言葉が好きで、苦手で
私は言葉が苦手だ。簡単に誰かの心を傷つけることができてしまうから。傷付けようとしていないのにも関わらず、知らぬ間に傷つけてしまう事があるから。
でも、私は言葉が好きだ。何気なく言った一言で、誰かの心が救えたりするから。誰かを笑顔にできたりするから。目の前にいる誰かを、喜ばせることができたりするから。
矛盾している。けれどどちらも、本音で。
人は、奥が深い。色んな人と話して、そう思う。一度話しただけでは、相手の全てを知る事はできない。気の合う親友でさえ、10年会話を交わしたとしても、相手の全てを知る事はきっとできないんじゃないかと、そう思う。
人の感情は、とても繊細なのに、簡単には表現出来ないはずなのに、表出させる方法に「言葉」しか知らない私達は、「言葉」で発する。
仕方ないのは分かっている、でも、持っている感情を「言葉」で表した瞬間に、この世界に量産される〝薄っぺらい何か〟になってしまう事が悔しかった。
「可愛い」。そう思う基準は人によって違うはずなのに、誰かが「可愛い」と言うと、暗唱する形で、その場が同じ言葉で包まれてしまう。
私は、どちらか言うと、引っ込み思案だと思う。自分が本当に思っている事、心から悩んでいること、今どうしたいか、何がしたいのか、それを言うことは昔から苦手だった。会話をする時は、いつだって相手に合わせるのが基本だった。その方が楽だから。本気で向き合ってぶつかってしまうことが怖かった。勇気を出して「言葉」として発しても、自分の本心が相手には上手く伝わらず、悩む事が沢山あった。
でも、言葉を使わない限り、会話はできない。人の感情に比べ、言葉は、とても抽象的なものだと、私は思う。相手を知りたくて会話をするのに、会話には、そんな曖昧な存在で頼りない「言葉」が必要であることが、知りたいけど相手の心には近付けていないような、知りたいのに会話を繰り返すに連れて心が遠ざかってしまいそうな、もう既に遠ざかってしまっているような、そんな不安定さがあって、切なくて、儚いものだとさえ感じてしまう。
一方で私は、言葉を使わない会話もあると感じる。
小さな子供は、泣いている時、母親に無言で抱き締められると安心感を感じるだろう。そこに、言葉はないけれど。
これは、「身体で感じとる会話」。そういうもののような気がする。文字を並べた言葉無しで、通じ合うこと。この会話が、私はとても好きだ。
言葉を使った会話より、人の繊細な感情同士で、直接触れ合っているような気がして。
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