ごしゃいちゃんはわたしのなかで生き続ける
五彩緋夏さんが亡くなった。
彼女の死で、悲しんで狼狽えている自分がいて、自分が彼女のファンだということを自覚した。
五彩緋夏さんのことを綴ろうと思う。脈絡もない文章にはなるけれど、今この気持ちを残しておきたい。ここからは、わたしが呼んでいたごしゃいちゃんという愛称で綴りたい。
わたしとごしゃいちゃんの出会いは1年半ほど前。友人を家に招いた際、YouTubeを見ようという話になり、友人から「メイクがすごく上手い子がいる」と勧められたのがごしゃいちゃんだった。
彼女の存在は前々からなんとなく知っていたものの、動画を見るのはこの日が初めて。立て続けに数本の動画を見て、動画の中で色んな人格に変化するごしゃいちゃんから、彼女の研究力や観察力が伝わってきて、一気に惹き込まれたのを覚えている。
さらに、ごしゃいちゃんの動画からは彼女の知性や思慮深さが伝わってきた。勉強もできるんだろうが、そもそも地頭の良さみたいなところが節々に出ていたように思う。自分の発信で誰も傷付けたくない、生きづらさを抱えている人への配慮みたいなものをひしひしと感じた。ユーモアセンスもそうだし、彼女のそういう共感能力の高さや知的なところ、思慮深いところに惹かれて動画を見ていた人も多いのではないだろうか。
彼女は整形を公表していた。躁鬱であることも。彼女が背負うコンプレックスや心の暗いところに、人から言われた「ブス」を抱えていて生きていたわたしが共鳴したように思う。躁鬱ではないが、わたしもメンタルの病気を患ったことがあるので、その部分を自分に重ねていたのもあるだろう。
並々ならぬ努力や研究で美しさを作り上げる彼女は言わずもがな輝いていたし、繕わずに見せてくれた暗い部分や生きづらさを抱える一面は自分が感じるそれと同じ気がして親近感もあった。生きづらい人生のなかで、自分の中の暗闇をなんとか飼い慣らそうと懸命に生きる姿を見て、わたしと同じように戦う人がいると思えた。
気付けば、ごしゃいちゃんのツイッターで本垢もサブ垢も、インスタもフォローしていた。ツイッター(特にサブ垢)でごしゃいちゃんが発信していた内容は、ネタ系から本音の吐露まで全部わたしの心に届いた。そのくらい、彼女の言葉にはいい意味で影響力があったし、わたしは彼女の発信を心待ちにしていたんだと思う。
そんななか届いたのが彼女の訃報だった。友人がツイッターに「ひなちゃん…」と投稿していて、何があったのかと調べてみると、ネットニュースの記事が上がってきた。
信じられなかった。正直、今も信じられずにいる。本当なのかと今もまだ疑う自分がいる。
次はこんなメイクがしたいと発信していたはずなのに。コスメやカラコンのプロデュースもあんなに熱心にやっていたのに。全身姿の撮影も受けるようになって、仕事の幅が広がることを喜んでいたのに。イベントに来てくれたファンの子たちの投稿を引用して、感謝のストーリーをあげていたのに。次のイベントの告知もしていたのに。
ごしゃいちゃんに何があったんだろうか、それはわたしには分からない。ご家族のご意向で死因は発表されていないのだと思う。どうしてこうなったか分からない以上、憶測を書くことはしたくない。だから「ごしゃいちゃん」に対する思いは書いても、「彼女の死」に対する憶測や思いは何も書かないことにする。
彼女がいなくなって初めて、わたしはごしゃいちゃんのファンであることを自覚した。イベントに会いに行けばよかった。彼女の言葉に救ってもらった時はリプライの一つでも送ればよかった。わたしの言葉があったとて何か変わったかと言われたら分からないけれど。失ってから初めて気付くなんて、これまで何度も経験してきたのに。
今とてもさみしいし、悲しい。こんな月並みの言葉しか出ない自分が情けなくもある。彼女ならこんなときどんな風に語るんだろうか。
もうごしゃいちゃんの新しい動画は出ない。彼女の笑いのセンスが爆発しているツイッターも、もう更新されない。彼女からの発信を得られることはもう二度とない。そう認識するたびに悲しみと喪失感は波のように押し寄せてくる。
何があったのかは分からない。詮索することもしたくない。彼女にまつわる真否が定かでない情報をまとめたサイトが出てくるのも見たくない。
悲しみに暮れているごしゃいちゃんファンの皆さん、わたしもその一人です。これも憶測でしかなくて不快にさせたら申し訳ないのですが、ごしゃいちゃんは自身のことでファンの方々が悲しい気持ちになることは願っていないと思います。何よりファンファーストな考えの方だったので。どうか自分を傷つけたり過度に思い詰めることはせず、ご自愛ください。
わたしは彼女を忘れない。わたしの心の中で生き続ける。こんなの自分の中だけでしかないけれど、この記事も含めて、これがわたしなりのごしゃいちゃんが「生きた証を残すこと」だと思うから。