「美味いって何?」
導入
先日、友人と焼肉の話になった。
私は、すたみな太郎大好き人間だ。「今から好きなとこに飯連れてってやるよ!」と言われたら迷いなくすたみな太郎を選択する。それかはま寿司。いや、ラーメンもいいな。あ、どうしよう迷う!
そんな私に対して友人は「お前はまだ美味い肉を知らない」と言った。「高級な肉は脂が違う」「お前はそんな低級品で満足できるのか」と言われた。いや、別にそう言われたわけじゃないけどそんなニュアンスの発言を受けた。彼の投げた石が私の心に波紋を広げた。
すたみな太郎で美味しい肉が食えるのに、わざわざ叙々苑に行く必要はあるのだろうか?と。
「美味いって何?」父の失敗
私は“美味しい”が理解できない。
そう書くと特殊で壮大な物語が始まりそうだが少し語弊がある。正確には“美味しい”を上手く説明できないのだ。美味しい物を食べたときに反射的に「美味しい」と口に出すが何がどうなって何故“美味しい”なのかがよく分からない。
これは私の父も同じことを思っていたようだ。
ある日、家族で母の創作料理を食べていた時、『この料理は美味しいのか』という議論になった。そこで父は「美味いって何?」と言い出し母と口論になってしまった。姉二人が母の援護に入り戦況が傾いたため私も母側に付いたが、内心、父と同じことを思っていた。まぁ父のことががあまり好きではないので『ザマーミロ!』とも思っていたけど。
4種類の“美味しい”
京都大学の名誉教授、伏木亨氏は“美味しい”には4種類がある、と説明している。
生理的なおいしさ
体に必要な成分を摂取したときに美味しいと感じる
スポーツ後の塩分、など文化的なおいしさ
食べなれたものを美味しいと感じる
おふくろの味、給食の味、など情報によるおいしさ
高級、本格的、と付けられてものを美味しいと感じる
高級な肉、高価なワイン、など病みつきのおいしさ
砂糖や油など脳に直接快感を与えるものを美味しいと感じる
二郎系ラーメン、ポテトチップス、など
確かになぁ、と思った。
私がすたみな太郎を美味しいと思うのは慣れ親しんでいるからだろう。友人が高級な肉を勧めてきたのは「高級」と名が付いているからだろう。この分類から見るとどちらも“美味しい”のだ。
この感覚はあくまで個人差がある為、数値化しても全員に当てはまらない部部があると思う。しかし、美味しさの共通認識に役立つだろうし、余計な口論や夫婦喧嘩の抑制にも繋がるだろう。
感想
今回、“美味しさ”について文献を漁っていた際、この類別を見つけてかなり安心した。私が形容できなかった美味しさの定義がはっきりと文章化されている。まさに目から鱗だ。
この分類を父にも見せてあげたい。ま、私は父のことがあまり好きではないので一生見せないけど。
“脳死「美味しい」連呼マン”は私だけではないだろう。彼らは”美味しい”を理解できないのではなく形容出来ないだけなのだ。”美味しさ”の定義を考えることで何故美味しいのかがわかる。これからは自信をもって美味しい物を食べに行こう。すたみな太郎へ行こう!
食事は楽しむ為にある。特に誰かと一緒に食べるなら、楽しくお喋りしたり、その料理の感想を言い合ったりするものだ。今まで料理の美味しさについて口に出せなかった私もこれからは話せる。また、共通の認識で評価をしあえるという楽しい行為が、料理をもっと美味しくするのだろう。