他人の目や評価を気にするなんて…意味がないんだと気付けたこと
こんにちはこんばんは、天道です。
いつも、ありがとうございます。
天道は”とある場所”で毎日「日報」と称して、文章を書いています。
その文章のひとつを紹介したいと思います。
以下引用です。
今日は大事な仕事の本番日でした。
前日までの準備のお陰でスムーズに進行
出来ました。
周りの人たちも多く手伝って頂けました。
本当に有り難いことです。
そのなかで、自分とは違う場所の方が
ミスを連発していました。
かなり大きなミスです。
自分はそれに対して段々腹が立ってきました。
帰宅後落ち着いたころに、
その感情について考えてみました。
「なぜ自分はミスをする人に腹を立てたのだろうか?」
ミスをするのは許されないから…
こちらにまで被害が及ぶから…
その人の心構えの甘さから…
など色んなことが浮かんできました。
そして、
最後に浮かんだことは、
「自分は他人に褒められたいから」
でした。
他人のミスが許せないのは、
自分のミスが許せないから。
他人が褒められるのなら、
自分も褒められたい。
自分こそ、その場所で一番頑張っている。
だから褒めて欲しい、認めて欲しい。
自分のこれまで取り組んだことを、
評価して欲しい。
それに気付けたときに、
ものすごく腑に落ちました。
「オレって他人に褒められたいだな、
認められたいんだな。」
でも、他人の評価を気にして、
一喜一憂していたら、
どうなるのか?
それは”本当”の自分なんでしょうか?
自分が生まれてきた「目的」は、
他人に褒められることだったのでしょうか?
違いますよね。
そう考えられると、
他人の評価を気にするという感情は、
そんなに必要ではないのです。
自分が本来行うべきことは、
他人の評価、他人の目を気にして
やることではないのです。
それに気付けたときに、
ミスを連発していた方への怒りもなくなりました。
逆に気付きを与えてくれたその方に
感謝しました。
気付ける自分にも感謝しました。
ありがたいありがたい…
これからも生きていきます。
弥栄!
以上です。
精神的なお話を書かせて頂きました。
アウトプットが重要なことは多くの方がご存知だと思います。
天道もそれを教えて頂いてから毎日、何かしらの形で
アウトプットを続けています。
他人の”目”に自分の文章を晒すのは勇気がいります。
他人の評価はものすごく気になりますよね。
天道も以前はそうでした。
他人から何か言われたらどうしよう…
と思っていました。
ですが、
こうしてここnoteでいろんなことを書いても、
動画を貼り付けても、
誰も文句を言ってきません。
むしろ「いいね」や「スキ!」をしてくれます。
こんなことなら、
もっと早く書き始めるべきだった…と後悔しました。
まあ後悔よりも今出来ること、
何かしらを表現することを
もっとやっていきます!
これからもよろしくお願い致します。
弥栄!!
追伸:
昨日のカープさんは、
まけほーでした…
次も頑張れ広島東洋カープ(・∀・)