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SNSの哲学(戸谷洋志、2023)

おそらく、ここに「承認」の持つもっとも基本的な働きが表れています。すなわち、「自分が他人にどのような人として見られ、受け入れられているかを知ることによって、自分が何者であるかを知る」ということです。そうした形で「自分が何者であるのかを知りたい」と望むことこそ、承認欲求にほかならないのではないでしょうか。

私たちは、なぜ承認を求めるのでしょうか。
筆者は、「自分が何者であるかを知る」というところに、
承認欲求の根本を見出しています。
SNSで「いいね」をもらうと、自分が認めてもらった、
発信した内容を認めてもらったと感じることができます。
言い換えると、発信した内容をしている自分が自分と認識できるということでしょうか。

「承認欲求を捨てろ」と言っているのではありません。相互承認を求めることもまた、承認欲求であることにはちがいないからです。重要なのは、相手の自由を尊重し、相手からも自由を尊重されるという形での承認を求めることです。私たちには、そうしたワンランク上の承認欲求をめざすこともできるのではないでしょうか。そしてそれが、「SNS疲れ」から距離をとり、風通しのよいSNSとのつきあい方を可能にする―そう考えることもできるように思います。

「いいね」されたら「いいね」を返す。
そうやってお互いに承認欲求を充足させている側面がSNSにはあると筆者は言います。
ただ、そこから自由になることで、「いいね」がもらえないことに焦ったり、
「いいね」を強いたり強いられたりすることから放たれることが大切かもしれません。
本来のSNSの目的を忘れてしまい、手段が目的とならないように気をつけたいですね。

「私」が生活のなかで困ったことをSNSに投稿すれば、それはそのまま政治的な議論につながることが可能です。私たちはSNSという場であれば、私生活に根ざした言葉のままで政権を批判したり、政策を要求したりできます。スーツを着て公的な議論のテーブルについたりしなくても、政治について語ることができるのです。

ここで言える大切なことは、次のようなことでしょう。
すなわち、SNSでの政治的な活動が望ましい形で社会を変えていくことができるのは、「ハッシュタグをつけて投稿して終わり」ではなく、ハッシュダグの向こうにかけがえのない個人がいるということが自覚され、リアルな運動体とは異なるとしても、SNS上の連帯ならではのメンバーシップを作りだし、継続していこうと努力されるときである、ということです。そしてそのとき、アーレントの示唆した許しと約束の力は、SNS上の連帯においても重要な役割を演じるのではないでしょうか。

SNSでも世界を変えることができると思います。
というか、SNSがあるからこそ、誰でも世界を変える可能性を手に入れたと言えると思います。
だからと言って、ただやみくもに発信するだけではなく、
目には見えない向こう側の世界に想いを馳せながら、
ハッシュタグ的連帯を継続していくことが大切なのだと感じさせられました。
そして、現実世界においても、ハッシュタグ的連帯のようなつながりに
とどまることがないようにしていくこと、これを意識していきたいと思います。

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