起きたら死んでたい

 というのはみんなのこどもちゃんの楽曲のタイトルだが、蓮田彩子自身も同じようなことを思ったことがある。

 実はこのように思ったことのある人は案外多いのかもしれないが、それはそれとして、彩子は生きていることに意味はないと思っている。人が何故悩むのか、理由は様々あれど、周りと比べていたたまれない自分に嫌気が差す、こうありたいと願う理想の自分の人物像から懸け離れた生き方を現在していて未来に希望が持てないから。学校でも仕事でも対人関係でも、やりたいことが何もできなくて将来においても何かを成し遂げている自分が想像できないから、ではないだろうか。
 ヒトは生きることに意味を見出す生き物だと言える。古代の哲学者から数千年ずっと生きることの意味を考えてきた。だが、人類の叡智を以てしても未だに答えは見つかっていない。
 彩子は考える。他人と自分を比べるから不幸になるのだと。自分の中の「理想の自分」と比べてしまい悩みが増してしまうのだと。それならば比較することを止めればいい。
 大学を卒業してフリーターとニートの繰り返しの日々を送っていた彩子はある日閃いた。昼夜逆転し無為に生きていた日に天啓のように舞い降りてきた考えがあった。「生きる意味」はないのだと。人生に「意味」を追い求めてしまうから人は悩むのかもしれない。人生に「意味」がないのなら悩むこともないんじゃないか。
 それ以来、彩子は意味のない日々を生きている。比較することを止め、何かを成し遂げるために生きるのではなく、人生はただの暇潰しだと思うことにした。
 生きているのは「その日起きたから」に過ぎない。寝ているうちに死んでしまえば楽になるのにと考えることも多々あったが、今はもう何も考えない。人生は無である。
 生きるって起きるってことなんだ、五十音で3つしか離れてないし同じ意味なんだ、そう思い至ることによって蓮田彩子は楽に生きられるようになったというお話。