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習作「今日子さんの話ーコンビニー(1)」
大学へ行くために電車に乗り込み、2駅目と3駅目の途中でスマホがブルブルと震えた。
「今日、行けなくなった。ごめん!」
演習授業でペアを組んでいる相原からメッセージが入っていた。ウサギが土下座をしているスタンプに続いて「リスケさせて。いつがいい?」
今日の11時から、来週の授業での発表について、大学の図書館の学習室で打ち合わせる約束をしていた。スマホのスケジュールアプリを開いて予定を見たが、どの日も微妙な日程だった。朝早くか、夜遅くか、昼食時間を削るかしかない。今日は4時限目しか講義がなく、15時過ぎまで時間があってちょうどよかったのだが。
パワーポイントなどの資料はメールで共有できているし、配布資料もそれぞれで分担して印刷することになっている。わざわざ会って打ち合わせる必要性をあまり感じなかった。「準備はできてるし、打合せなしでいこう」と返信しかけて、前回の発表で担当教授に資料のアラを厳しく突っ込まれて青くなっていた相原の顔が浮かんだ。心配なのかもしれない。しかしこちらの予定も厳しい。
スマホの画面を見つめたまま考え込んでいたところで、3駅目に着いた。大学に行くには5駅目で乗り換えてさらに2駅乗る。今、10時半前だから、このまま大学へ行くにはちょっと早すぎる気がした。一旦家に帰るか。瞬時に判断して電車を降りた。
10分ほどで家に向かう方面の電車がやってきたので乗った。通勤ラッシュも過ぎた電車内は空いていて、まばらに子ども連れやお年寄りがいるばかりで、のんびりした空気が流れている。
座らずにドアの近くにもたれて外の景色を見るともなく眺めた。季節は秋からだんだんと冬に近づいていて、紅葉した木々が目の端を通り過ぎていった。天気も良く、これが秋晴れというやつだな、と思った。
最寄り駅に近づき電車がスピードダウンし始めた時、線路沿いの道を女の人が歩いているのが見えた。知っている人のような気がした。この近辺で知っている女の人は今日子さんしかいない。今日子さんなのだろうか。確かめようと歩いている人の顔をのぞき込もうとしたところで、見えない角度のまま電車が追い抜いていった。あ、と声が漏れそうになる。今日子さんだったからといって、なにがあるわけではないのだけれど、顔を見て確認できず、心にモヤっとしたものが残った。
駅に着いて、家へと歩き始める。家に昼食になりそうなものがなにもないことを思い出して、コンビニに寄ることにした。駅からコンビニに寄るには公園方面へ少し遠回りしなければならない。駅前のメイン通りから逸れて少し細い道に入ったところで、足が止まった。ほんの数メートル先に見たことのある背中がある。今度は顔を見なくてわかった。こちらから声をかける前に、相手がふと振り向いた。
「あら、こんにちは」
「こんにちは、今日子さん」
今日子さんはタイトな白のタートルネックセーターに、ふんわりとしたラベンダー色のロングスカートを着て、左腕に水色とベージュのチェック模様のエコバッグを下げていた。やっぱりさっき見た人影は今日子さんだったのだ。
「買い物ですか?」
「そう、駅前のバモスに」
バモスは駅に直結しているショッピングセンターで、1階が食料品売り場、2階が衣料品売り場、3階が英会話教室などのカルチャーセンターになっている。
「買い物?」
と僕の顔を少し不思議そうに見上げた。
「いえ、大学に行きかけたんですけど、予定変更になって」
そうなの、と呟き、視線を足元に落とした。僕の予定にはあまり興味がなさそうだった。そのまま歩き出したので、僕も並んで歩きだす。
しばらく黙ったまま進み、なんとなく気まずくなって話題を探し始めたところで、ふいに「公園の銀杏が真っ黄色になってるの、知ってる?」と今日子さんが言った。
「銀杏ですか?知らないです。」
公園に銀杏の木があること自体知らなかった。
「見ていかない?時間があったらだけど」
「いいですね」
「実はね」と今日子さんはふふっと小さく笑い「もう見えてるの」と斜め右上を指さした。指さした方向を見ると住宅街の屋根の上に黄色く尖っているものが見えた。
「あれがそうですか?ここからも見えるんですね」
「せっかくだから真下で見ようよ」
今日子さんの足取りが早くなる。おいていかれないように足を動かしているうちに公園についた。足元に黄色い銀杏の葉がいくつか散らばっている。
芝生広場を過ぎて、ベンチの並んでいるレンガづくり池の向こうに大きな銀杏の木があった。
「大きいですね!」
「近くで見るときれいでしょう?」
「迫力があるというか」
その木は僕のこれまでの人生で見たどの銀杏の木よりも大きかった。幹の太さに比例しているのか、葉っぱも大きかった。日当たりの加減なのか、色の濃いところ、薄いところ、心なしか緑がかっているところもあった。そのグラデーションが木を立体的に見せていて、本物なのに精巧に描かれた絵画を見ているような感覚になった。
「これは確かに、きれいですね」
今日子さんは、そうでしょ、とうれしそうに笑って、足元の葉を一枚ひろった。
「しおりになりそう」
「押し花みたいにしたら長持ちするんじゃないですか」
「いいね。持って帰ってみようかな」とエコバックに葉をそっとしまった。
「紅葉って」と言いかけたところで、エコバッグから顔を上げた今日子さんと目が合って、口をつぐんでしまった。
「紅葉って、なに?」
さらに顔を覗き込まれて焦ってしまう。
「いや、その、紅葉って、葉っぱの最後の姿じゃないですか。なんでこんなにきれいなんだろうな、って思って」
「そうだね、散る前の姿だね」
「だからかな、って」
「だから?」
「散る前の最後の姿だから、せめてきれいに、とか。思って」
言っていて恥ずかしくなってしまう。
もっとさらっと言うつもりだったのだ。今日子さんが葉に気を取られているうちに、さらっと聞き流してくれるくらいのつもりで。今日子さんは少しきょとんとしていたが、葉を踏んでいた足をそっとずらして
「そうだね。素敵な考え方」と言って微笑んでくれた。
「きっと残っている力を尽くしてきれいにしなくちゃって、ね」
今日子さんは、もう一枚葉っぱをひろって、今度は僕のジャンパーのポケットにそっと入れた。
公園を出たところで、今日子さんが「あっ」と声を上げた。
「どうかしましたか?」
「ううん、えっと・・・」
とエコバックの中をガサゴソとしている。
「お昼に唐揚げを食べようと思って、バモスで買おうと思ってたんだけど」
「お惣菜の?」
「そう、買い忘れちゃった」
「あら」
「あら、だね」とため息をつく。
「コンビニで買ったらどうですか?帰り道にありますよ。僕も行くし」
「そうね、コンビニ」と呟く今日子さんの目がなんとなく泳いでいるように見えた。
「コンビニの唐揚げ、嫌いですか?」