結婚
11月に私たちの結婚記念日がある。 記念の小旅行の計画を立てている中で当時を懐かしく思い出した・・・
ある日、私が主宰しているハイキングクラブに小柄ですらっとした かわいいコが入ってきた。
彼女は、素朴な感じで、自然に溶け込むように皆と仲良くなっていった。
元カノの紹介だったので遠くから眺めていたが、あろうことか私はそのコ に魅せられてしまった。
体の中から熱いものがこみ上げて来るのを抑えられない、初めての感情 だった。 これが、本当の恋だと思い込んだ。
意を決してプロポーズした。「ボクのお嫁さんになってくれる?」
唾をのみ込んだ直後、彼女は「ウン」と首を縦に振った。
即答にも近い状況にわが耳を疑って、もう一度聞いた。
OKの回答に間違いはなかった。
付き合ってまだ半年位だったし、元カノの存在も知っているので、 多分、断わられるだろうと覚悟していた。
それでもあえてプロポーズしたのは、こんなかわいいコを誰も放って 置くわけない。
早く自分の意思を伝えておかないと誰かにとられてしまう。
そんな危機感に駆られた。
結婚して最初の試練は嫁姑戦争だった。噂には聞いていたがこんな熾烈なものなのだと体験して初めて知った。
妻の辛さも分かったが、大切な二人の言い分に賛否をはっきり言えず、 曖昧な態度をとってしまう自分。
機会を見つけては二人で出かけて気を紛らわそうとしたが、そんな付け焼き刃じゃ事態は改善しないのは分かり切ったことだった。
結婚して十数年たったある日。
母親から「○○さんを取るの、私を取るの」とストレートに詰問された。
「二人とも自分にとって大切な人」(趣旨)と必死に話すが聞かない。
「○○さんを選ぶ」(要旨)と回答した。
気丈な母だったが、「わかった」寂しそうな顔で言った。
しばらくして、母は実姉の家に引っ越していった。
ここまでくる間、妻は、妊娠・流産を繰り返し、出産・育児に絡んだ たくさんの忍耐の山を完登した。本当によく頑張った。
健康面では自分の網膜剥離や妻のくも膜下出血などを経験した。
ふたりとも術後の経過は良く、後遺症は殆ど出なかった。
妻がくも膜下出血を発症した時、自分は単身赴任で他県に居た。
真夜中、次女から電話があった。「お父さん、今から言う事、落ち着いて 聞いてね」
「お母さんが、くも膜下出血で倒れた。今、集中治療室に居る。 病院は〇〇・・・来れる?」
嵐の夜、車を駆けた。大きな水たまりに突っ込み車体に衝撃を受けながら 走った事と次女の電話の言葉を今でも昨日の事のように思い出す。
生きてくれてよかった。
交際期間が短かったので結婚してからお互いにいろいろな発見をし、 嬉しかったり、悲しくなったりしながらお互いを知っていった。
ふたりで共有してきた時間や乗り越えてきた山々が、これから何があっても二人でやっていけると思わせてくれる。
こうやって夫婦になっていくのだと感じる。
余談だが、自分が中学生の時、父親は家族を捨てた。父親としての一切の 責任を放棄して・・・。
母は身を粉にして私と妹を必死に守った。
ある夜、母の咽ぶ背中を見た私は、その時、絶対そんなことはしないという信念を持った。
だから、いくつかの危機も乗り越えられた。
父親は大嫌いだが、父親から教えてもらった唯一のものだ。 今は感謝に変えている。
今、穏やかに妻を愛でられる自分がいる。尊敬できる自分がいる。
結婚とは妙