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許すこと許さないこと⚠️2024.11.2更新チェック済

何年も前にFacebookで私の歴史を話してきた。
 
ここへきてなぜまた語らなきゃいけないのか?
またぁ?めんど屁くせえわね。けど書かなきゃ。
Facebook退会して全部消えちゃったからね。
全ては書かないよ?そこんとこよろしく。
 
 
 
上には上がいる。
決して波瀾万丈な人生とは言わないがそれなりだった。
 
 
 
とりあえずものごころ付いた頃から父からはボッコボコにされてた。母ちゃんは庇ってくれてた。母は強し。
父ちゃんはデリケートで表現下手で弱い人だったよ。
頭が良過ぎてほんと可哀想な人だった。事実。
眠りについた時の顔が安らかだったのが何より。
あんなに殺したかったのに一時期数年間はずーっと涙が止まらなかったよ。遺髪は取ってある。
 
 
 
小学校低学年時代は在日ネタがほんの少し。区立小学校に通う身で、韓国語の学校はどれくらい通ったかハッキリは覚えてないんだが、おそらく隔週で半年間くらい。
「日本なのになんで?」って疑問もあり行きたくなくてサボり気味だったし合計通学回数は指で足りると思う。そこの韓国人男性教員に顔を抑えられて無理矢理キスされてそのあとの記憶はぶっ飛んだ。完全なるセクシャルハラスメントね。犯罪レベルよ。
あゝそりゃもう心に傷が残ったわ、えぇ。←棒
 
言語の収穫は「アニョハセヨ」とかの挨拶系いくつかと
「ハナ、トゥル、セッ、ネ…」1〜10までね(合ってるかしら)「アンニョンカーシプシオ」って記憶にはあるんだけど意味は忘れた。ニダってなにニダ \(^o^)/←マジヨ
 
区立小学校では、仲良しのオテンバ友達(まあほぼほぼ猿軍団)が「この子がウチらの仲間に入りたいらしいから4人全員の平手を我慢出来たら入れてやろうよ」つって、体勢屈めてタメこんだと思ったらアンダーから重いの一発。アレほんと顎外れそうだったと思う。頬から顔全体までみるみる真っ赤になってった。
二人目、三人目は普通に一発づつ。
顔見りゃ "心" っていう拳を痛がってるのがわかる。
殴られたコは壁にもたれながらも目を開いて耐えてた。
今思うと強いコだったんだなって。あんま知らんけど。
あたしは指先がちょっと掠る(カスル)程度にしたよ。「なんでこんなことしなきゃいけないの???」とか思いながらも、やらないと彼女らの面子もあるし収拾つかないしでさ。まだ(もう?)六年生の春頃だっけな。
擁護じゃないけど一応…言い出しっぺのオテンバ娘は家に「〇〇の木のお家」って可愛らしいお人形さんがあるようなコ。バドミントンのクラブチーム?で一緒に本気で打ち込んだ時期もある。まあこの一件とかはただヤンチャしたいお年頃ってだけ。罪の重さなんか知る由もない「若気の至り」ってヤツ。中学入って遊ばなくなったが大人しくなってたな。抑あたしは、そもそもね、
"仲間" という『グループ』に属した覚えはない←重要
 
卒業式前にサイン帳ってのを回してて(旧石器時代じゃねえし!)隣のクラスの女子に「ペンで手形なぞって中の空いたところにメッセージとか書いてね」って渡したら数日後ビリビリに破れて机の上に置いてあったよ。これ、現代じゃイジメと捉えられると思うけどやってるほうとしては単なるイジワル。あたしとしてはね、
 
「?…ん?なんで?なんで??どうしてだ???」
 
とにかくそればっかでそのあと覚えてないのだ。まあ今もそれ以上なんとも思わないし、過ぎたことだし。
まあ今思うと、既に書いてくれてたコたちのメッセージがあったからそれ考えると酷いよなソイツ(ら)。
忘れもしない可愛いピンクのノート。これは note よ←
 
 
 
中一はオンザ眉毛ね。今時ない?ギリ通じる?
まあ当然校則違反はお手のものだわよ。
恐怖「竹刀ジジイ」とか
妖怪「アフロババア」とか
おもろいキャラの先生がたくさん居たよ。滅茶苦茶恐い先生でも、その中に優しさと包容力を感じてたかも。
怒るじゃなくて 叱るだった。
 
あと「呼び出し大好き諸先輩方」レディースね。
驚いたことについ数年前そのボスを見かけた飲食店。
チャキチャキ働いていたけどその鋭い目付きは変わっておらずカッコ良かったわ。呼び出されたけど何気に憧れの人だったりするんよな。
 
中二はクソつまんなかった。
イジワルが【イジメ】に変わったよ、しかもさらなる多勢に無勢にね。村八分は一点集中リレー方式。
謂れ無き・不条理・難癖…この世の悪い意味の言葉ぜんぶ使ってもまだ足りないくらいのヤツ。まあ苦しかったな。大人になるにつれて彼らのその行動の意味が分かったから別にどーでもいいんだけど、自分が相容れないタイプの人間がどういう人間なのかが解ったのはプラスかな。知らんけど。
…そーだ。イジメの始まりはその元女友達があたしのことをムカつく的な話をしてかららしい。たぶん。ムカつくのはいいけどそれを元に集団リンチみたいに持ってくのはおかしいじゃんね?そんなにあたしのことが恐かったのかしらね。いや、誰でもよかったのよきっとね。あたしにはまっったく解らない思考回路。ショートしてたんじゃないかしら。久美子もびつくり、ここは日本よ。赤道直下じゃないんだからさ。
ある時にね、教室の隅から大勢があたしに聞こえるように悪口言ってる中にその元女友達が座ってたんだけど、皆んなの声に隠れてふと見えた横顔に切なさを感じたのを凄く覚えてる。ワンショットで。たぶんそんな大ごとになるとは思わなかったんだろうね。今頃なにしてんだろ?
 
 
14〜15、6までは新宿歌舞伎町のディスコにハマった。
ほとんど踊らなかったけど、好きな洋楽にたくさん出逢えたし悪くはなかった。行けば朝までお決まりコース。
まあ色々やったよ、世間で悪いと言われること。ここで言う訳ないじゃん?期待しないでね?誰もしねえか。
バレたのもある。怒られたよ、普通に。怒られてる内が花だよほんと。血気盛んな年頃は「怒鳴られない」事のほうがよっぽどヤバい。
⚠️ここでの怒られてるは叱るの意味が強いほうだよ?『本気でヤバいこと』には怒りを多めに込めなきゃダメなんだよ。ここはよーく考えてほしい。
 
恋に焦がれて焦がされたのも新宿。しょっぱい思い出。
けどとても良い男子ではあった。
 
今の若いコたちはマハラジャなら知ってるのかな?
 
ほんで、父ちゃんにまた殴られて家を飛び出し、たまり場だった女友達のトコに転がり込んだ卒業式前の一ヶ月間。母ちゃんが迎えに来た。後ろで妹が泣いてた。帰ってきてほしかったみたい。純粋なそれと、父ちゃんのことも気になってたのかも。そこから驚くほど父ちゃんが殴らなくなったのは、まさかあたしが家出するとは思ってなくてショックだったらしい。あゝおめえのせいだよクソジジイが。そのあとは高校受験落ちて中卒でやりたい事もなくって一年間ボーっとしてた。
 
 
 
勿体ない一年間だった。本当に。
「アンタ早くバイク乗りなさいよ」って
当時のあたしに言いたい。
 
 
 
で、このままじゃヤバいと少し焦って定時制高校へ。
初めて本気で好きになった彼氏はバイク乗り。後ろに乗せてもらってた。女子に慣れてないとゆーか照れ屋でね。ほんと好きだった。すぐ別れたけどwww
その繋がりで出逢ったのが元夫。
まあドラマティックな人生だったわよほんと。ケンカっ早くて親を含めた全世界を敵だと思ってるような一匹狼だけど寂しがり屋でね、一人にしておけなかった。だって金属バット持ってケンカしに行こうとしちゃうのよ?ほっとける訳ないじゃない。青春ぜんぶ捧げた感じ。
息子にも逢わせてくれたしね。そうそう、その頃突然
「刺青入れる」ゆーてね、時間とお金かけて額入れてた。息子の名前の文字も入れてたよ。手彫り師の方に彫っていただいていてね、電気彫りは現代アートのような鮮やかな良さがあるけど、手彫りは彫りに独特の味があるって感じかな、深みみたいな。好みはだいぶ分かれそうな気がするけど「何を・どこに・どう・刻みたいか」によりけりかね。最終目標を額何分にするとかだと全体像もあるしな。まあここは依頼する彫り師とのミーティングでしっかりお話聴いて考えていくのが良き。
誰が何を刻もうが別に良いとは思うけど、POPなミッキーマウス彫りを初めて見た時は「だだだだいじょーぶか?」とは思ったよ。事実。一生もんだからさ。たとえば後悔して消すにしても傷跡にはなる。
あー、流石にリアルタイムのパートナーの名前だけは決してお薦めはしない。
 
あたしは自ら手彫りで入れたのあるけど、特殊な針とか買って割り箸とか用いて手作り道具で、腕一本だからふざけた漫画文字みたいになってる。これは自己満足だしそれも味ってことで。
 
 
 
…彫れって言われてるみたい?んなこたぁないよ。
彫るも彫らぬもちゃんと自分で決めなさい。
 
 
 
長くなるから割愛するけど、ホステス経験はこの頃。
復縁を目標にした「ケジメ離婚」済み。
 
お互いまだまだ子供だったからヤキモチが凄くてね。
彼が一時期薬物中毒になっちゃったのよ。
その頃が一番ハードだった。辛かったしんどかった。
「ほっといたら死んじゃう」と思ったあたしはまだ小さい息子を泣くゝ一時預かり所に預けほぼ付きっきりに。
これは未だに泣く。可愛かったのよぉウチの息子チャン。
目の前で叫びながらヤケクソに乱用する彼を見て恐くなって部屋から飛び出したこともあった。けど、あれやこれやで突然なにかの扉を開いた彼は立ち直ったんよ。医者にも何にも頼らず100%自力で。凄くない?
 
月日が経ち、彫り師を目指す元夫の後輩くんが、「電気彫りの道具買った」って嬉しそうに見せに来てさ、早く誰かに彫りたいって希望に満ち溢れたキラキラおメメで語ってるから「じゃああたしを練習台にして」って言ったら驚きながらも喜んで彫ってくれたのが手首の梵字と指のクロス(十字架)。
まあ〜ヘタクソよ?なにせ彼の初めてを頂戴したからね。筆おろしってヤツよ。有り難い上に有り難いこと。その後のせいしは知らない。
 
 
 
 
え?生死だよ?何考えてんの?
 

 
 
 
それからしばらく元夫とはちょこちょこ顔合わせる程度になって、迎えに行ってくれてた実家から息子を引き取って二人で生活。たまーに遊びに来るくらい。良い意味でやっと穏やかな日々が過ごせるようになった。まあその後息子を可愛がりすぎて「なまはげ」になっちゃったわけだけども。
元夫との最後はケンカみたいになってもう二十五年以上音沙汰ないから、生きてるか死んでるかも分からないけど、きっとどこかで元気にしているだろうという感じ。
 
 
 
 
とある物流倉庫の仕事では本当に楽しい時間と仲間が持てた。どこに遊びに行くのも息子を連れて、皆んなが可愛がってくれてた(とゆーか皆んなが子供みたいだったしw)
 
【教育の楽しさ】はそこで知ったよ。
毎日入れ替わり立ち替わり教えるんだけど一人一人個性があるからさ「この子はこういうコだからこう言おう」とか「この子は一回教えればその先あの作業まで任せられるな」とか。【働く意欲のある意識の高いコ】は特に後者だった。どうしても上手く出来ないコがいたら、皆んなでフォローしながら。滅茶苦茶やり甲斐ある場所だった。残業でさえ楽し過ぎた。
程なくしてマリファナを嗜むコたちと出逢ったんだが、その独特の匂いと、なんとも言えない目つき顔つきで「ゆうさんとチューしたい」とかなんとかヘラヘラ笑いながら言い出されちゃったもんで良い思い出ではない。そこから一切マリファナには興味がマイナス寄りのゼロだったんだけど、不意に《ヘンプオイル》の存在を知ってさ、それが癲癇(てんかん)に効くと。息子が幼少期にソレだったもんだからそりゃ飛びついたよ(とっくに自立してるし連絡先すら知らないんだけどね)。
あたし自身月経痛と頭痛が酷かったからちょいちょい調べて試してみたの。それまでは、布団にうずくまって、ウーハーきかせすぎじゃね?!…つーくらい重低音のうめき声をあげ、勝手に流れる涙、その激痛と闘ってたのに、ほぼほぼ緩和されたんだ。びっくりするほど。
 
この辺りから政治(政界)を知って現在に至る。
 
 
 
…とまあこんな感じ。もう二度とこういうのは言わないと思うから、このnoteは第二の遺書みたいなもんかな。残しておくから皆んな何某かの参考にしてくれたなら幸い(根っからの気分屋だからいきなり消すかもシランケド)
 
 
 
 
初老害ついでに言うと「害は必ず糧にしろ」
 
 
 
 
以上「許すこと許さないこと」でした/
 
【追記①】
一生許さないのは、あたしの中の一番大事なモノを傷付けた大嘘つきのストーカー男。まだ生きてるなら二度とあたしの前に顔を出すんじゃねえぞ。二度とだ。
あたしかお前が死んで初めて許してやる。忘れるな。
 
【追記②】
小学校低学年の頃か…PCソフト開発に向けて頑張ってた父ちゃんに連れられて秋葉原のとあるビルへ。
品定めに夢中になっていた父ちゃん。好奇心旺盛なあたしは階段の全てを使った昇降遊びをしてた。ふとある事に気付いた。一人の男がずっと付いてくる。忘れもしない銀縁眼鏡で顔は俯きながら目線は下、一点を見ながら口元は何か呟いてるみたい。どの階へ上がっても下がってもずっと付いてくる。本能的に振り切りたくなったあたしは階段の折り返し地点を過ぎた瞬間ダッシュして撒こうとした。そして振り返る。まだ付いてくる。何度撒いても振り返ると居る。何度も何度も必死で走った。それでも居る。明らかなストーキングの恐怖。
やっとの思いで父ちゃんを見つけたあたしは必死で駆け寄りその太ももにバッと抱きつき、振り返るとその男はこちらの方向へ歩いてきていた…ここからは記憶がふっ飛んでる。やっぱりストーカーは死んでも許さない。
パパさんママさん、
子供たちに自衛方法を教えてあげて。

【追記③】父ちゃんが寝る間も惜しんで努力と試行錯誤を重ね、やっとの想いで開発したソフトを騙して持ち去った男も死んでも許さない。
我が家の父のPCデスクの前に二人並んだ後ろ姿。
挨拶した時のその顔。覚えてるよ。忘れないからな。
 
【追記④】
LGBT絡みで思い出したんだが、その昔、SEX中にいきなり違う穴に思いっきり入れてきた男が居た。そいつも許さないね。女を傷付ける奴は総体的に許さないんで。
準備もなにもナシにやられたもんで痛いのなんのって。
「やりたい」は認めるからせめて誠意を持て。
ほんとクソ野郎だよ。


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