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11/13(日)杉山清貴&オメガトライブを聴きながら。
おはようございます。
こんにちは、こんばんは、天道です。
いつも、ありがとうございます。
今日は、
昔大好きだった「杉山清貴&オメガトライブ」ついて書いていきます。
☆ ☆ ☆
オメガトライブ
オメガトライブ(OMEGA TRIBE)は、1980年代に日本で活動したバンドであり、プロデューサー藤田浩一の総合指揮の下、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博らの制作陣を中心としたプロジェクトの総称。
天道が青い春に入る頃、この番組で最初に聴きました。
「この人、歌、すげ〜上手いな!」って思っていたと思います。(たぶん
その当時人気だった、ベストテンやトップテンや夜のヒットスタジオなどの歌番組でよく見かけましたし、よく聴いていたFM番組でも耳馴染みなバンドになりました。
そして大人気の”アノ”曲が出ました…
この曲の後もヒット曲が続きましたが、1985年の12月24日に解散されました。
最近、またAppleMusic君のお陰でよく聴いています。
そして、
あの当時知らなかったことも知ることが出来ました。
杉山清貴&オメガトライブのメンバーは、後日「”オメガトライブ”は、バンドでは無く、プロジェクトであり、自分達はその一員であった。」と答えている。
藤田が考えるオメガトライブというプロジェクトを、林哲司主導の下で楽曲制作を行う。またレコーディングではプロデューサーである藤田浩一の製作に対する要求が高い為に、バックコーラスも含めプロのスタジオ・ミュージシャンが演奏したため、ボーカルの杉山以外のメンバーはレコーディングに関わっておらず、アマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」のメンバーは、バンド名や制作した楽曲を全て封印し、「オメガトライブ」を演じるバンドになった。
バンドは名付けられ、オリジナル作品は制作出来ず、作品は準備され、演奏はスタジオ・ミュージシャンの演奏をなぞる。ビジュアル・イメージは絶えず「海」「夏」「リゾート」がつきまとう。
そのため、メンバーは「楽曲を与えてもらって、それを売らなきゃいけない使命感が物凄くあって、その使命感の中で疲れ果てて」しまい、また「いつか売れたら、自分たちで曲を作り、演奏もしたい。そこで挫折したら自分たちの責任だし納得もする。ところが、売れたらますますその願いは叶わず、いつしか与えられるだけで、なにも制作に関与しない。」状況が続き、メンバー同士でツアー中の飲みの席で「年内(1985年)一杯で解散すること」をメンバーだけで決意、その意思をプロデューサーかつ社長である藤田に報告、吉田が一足先に脱退後、1985年12月24日で解散となった。
”プロジェクト”だったなんて…読んで少しだけショックでしたが、演奏が凄く上手かった理由が分かりました(^^ゞ
明日も”青い春”のときを懐かしむように曲を聴きながら出勤します。
ということで、
今日の一曲。
☆
今日もここまで読んで頂きありがとうございました。
AppleMusic君でよく聴いている「杉山清貴&オメガトライブ」について書きました。
杉山さんの歌声を聴くと、あの当時のことを懐かしく思い出します。
それでは、
また明日もココ、noteでお会いしましょう〜ではでは〜(・∀・)ノシ
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#杉山清貴 &オメガトライブ