茶道の世界観
1.茶室は引き算の美学が生み出した「無」の世界を味合う空間である。
一見、がらんとして淋しい空間にも見えるが、これはマイナスの美学が貫かれている世界である。
余計なものを削ぎ落とし、意味のあるもの、役割を帯びたものだけを存在させその価値を際立てさせる。
たとえば、茶室に置く花は「茶花」といい、人の手により華やかな芸術性を実現する華道とは趣がずいぶんと異なる。
千利休の教えである「利休七則」には「花は野にあるように」とされている基本的には季節の野花などを一輪本来の自然の姿のまま活ける「投げ入れ」という方法が使われている。
これにより、ポツンとした存在感によって、ほとんどなにもない空間が「余白の存在」によってかえって強調される。これは「空間」ではなく「音」に置き換えてもその作用がわかりやすい。
たとえば芭蕉の有名な句に「古池や 蛙飛び込む 水の音」があるが、カエルが池に飛び込みポチャンという微かな音を詠むことによりその背後に広がっていた静けさの存在が浮かぶ上がってくる。小さな水音が立つことにより静寂が存在していたことを気づかされる。
2.茶道を貫く美意識「侘び寂び」
侘とは質素な物事や満ち足りていない物事に味わい深さや充足を感じ取る美意識である。例えば華道では、花のつぼみを主役にすることはないが、茶道では、季節の「今、この瞬間」を切り取り明瞭に表現をする。つぼみに、これから花咲く未来という希望を感じさせる。さらに開花の時を今か今かと待っているつぼみに、旺盛な生命力をも感じさせる。美はわかりやすい形だけでなく、ささやかな形でも存在していることを気づかさせる。
「寂び」は、古びた様子、時間の流れにより朽ちていく姿、もの寂しい様子の中に味わい深い美を見出す意識である。枯れた枝、落ち葉が敷かれた庭、欠けた茶碗など身近なところに存在している。古びたものの背後には、長い時間の流れや、物語、本質的な価値、魅力を包含している。古びたからこそ醸し出す美や善、価値。それらを見抜き感じ取る意識が「寂び」の精神ではないかと考える。
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