イノセント・デイズ を読んでの感想
ひっっっっさしぶりに小説読みました。
感想です。独り言です。
この小説は、1人の女の子が冤罪にもかかわらず、死刑判決に控訴をせずに受け入れるのはなぜか?みたいなストーリーです。
過去の家庭環境が死ぬことへの願望を強めたのですが、そもそも生きること、死ぬことが二分出来るものではないことを教えてくれます。
一般常識でいえば、死にたくない、生きたいと思うのが普通ですね。ただ、この主人公は生きること、生きたことでまた裏切られることの方が、死ぬことより辛いのです。
だから、冤罪を口実に死ぬことを選んだのです。
この主人公への「保護欲」は非常に面白いですね。主人公の正義感というブレない芯があるからこそ、最後の最期まで自分が決めたことをブラさなかった。
なんて不遇な子だったのかと言いたくなるが、そもそもこの子を不遇と呼ぶことも何か違う。
この主人公へ抱く感情は、私が持っているボキャブラリーからだと「上から目線」になってしまう。
主人公への感情よりも、私の正義感を改めて考えさせられた。
私の知人が同じような状況になったらどうするか。
誰かの罪を着て死を選び、社会に弾糾された知人がいたら、自分だけが真実を知っていたら、私は迷わず自分の正義を押し付けるだろう。生きることを否定した選択を否定しよう。
全力で死への選択を否定しよう。
生きることより死ぬことの方が楽だなんて、それは怠慢だ。
私は過去に一番の親友を亡くしている。何か出来たことがあったのかも知れないが、過去には戻れない。
過去に戻っても変わらないかもしれない。人生は選択の連続であり、おそらくどこかで自分を優先させたのだろう。それが誰かの死につながるなんて思ってもみなかった。
けれども、そうなったのだ。そうなってしまった以上、私は出来ることをしていかなければならない。誰かのために動かなければいけない。誰かを救うことは、救わない選択をして後悔をするというレールの自分の未来を救うのだ。誰かを救えば自分も救われる。
誰かを救わないことで、その人の選択を尊重されるが自分は後悔をする。
なぜ人はこれまでにも、生きている最中に後悔をしないようにしたり、善く生きようとするのか。それは全て社会的な他者評価のために生きているからのように思える。自分のために生きて、自分のために死んだ田中幸乃は、単なる1人の人生でありそれ以上でもそれ以下でも何者でもないのかもしれない。そもそも人の人生に何かを言うことは、それこそ違うのではないだろうか。
みたいに悶々とした人いませんかね。