思い遣るということ
世の中には、みてほしい、しってほしい、ちがうそうじゃない、わかってほしい…つまらないこと、くだらないこと、たーくさんある。なんでかってゆうとね、幸せを見つけるチカラをつけるためだと思うんだ。嫌なことが多ければ、見つけた小さな良いことが、より強く心に幸せとして芽生える。その芽生えた小さな宝物を素直な心で大切にたくさん育てるんだ。疑問と探究心で。それさえ忘れなければ汚いモノをみてもきっと真っ当な綺麗な心でいられるよ。ワタシはそんな風に自分でがんばる子たちを守りたいんだ。知らせたくないことが本当にいっぱいある。
「思いやりを持て」なんとな〜くよく聞く言葉だね。けどその一つ一つ「思い」と「遣る」をとことん調べ始めるとね、君だけの意味が出来てくる。【言葉】というコトノハは、自分の知らない誰かが長い時間の中で創ってきたもの。けど君は決してその人と同じではないよね?単語の組み合わせひとつでその意味は変わる。辞書が幾つもあるのと同じ。
だから、知り、受け取り、考え、君だけの意味を君の中に刻み、自分を理解し、他者を知ろうとし、相手に合わせたコトノハを使い、解り合う。そうしているうちに「誰にでもわかる言葉」を使えるようになれたらこんな嬉しいことはないかも。
鳥は喋れてもその意味は知らない
犬や猫は喋れなくても理解はする
コトノハという言語は人間だけのもの
AIはそれを操る事を良くも悪くも学んでいく、けど
初期設定・プログラミングは人間がするもの
学び、記憶、削除、リセット…全て
「思い遣り」は
「思いを与える優しさ」で
君はその全てから勉強すればいい。100人居れば、良いも100コ、悪いも100コある。君はどちらが多いほうがいい?ワタシには答えられない。だって、自分や自分の大好きな人や大切な人が幸せであるためにはその時によって違うんだもの。叱らなきゃいけない・叱られなきゃいけない時もある。
「思い遣れ」
「普通」
「差別」
「覚悟」…
断定的な言葉を真に扱える人間は本当の意味では少ない。一つ一つを感じ取れるチカラを、ワタシは一生懸けて付けていきたいという感覚を持ってる。
いついかなる時でも絶対に言っておきたいのは
『あたしを変に試そうとしたり、あたしの中の大事なものを悪意を持って壊そうとする奴は許さない』
そんな輩があたしに、あたしの周囲に近寄って来ないように、ただただ自分にだけは真っ直ぐ生きていたい。
自分に素直に生きるということは
必ず人を傷付けることにもなる。
けど
「傷付いた」のか
「傷付けられた」のか
全ては考え方次第なんだよ。←ココダイジ
あたしを傷付けられるのはあたししか居ない
自分の被害意識を育てるのは自分
だから人のせいにする自分が嫌い
矛盾ありきの人の世で
どれだけ矛盾を減らせるか
どれだけ後悔を減らせるか
そんなこと出来るわけがないということを
継続するチカラがほしい
けれどあたしはきっと一生未熟者。だから
許すことと許さないことの意義だけは絶対に無視しない。
イエスキリストもその教えも信じるモノじゃない。
『知るべきコト』である。
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