かっこよさを判断基準にする
おはようございます!
ピアノを練習していたり、作曲を独学で学んだりしているオレワタルです!
最近はピアノ練習の後に動画を撮って、その様子を毎日Youtubeに投稿しているので是非Youtubeチャンネルの方も覗いてみてください!
昨日は朝方まで飲んでいた影響から少しバランスの乱れた1日になってしまいましたが、今日の朝にはその乱れもガッツリ改善されていて、また自分のペースで1日を迎えられそうなことに少し感心しているwataruです。
ということで本日は「かっこよさを判断基準にする」というテーマでお話しをしていこうと思います。
というのもまあ僕は無類のかっこつけ人間で、どんなに苦しい状況だったとしても基本的に女の子にはご飯を奢ろうと思うし、心が広いなと思われるような選択を取ったりする傾向があってどうしてもいい顔をしてしまう自分がいたりするんですね。
もちろんこれをすることで”うわあ今月しんどいな”とか、”なんでまたいい顔しちゃったんだろう”とか思うことが多々あったりするというのも事実としてあることにはあるんですが、ただ方向性としては間違っていないと思っていて、この美学を基準にして生きるということは絶対に貫き通した方が良いものだとも思っているんですね。
というのもまあこれは永遠のテーマというか、ここ最近でも世間で論争になっていた内容ですが、”男子が女子にご飯を奢るのか奢らないのか”という問題。
ここに関しては時代と共に色々な意見が出てきていると思っていて、それこそ最近の男女関係なくお金を稼げるようになっているこの時代の流れや女性でも社会的に大きな成功を掴めるようになってきている現代では、”別に男女平等なんだから割り勘で良いでしょ”みたいな論調の声が大きくなってきているような印象が個人的にはあるんですね。
まあここに関しては僕自身もすごく意見としては正しいものだと思っていて、やっぱり前時代的な”女性は家で家事をして男性が外で仕事をしてお金を稼いでくる”とか、”女性は家庭のことを極める代わりに男性がお金を稼いでくるのだから男がお金を出すのは当たり前でしょ”みたいな時代ではなくなっているのも事実で、今の社会を見たときに誰もが平等にお金を稼げるような時代になってきているし、終身雇用するような会社も減ってきて能力やスキルがあれば性別に関わらずなんとでもなるような時代に入っていることも周知の事実なのですが、、、
ただ個人的にはこの”正しい”か”正しくないか”という観点よりも、”かっこいい”か”かっこよくないか”という観点の方が大事で、やっぱりかっこいい男でいたい僕は何があっても女性に対してはご飯を奢れるような男でありたくて、そこに正しいとか正しくないかとかそんな観点を持ち込む必要もないなと思うんですね。
これが僕の判断基準の一つで、まあどんなことに対しても”かっこいいか””かっこよくないか”みたいなところはどうしても考えてしまうのですが、こうすることによって生まれるメリットもあると思っていて、それは自分の感覚を大事にできるということだと思うんですね。
というのもやっぱり議論とかディスカッションをしていこうとなった時に、”正しい”とか”正しくない”というところをゴール設定にしてしまうと社会的な流れとか、他者の想像とか自分に関係のない他の要因を考えなきゃいけなくなってしまって、どこか上の空みたいな回答になってしまうことってあると思うんですが、これを”かっこいいか””かっこよくないか”をゴール設定にしてしまうと圧倒的に自分の価値観で自分ごとのように物事を捉えられるような気がしていて、より自分に根差した回答ができること、さらにそこで何か意見の食い違いや対立の構造になったとしてもその対立が美学の違いとか、ものの考え方、生きてきた生い立ちの違いとかそういったお互いを尊重せざるおえないようなところに帰着するような気がしていて、よりお互いに納得した状態でよりお互いにリスペクトのある議論ができるんじゃないかなと思うんですね。
だからこそ個人的にはみんながかっこよさを大事にして、そこを判断基準の第一に持ってくると良いんじゃないかなと思ったというお話でした。
ということで本日は「かっこよさを判断基準にする」というテーマでお話をしてみました。
ではまた!