東京から片道5時間かけて吉野町にきて、ひたすら草むしりをして帰るなんて僕からするといじめにあっているようなものだけど笑

美濃:吉野町は、私が住んでいる東京とは環境も町の雰囲気も全く違うので、滞在すること自体が自分の休憩になるんですよね。普段はビルがたくさんある中でスピード感を求められているけれど、ここには川が流れていて雲があって、美しい山がある。農家体験のような没入できる作業って、自分と向き合う時間になるんですよね。吉野に来ると心の整理ができて、吉野町の皆さんと話すことで心が充電されたり刺激をいただいたりして、東京に戻った時にいつの間にか別のことも達成できるようになっていますね。

小川:そうなんですね。僕も昔、学生のころに東京に少し住んでいたんですよね。東京の暮らしは本当は楽しかったけれど、物価も高いしお金も続かなくて。バイトに明け暮れて、足りなかったら朝からパチンコに並んで全財産を突っ込む、みたいな暮らしもそれはそれでよかったけれどね。


小川さんの愉快な東京生活のお話に、笑いがとまらないサポーターの二人。


そのうち「東京は遊ぶところであって生活するところではないな」と思うようになりましたね。ちなみに、辰巳さんはどうして吉野町に戻ってきたんですか。

辰巳:私は、まちづくりコンサルの仕事をしているときは毎日終電ギリギリで、それでも帰れない時はみんなでタクシーに乗って帰宅することもあったので、徐々にその生活に耐えられなくなったことが理由ですね。それに、まちづくりの仕事を通して自分がやりたかったことと、現実の仕事でできることとのギャップが大きかったので、地元に戻って自分のやりたいことを実現しようと思いました。

小川:理想と現実にギャップが生まれてしまうこともありますよね。地域活性化に関しても様々な政策の実施や取り組みが行われているけれども、町民が望む形で実施できているかなど、実施する側との間で温度差が生まれてしまうこともありますね。

旅人と一緒につくる、吉野町の未来とは


菊地:小川さんと辰巳さんは、旅人にこれからどんな風に地域と関わって欲しいですか?

辰巳:例えば、くにすの杜での活動も今年3年目になるので、イベントに際して旅人さんから「もっとこうしたら面白いんじゃないか」という意見をもらって、準備の段階から関わってもらえたら嬉しいですね。地域でのイベントはだいたい同じ顔ぶれで協議をすることが多いので、いつかマンネリ化してしまうという課題感をメンバーの中でも持っています。現在もイベント当日のお手伝いには旅人さんに来ていただいていますが、イベント当日のお手伝いはあまりすることがなくて、ゴミを拾ったりお客さんの誘導をしたりするようなお仕事になってしまうことが多いです。だけど、大変なのは準備の方なんですよね。
ただ、打ち合わせは夜が多かったり、固定の周期で開催できるものではなかったりするので、今のお手伝い制度の中でどうしたら継続的にコミットしてもらえるかという点はすり合わせていく必要があると感じています。上市で行われている灯篭流しもそうですが、当日の灯籠の紙貼りなどももちろん人手が必要だけど、事前の準備やイベントの流れそのものに新しい意見をもらえると嬉しいですね。

「イベント当日ももちろんですが、事前の段階からご一緒したい」と語る辰巳さん。
地域と継続的に関われることは、旅人にとっても嬉しいお話。


菊地:なるほど。外からくる側としては、「外部の人間が意見を言っても、地域の人が納得してくれないのではないか」という心配もあると思いますが、そういう摩擦が起こる懸念はないでしょうか。

辰巳:内容によると思います。今開催しているマルシェをゴロッと変えてクラフト市にしましょう、みたいな方向転換は難しいですが、「マルシェを開催する」という大枠は変えずに、その中でアレンジを加える意見をもらえるのはありがたいですね。ベースが出来上がってきてしまうと、どうしても去年と一緒になってしまうので、旅人さんの経験などからそこに一味提案を加えてもらえると嬉しいです。

美濃:TENJIKUを利用して滞在する旅人さんも2種類いて、一時的なさらっとした滞在を好む方もいれば、吉野に継続的にどっぷりつかりたいっていう方もいるので、関わりしろにも変化をつけられると良さそうですね。私は活動拠点にしている別のエリアでも地元のお祭りを盛り上げる活動を一緒に行なっているので、吉野町でもこれまでの経験をいかせる分野でお力になれたら良いなと思いました。外からくる人間と地域の人の間でやりたいことの共有ができていれば、旅人からも意見が出やすくなりそうです。10個の提案をした中から1個でも採用されたら、私は嬉しいですね。今までのTENJIKUのお手伝いとは少し切り口が異なるので、TENJIKUの仕組みの中でできるかどうかは関係案内人の菊地さんと相談ですが、地域と密に関わってみたい旅人はたくさんいると思います。私も、今日そういうご提案をいただけてとても感動しています。

小川:上市地区でも国栖地区でも、どこの地区も地域づくりに関わっているメンバーが固定化されつつあるので、なかなか新しいことを思いつかなくなっているんです。イベントを組み立てる際、今までやってきたことを軸に後から肉付けしていく手法を取りますが、何年間かはその方法で継続できてもだんだんとアイデアがなくなって、結局同じような内容に落ち着いてしまう。だから、色々な人から新しい意見をもらえることがとてもありがたいです。

菊地:美濃さんは、TENJIKU吉野だけではなく吉野町の方の自宅に宿泊し始めた旅人第一号でもありますよね。

美濃:農業体験をさせていただいた時に、地域の方からうちに泊まればいいじゃんとご提案をいただいて。

小川:すごい。バックパッカーみたいな暮らしですね。

美濃: そうですね。いつも宿泊させていただいている地域の方がコミュニケーション大好きでよく晩ごはんに皆さんを呼んでおもてなしをされていますが、自分の地区の方との交流はあるけれど他の地区との交流はなかなかできていなかったり、名前は知っているけれどお会いしたことのない他地区の方が結構いたりというお話もお聞きすることがあります。私たち旅人が来るタイミングで、旅人を介して吉野町の方が交流しているといった不思議な現象も起きているそうです。私としてはそれが嬉しくて、受け入れてもらっているお礼に私は何の役に立てるだろうと考えたときに、意外とそういうところでもお役に立てるんだ!って思いました。

吉野町の農家さんの自宅に、ご友人と宿泊する美濃さん。
農家さんとの食育プロジェクトも進行中。

菊地:美濃さんは日月が休みなので、土曜日の夜に東京を出発して日曜日の朝に吉野について、日曜日に地域のお手伝いをして晩ごはんを食べて、月曜日の夕方に帰るスケジュールが多いですよね。

 美濃:はい。何回か地域の方とのバーベキューにも参加させていただきました。以前に、「わざわざ東京からきたなら、交通費くらい稼いで帰ってね」とイベントで唐揚げ屋さんを担当させていただいたこともあります。

小川:そうなんですね。地元の人間同士だと、どうしても「別の地域のイベントや行事を手伝いに行きましょう」みたいな動きってなかなかハードルが高い感じはあります。

菊地:それって住んでいる人独特の感覚なんでしょうね。

小川:そうですね。だから、お互いに「お手伝いをしてほしいです」って相談しあえる関係性になったら、もっと大きな輪になってできることが増えそうですよね。

菊地:そうですね。どこに行っても、人が足りないという声は聞きますからね。そういう助け合いのコアな部分に旅人さんにも参画してもらって、地区間の橋渡しができたらいいですね。

小川:そうですね。ちなみに、先ほど話題に出ていた2種類の旅人さんのうち、さらっとした関係性を望んでいる旅人さんとは地域はどんな関わり方を持ったら良いのでしょうか?

菊地:旅の通過点として吉野町に立ち寄る感じなので、私自身もその人にどんなお手伝いをアテンドしようかいつも悩みますね。TENJIKUの仕組みをある程度認知してくれているお手伝い先だと、この人はまた来てくれるのかなという期待値も当然出てきます。だけど、旅人さん側としては日本を1周する中でたまたま立ち寄った1箇所みたいな意識のこともあるので、お手伝い先との期待値の調整は必要だなと感じています。TENJIKU自体が旅人のプラットフォームになっていて、リピーターを集めることを目的としているわけではないので、旅人の目的に合わせてどんなお手伝いをアテンドするのか案内人が見極める必要はありますね。一時的な関わりを望んでいたら草引きなどの当日だけのお手伝いをお願いしますし、リピーターとして吉野町に来てくれている旅人には地域のコアなところに関わってもらえるような調整をしていきたいですね。

小川:外部の方を地域に受け入れる時に一番難しいのはそういう期待値調整だと思います。継続的に関わってくれる方の受け入れは地域の方も喜んでいて、名前もお互いに覚えているくらい関係も深くなってきてるとは思います。一方で、一時的に滞在している方がお手伝いに来てくれる場合は人によっては少し身構えてしまうかもしれません。

菊地:そうですね。私もTENJIKUでの活動を重ねてきて、旅人の中にも層ができているのを感じますね。地域のお手伝いの受け入れ先・滞在してくれる旅人・関係案内人の3者間には金銭的なやりとりがあるわけではなく、信頼関係でのみ成り立っている関係なので、間にたつ人間として一番気を遣う部分でもあります。だから、積極的に地域と関わってくれる旅人さんの場合は一歩下がるようにしていますし、案内人から働きかけが必要そうなときはフォローに入るようにしています。

美濃:旅人はいろいろな目的で吉野町を訪れますが、何かしら「吉野町のことをもっと知りたい」と思って滞在先に選んで来る方も多いとは思います。それに、たまたま旅の途中で滞在することになった旅人さんにはお手伝いを通して吉野町に触れてもらって、私たちのように何度か滞在していて「もっと吉野に触れたい」っていう層はよりディープな関わり方ができるような、目的意識によってそれぞれ違った体験を提供していけるといいですね。


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