過去のプロレス日記より【NOAH】
NOAHを見て実感すること
2007年4月3日
それは自分が年を取ったということ。
今を振り返ること8年前。まだ分裂前の全日本プロレス。小林健太という選手がオーディションを経て入門しました。その存在を確か今は亡き(涙)週刊ゴングで知った私が最初に思ったことは「小橋と一文字違いかよ!」。これは多分当時のファンであれば誰でも思ったことだと思うのですが。しかし名前は似ていても体格は細身で顔もかわいく、「おいおい、大丈夫か、、、」と心配したものでした。
同時期に入門した力皇は大相撲出身ということもあり、既にヘビー級の体。(褒めてません。昔も今も力皇大嫌いです。その理由については後で述べますが。)判官びいきの私は自然と小林健太を応援するようになりました。
その頃、ちょうど20数年ぶり(だったと思う)に私の地元で全日本プロレスの興行があると聞き、はりきって実家に帰省。試合前日にはコンビニで買い物をする浅子さん、港で釣りをする田上、大森。パチンコに興じる泉田、と町の至る所で選手たちを見かけ、走り寄っては握手をしてもらいました。(浅子さん以外。浅子さんには、なんというかオーラがあって近づけませんでした。)
この大会の興行主が母の知り合いだったこともあり(ちなみに宿泊先ホテルは中学の同級生の奥さんのおじいちゃんが経営している所でした。田舎はこういうのばっかだね。どこを向いても知り合いだらけ)、夜には全日の選手たちが集まるプロレススナックへ。
以前にもお話しましたがそこではめくるめく夢のひと時を過ごしたわけです。右も左も前も斜めも全日の選手だらけやぁぁ。当時はアンタッチャブル、ノーフィアー、バーニングとユニット全盛期でして、飲むときでの移動も基本そのユニットで動いてたみたいなんですね(選手談)。小橋と三沢さんが同席しなかったり。でもなぜかアンタッチャブルとノーフィアー(ていうか高山だけだけど)が同席することになったんですよ。地方のゆるさ万歳!で、私は小川と高山にはさまれ、目の前には丸藤。おっおっ;;
人生に拝まれたり、三沢さんの海のトリトンに多聞が合いの手を入れたり、マイミクでもあります(ここ重要)カッキーの隣でタイガーマスク時代の三沢さんの新日本ドーム大会(だっけかなあ)出場時のブートビデオを鑑賞したりと「私、このまま死んでもいい!」ってくらい、人生の絶頂期だったわけです。
で、翌日、その飲み会の席で知り合いになった全日の中の人が最前列の席のチケットに変更してあげるよっつうことで、試合前に会場に行ったんですね。会場設営ももう終わって、朝方まで飲み続けていた選手たちもすっかり復調してウォームアップかなんかしてたんです。で、チケットを変えてもらって外に出ると、駐車場のはじっこでマットをしいて、その日試合の無い橋と力皇と小林が練習をしてたんです。そのときの小林のひたむきな感じ、やる気のない力皇(このせいで嫌いになりました)とはまったく対照的ですごく印象に残ったのです。「この子はきっと育つ」そう確信したわけです。
その日の試合は、まあ地方の消化試合ですし、ゆるやかな感じで進みましたよ。大好きなベイダーを間近で見れて(それまでは武道館の2階席でしか見たことなかったので)、ファミリー軍団の試合も面白かったし、まさに「明るく楽しく激しい(この日はあんまりだけど)プロレス」をおじいちゃんと一緒に楽しんだわけです。
そして月日は流れ、全日本が分裂してNOAHになり、私はというと大阪に引越し、仕事に追われ、そして子供ができた私は、会場へ行ってプロレスを見ることもなくなり、深夜が多いプロレスの放送も見る機会が減って、すっかり昨今のプロレス事情に疎くなってしまいました。そんな中、某ネットの知り合いが去年あたりから急にNOAHにはまり(それまではデスマッチの雄、大日本ファンであらしゃいました)、何かとyoutubeだとか他の色んなとこからのNOAH情報を教えてもらう事が増えて、私もあらためてプロレスに触れているのですが。
先ず驚いたのは小林健太改めKENTAの活躍ぶり。ああ、私の目に狂いはなかった。こうして活躍して世界で認められるレスラーになってるじゃないか、という自分の審美眼への賞賛。そして丸藤とKENTAの入籍(あと最近知ったのでは橋も)。あんなに、ちっちゃくてかわいかったKENTAが結婚、、、私の生乳を見た丸藤も結婚、、、未だにぱっとしない(涙)橋も結婚、、、
そら、私も来年で30歳になるわけだわなあ、と感慨ひとしお。お肌の手入れもいつもより念入りになってしまうわけです。
息子さんが3歳くらいになったら一緒にプロレス見にいきたいなー。あと色んな技を教えたい。小川のSTOへの切り替えしに橋本がDDTをしたけれど、あれを考えたのは私の方が早かったのだよ、と教えたい