光のトンネル
今日は土曜日。近所のショッピングモールにも人出が多い。
私は、いつものように一人でカフェに入り、注文を済ませると早速ネットを開きいろいろチェックする。
と、顔を上げると、知らぬ間に、前の席に5人組の家族が入って来て着席していた。
お母さんと、お姉ちゃん、お兄ちゃん、弟、妹、、、という感じ。ついつい人間観察してしまう。自分が学習塾をしていることもあり、対象年齢の子どもの行動には、無意識に目がいってしまう。
お母さんは、40代。清楚な白い開襟シャツにパンツ姿で、髪を一つにまとめ後ろで括っている。膝には、三つ編みをした5歳くらいの女の子を乗せている。
女の子は一番下らしく、甘え上手な感じがする。
その向かい側に、3番目の男の子。よく状況を見ているのか、自由そうでいて、何かと飛び出し注意を心得ているように見える。
男の子同士で並んで、隣にいるのが2番目の子だろう。
多分、お母さんのお隣が一番上のお姉ちゃんだ。小学5年生かな。膝の子以外は年子と思えるほど、お顔もそっくりで、体格もさほど変わらない。みんな細身でシュッとしてる。
お母さんは普段から、躾はきちんとしたい派の人のようで、小学生は3人とも緊張気味にうつむき気味だ。でも、お母さんの無言の「きちんとしててね」が伝わるのか、お兄ちゃんは落ち着かない。足でテーブルの脚をガタガタさせてしまう。するとすかさず「ちょっと、何やってんの」と、、言われるわなぁ。
間がもたないかと思われたところに、カルボナーラとナポリタンが運ばれてきた。湯気が立って、子ども達の視線が集中する。
私は、なぜか当たり前にこの2皿を5人で分けるものだと思い込んだ。
若い世代はお金に苦労がつきものだ。ましてや、このご時世。
だから、さらにホットサンドのパスタセットが2皿運ばれてきた時、「キターっ」と言ったのはこの私だ。
カフェの小さめのテーブルはご馳走が並びきらない。その上各自にジュースだ。
大人しくしていた3人は、「かっかれー!」とばかりにフーフーしながら食べ始める。
最初に喋ったのもお兄ちゃんだ「こんな美味しいの初めて食べた。」
それぞれに手を合わせ、席を立つと、お母さんがレジで支払いを済ませて楽しいランチが終わった。5人で7000円くらいしたよね。私は今から夏物バーゲンを漁りに行こうと思っているのに、このお母さんはお昼で7000円飛んじゃった。
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私も4人きょうだい。もう50年も前になるけど、この家族のような感じだったかしらと思う。
ただ、うちは貧乏だということを、子どもなりにわかっていた。時代的な感覚もある。
島根県の山の中から松江の街に出て、チョコレートパフェを食べさせてもらうことはビッグイベントで、姉と一緒に一番のお気に入りのおしゃれをして支度したものだった。
憧れの喫茶店は「鈴屋」。2階に席があり、窓際に座って緊張してパフェの登場を待った。外には、同じ高さに信号機が見えて、「信号機って大きいんだなぁ」と、信号機自体少ない村から出て来て、ただ黙って興奮していた。そんなふうに子ども達の胸が膨らむほどに、両親の喜びも大きかったろうなと思うし、財布はきつかったんだなと、今ならわかる。
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私は、親になって二人の子を育てた。二人とも良く食べる子達だった。
特に下の娘は食べることが大好きで、帰宅が遅い主人が、後から夕食を食べ始めるとそばに寄って行き「それちょうだい」とねだる。主人はそれを食べさせながら『餌付け』と言っていた。
また友達の結婚式に呼ばれて、ご馳走を前にすると、口に運ぶ前に「あーこのお刺身は息子が喜ぶなぁ」「このメロンは娘に持って帰りたいなぁ」といちいち思ったものだった。
自分達も、やはり子育ての時はお金がなかった。
ただ「お金があればやってあげられるのに」と悔やむことは一度もなかったし、人の暮らしを羨むことも全くなかった。
他の人の家にはない、うちにしかない大切なものがあるから。
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ある年のこと。
あの頃は、毎年三重県のナガシマリゾート『なばなの里』のイルミネーションを見に行くのが私と主人のブームだった。もう子育てを終え、二人でゴルフをしたり、少しお高めな温泉宿に泊まったり、熟年夫婦を楽しみ始めた頃だった。
イルミネーションの順路に沿って、私達の側を若い夫婦が、真ん中に3歳くらいの女の子を間に挟んで、3人仲良く手を繋いで進んでいた。
何度目かのコーナーを曲がると、そこに突然、名物ゾーン“光のトンネル“が現れる。
その時だった。
女の子が思わず「うわー、キレイ!」と華やいだ声で歓声をあげた。
すると、ママはもっと嬉しそうな声で「ねー、パパもママも、〇〇ちゃんに、これを見せたくて頑張ったんだぁ」と、背をかがめて言うのだった。
そう、それに尽きる。
パパやママが、自分のためじゃなく頑張れるのは、あなたの笑顔が見たいからなのよね。